長い映画だ。2時間半ある。だが、1時間ほど経った頃、お年寄りが倒れて救急車がやって来たため、10分ほど中断した。
やや前のシーンに戻って上映が再開されたが、30分ほど経つとまたひとり倒れた。ホール内の明かりが灯り、到着した救急隊員が担架で運んで行った。そのため3時間かかって上映が終わり、午後4時半になっていた。よほど人を興奮させる内容の映画と言うべきだろう。この文化博物館の映像ホールは、戦争体験があるような老人がいつも大半を占めているが、昔を思い出して頭に血が昇ったのかもしれない。当初この映画を見るつもりはなかった。展覧会のチケットでついでに当日上映の映画を見られるが、何でもいいと思っていた。予めネットで調べると、「平成17年度(第60回記念)文化庁芸術祭主催公演 日本映画名作鑑賞会」が、11月24から27日まで開催され、4日連続で計9本の映画の上映があることがわかった。どれを見るかを考え、出かけられる日のつごうから26日にした。この日は午前中に内田吐夢監督の『宮本武蔵 巌流島の決斗』、5時からは黒澤明の『どですかでん』があったが、迷わずこの映画にした。いつもなら用意されている無料のふたつ折りのパンフレットはなく、代わりに100円だったか、9本の映画を簡単に説明した小冊子が売られていた。早速買った。見ると、東京では10月下旬に開催され、1か月遅れでの京都の上映だ。それにしても「文化庁芸術祭主催公演」とは看板が大きいが、200人ほども入れば超満員となってしまう小ホールを使用しての上映、しかも東京と京都だけとはえらくしょぼくれている。冊子の初めに文化庁長官の河合隼雄のあいさつ文が掲げられているが、この催しがどれほどの人に知られていたかは怪しい。筆者も訪れるまでは知らなかった。今はヴィデオやDVDで容易に昔の映画を家庭で鑑賞出来ることもあって、こうした古い日本映画をわざわざ会場に足を運んで見る人は少ないだろう。だが、スクリーンは小さめでも、一応は真っ暗な中での上映で、映画館と同じ気分が味わえるから、何かのついでがあれば積極的に見ることに越したことはない。手元にヴィデオやDVDがあると安心してしまって、かえっていつまでも見ないことが多いからだ。
この映画祭の最初の上映作品は『喜びも悲しみも幾歳月』だ。本当はこれを見たかった。1957年の封切りで、筆者が6歳の頃だ。映画の主題歌が大いにヒットし、すぐに覚えて毎日歌った記憶があり、今でも鮮明に「おいらー岬のー、灯台守はー、妻とふたりーでー、沖行く船のー」という主題歌の歌詞をよく覚えている。一方、今回取り上げる『日本のいちばん長い日』は、これは想像したことだが、1962年のアメリカ映画『史上最大の作戦』の原題「The Longest Day」をもじっている。『史上最大の作戦』は連合国のノルマンディ上陸作戦成功をテーマにしたもので、この映画の主題曲も昔大ヒットした。ミッチー・ミラー合唱団が大いに持てはやされ、大変なブームとなった。歌の中で「ザ・ロンゲス・デー、ザ・ロンゲス・デー」という言葉が行進曲のリズムで雄大に繰り返されるが、さきほどそれを思い出しながら、『喜びも悲しみも幾歳月』のメロディとつながった。こちらの曲も行進曲風で勇ましく、感動的なのだ。今ではこういうタイプの歌ははやらない。ビートルズが出現する前の少年時代にこうした名曲を普段よく聞いていたわけだが、ビートルズが日本で爆発的な人気を獲得した1960年代は、今でも筆者にとってひとつの物差しになっていて、たとえばこの『日本のいちばん長い日』が1967年制作であることが、ビートルズのどの時期に相当し、当時自分は何をしていたかといったようにはっきりと思い出せる。1967年は筆者にとってはそんなに昔のことに思えないが、実際はもう40年近く前だ。そしてこの映画が描く1945年8月15日は1967年からはたった22年しか経っていない。これは驚くべきことだ。この映画を撮るのに戦後から22年の歳月が必要だったという見方が出来る一方、よくぞ22年後に撮影しておいたものだとも思う。さらに後ならもう不可能だったろう。