天に一番近い山として、京都盆地からは愛宕山が西北に聳える。標高千メートルはないので、聳えるはおおげさかもしれないが、京都盆地を取り囲む山はそれほどなだらかで、そのことが京都人の生活を古来形成して来たこともあるだろう。

それはともかく、一昨日の7月31日は日曜日で、電車に乗って神戸まで出かける用事があったが、1か月ほど前の少年補導委員の会合で、松尾橋西詰めの土手下に河川パトロールのテントを張り、そこに当番で詰める日時を決める際、筆者はなるべく早い方がいいと考え、7月31日の午前中を自薦した。朝10時から午後1時までの3時間で、その後出かけてもどうにか間に合うかと思い、当番の日時の変更を申し出なかった。その当番のことは明日にでも書くが、自転車に乗って松尾橋に行く際、最短距離ではなく、桂川沿いの自転車道路を南下することにした。それにはまず阪急嵐山駅前に出るが、9時50分の駅前広場は登山姿の高齢者がざっと200か300人ほど整列していた。それが何のためかわからなかったが、河川パトロールのテントに着いて、当日の当番の他の5人と談笑していると、その日が愛宕山の千日詣りであることを知った。筆者は去年の千日詣りに家内と一緒に初めて挑戦し、
そのことはこのカテゴリーに投稿した。ただし、登山中に撮った写真の大部分は使わないままヤフーのマイ・ボックスに保存してあるが、1年ぶりにその中から今日は投稿に使う。ざっと見積もると、4回投稿すれば全部消化出来るが、「その4」まで連続で投稿する気には今のところなれず、ひとまず今日は撮影順に4枚使う。千日詣りは筆者が京都に住んだ頃から耳にしていたが、夜に山に登るなど、全く趣味に合わず、絶対にその気にはなれないと思っていた。だが、愛宕山は毎日のように目に入り、そのてっぺんに毎年どころか、毎日でも登ろうとする人と知り合いになるなど、千日詣りは忘れ去るどころか、ひしひしと身近に迫って来たと言ってよい。そして去年の7月31日はちょうど満月で、このブログに毎月満月の写真を撮影して載せていることもあって、愛宕山から満月を撮ってそれを載せるのもいいかと思った。そのほかにも理由はあるが、つまりは登山というしんどい思いよりも、ブログの投稿のためのネタが得られることが勝った。筆者には割合そんなところがある。しんどい思いが勝ってやめておこうとするのではなく、そのしんどさと引き換えに何か得難いものが獲得出来るのであれば、しんどさを克服することに動く。登山する人はみなそうではないだろうか。山頂を征服したという快感に勝るものはなく、山頂に立つまでの労苦を厭わない。筆者はそこまで征服感はないので、愛宕山の山頂に立つことはかなりどうでもよかった。ただし、自分を誤魔化したくないので、途中で下山することはあり得ない。

それはさておき、千日詣りをしたおかげも多少あって、このブログに新たに「神社の造形」のカテゴリーを設けた。そこに投稿する写真は大量にたまっているが、仕事の合間を見つけてまた埋め草的に投稿するつもりでいる。今日は厳密には2日遅れだが、千日詣りから丸1年を記念して投稿する。本来は今年も山に登るべきだが、今年は満月ではなく、登るための理由が見つからなかった。またこの1年、筆者は運動不足から体重が3キロほど増え、血圧が激増した。そういう体では去年よりもっと疲れるのは明白で、とても登る気にはなれず、それで駅前の大勢の登山者の列を見ても、それが千日詣りをする人とは気づかなかった。やはり筆者はスポーツ嫌いで、