脚本があればいつでもリメイク出来るようなものだが、『史上最大の作戦』をまねたこの映画における豪華俳優人は、この当時であったからこそ可能で、日本映画の凋落ぶりが激しい一方の今では全くの夢物語と断言してよい。それは俳優のみならず、監督の力量や撮影、セットの問題もある。戦後22年ではまだ終戦当時の建物がかろうじて残っていて、それらを使用することも出来た。無理なものはセットで作ったが、風景が一変どころか変わり切ってしまった今では、全部セットで作る必要があり、とんでもない費用がかかる。また監督の問題もある。この映画の監督岡本喜八は戦争体験が持つ。終戦時は21歳半ばの年齢で、学徒動員を受けて特攻の訓練を受けていた。こうした戦争世代が集結して作った映画であるので、実録ものとしても迫力が増すのは当然と言える。
有名な話だが、8月15日の玉音放送は予めNHKが収録したレコード盤が放送された。このレコードを玉音盤と呼ぶが、この映画の後半は玉音盤を隠す宮内省の侍従側と、それを奪い、あくまでもポツダム宣言を受諾せず、本土決戦に持ち込もうと考える陸軍や近衛師団の一部の人間との戦いが、サスペンス・ドラマ風に描かれている。連合軍のトルーマン、チャーチル、スターリンがドイツのポツダムに集まり、日本に向けて宣言を発表したのは7月26日だが、この映画はその日から始まる。宇宙空間から地球が少しずつクローズアップされ、電波が地球上を飛び回っていることが示されるが、映画のタイトルが画面に現われるのは、映画が始まって15分ほどもしてからだ。それはさておいて、宣言を受けた日本政府は、その内容に不明なところもあってしばらく黙殺を続けた。だが、その間アメリカが8月6日と9日に原爆を落としたことは誰しも知る。ついに8月10日に御前会議が開かれ、中立国を通じてポツダム受諾を連合国に伝えるが、15日の玉音放送までは、この映画が描くようにさまざまなドラマがあった。戦争を始めた者としてはどこまでも戦争続行を願うのは無理のない話とも思えるが、この映画で描写されるように、あくまでも本土決戦に固執する兵士たちは、狂気の形相を呈していたと言ってよい。たとえば映画が始まって間もなく、陸軍のお偉方のひとりが「日本男子1000万を投入すれば絶対に本土決戦で勝利する」と口走る場面がある。これは国民を無数にいる蟻のようにしか思っていない言葉そのものであって、自分は命令するだけの安泰な立場でよいが、前線で戦う兵隊のことを何も考えていない。原爆で、そして沖縄でもとんでもない数の人々が犠牲になっているというのに、まだ本土で戦うというのであるから、もしその言葉が通って、玉音放送がなければ、戦後の日本の歴史は大きく違っていたはずだ。ひょっとすればそれこそ国がなくなっていたかもしれない。どこまでも無責任な連中が戦争続行を願い、自分や自分の身内だけが経済的にも潤うようなことしか考えず、また戦争が終わればさっさと発言を変えて政界に戻って戦後の政治を動かした。そしてそんな連中の2代目、3代目が今の政界のドンになっていたりする。
陸軍大臣阿南惟幾は本土決戦派で、10日の御前会議ではポツダム宣言には条件をつけて受諾すべきと主張し、抗戦派将校たちからも応援を得ながらも結局14日の深夜に自宅で自決する。抗戦派将校は、阿南の義弟で軍務課員の竹下中佐、同じく軍務課員の井田中佐、椎崎中佐、畑中少佐などで、これらを若手俳優が好演していた。特に井上孝雄や高橋悦史、黒沢年男はほとんど主役格と言ってよいほど出番が多かった。阿南は三船敏郎がその苦悩の立場を見事に演じ、自決する際の血しぶきがほとばしる場面は、抗戦派将校のひとりが上官の首を刀でゴトリと切り落とすシーンとともに、いかにも岡本喜八タッチで、映画を単調なものに陥ることを防いでいた。上映の初め、ホールに若い西洋人男性がひとりいることに気づいたが、最初のおじいさんが担架で運ばれ、映写が再開されてしばらく経った頃にすっと出て行った。筋書きがよくわからず、あまり面白くなかったのであろう。外人がこの映画やその当時の事柄をどれほど理解出来るかは難しい問題だ。かなりの前知識があった方がよい。今はそうした情報が容易に入手出来るので、国民に玉音放送が達するまでに、裏でどのような綱わたり的な事情があったかを知ることは出来る。そうした歴史的にわかっている事実をそのまま描く映画とはいえ、『史上最大の作戦』のように戦車が格好よく動き回ることもないので、エンタテインメント性は少ない。女性は新珠三千代ひとりしか登場していなかったはずで、色気の欠ける映画だが、そこを補って映画を成功に導くには、いかに人物を描き切るかしかない。それを可能にするのは豪華なキャスティングがあってこそだ。この映画の見所は、陸軍の若手の抗戦派の動きと、天皇や総理大臣を初めとする御前会議の出席者たちの動き、そして侍従たち、NHKの録音班やアナウンサーといったようにいくつかに分けられるグループごとの内面描写と行動にあるが、どうしても密室での出来事の場面が多くなり、白黒映画でもあるので、陰鬱な印象を与えやすい。また、雲のうえの人々の行動であるため、大多数の観客にとって、特に戦争体験のある人々にとっては、どこか遠い別の国での出来事に感じはしなかったかと思う。そこで、この映画にはそれを避けるために、映画の主な話の筋に沿って、パラレルに進む物語をふたつばかり挿入していた。それは戦争集結に反対して決起しようと行動を企てた軍人の動きだ。これも歴史的事実であるので、歴史を忠実に再現する意味からは欠かせない筋書きと言えはするが、役者の独特の味のある演技によって、映画に欠かせないアクセントを提供していた。
挿入物語のひとつは、横浜の警備隊長である佐々木大尉が横浜高工の必勝学徒連盟を率いて東京に向かう話だ。狂気の塊のような大尉を演じているのは天本英世で、首筋の筋肉を浮き立たせながら激しい号令を何度もかけるシーンは、日本陸軍の実体を象徴的に示しているように思えた。天本は悪役で有名だったが、晩年は丸い帽子をいつも被ってTVのヴァラエティ番組によく出演し、その優しい風貌に人気があった。ここではその顔形とは全く違い、自分の信ずるところにしたがってどこまでも行動する抗戦派の姿をよく演じていた。見方によってはほかの俳優が消し飛んでしまうほど強烈であった。もうひとつは抗戦派として行動した厚木基地の302航空隊の話だ。その司令官を田崎潤が演じていたが、当時日本にはまだ本土決戦出来る飛行機がたくさんあると思っていたようで、この錯誤はどこから来るのか、本当に徹底抗戦の思い込みは恐い。そう言えばもうひとつ航空基地が出て来た。そこからは次々と特攻隊が飛行機で飛んで行くのだったが、日本がポツダム宣言受諾でぐずぐずしている間にも若い命が消費されていったわけだ。この特攻基地の団長を伊藤雄之助が渋く演じていたが、彼の顔はそのまま戦争時代によくあった顔ではないかと思わせる、今では失われた日本人の表情をしている。無言の表情でもそこに万感の思いを込めることの出来た俳優ではないだろうか。若い特攻隊員が飛び立つ直前、女性たちがおはぎのたくさん持った皿を持って駆け寄り、好きなだけ食べてよいと言うシーンがある。そして、飛び立つ飛行機の後を追って小さな弟や妹たちが笑顔で手を振る場面も印象的であった。映画の本筋とは直接関係のない挿入エピソードとはいえ、ここには岡本監督のこだわりが見られる気がする。天皇や総理大臣といった国家の頂点にいる人ばかりではなく、名もない人々をどうにかして登場させないことには、この映画にリアル感は宿りにくかったであろう。さて、天皇が御前会議でポツダム宣言受諾と戦争集結の意見をはっきりと述べているにもかかわらず、それだけでは戦争は終わらなかったわけで、あくまでも閣議が満場一致で決定する必要があったのだが、もし閣僚の誰かが辞職でもしていれば、内閣が倒れて降伏は不可能になっていた。竹下中佐らのクーデターが全軍規模で拡大していた可能性もあるし、侍従が隠した玉音盤を抗戦派が発見していると、8月15日の放送はなかった。宣言受諾を最初から決めて動いた鈴木貫太郎総理の家は、佐々木大尉や彼が率いる学生たちによって全焼させられが、全く狂気に囚われ切った連中は自分のことしか見えなかった様子がよくわかる。天皇は何度も登場したが、ついに後ろ姿のみの出演で、これは誰が演じているのかと思えば、松本幸四郎であった。別格的な人は別格を演ずるということだ。この映画は当時大ヒットして昭和42年度の芸術祭賞を獲得した。当時の筆者はそんなことは知らず、ビートルズに夢中であった。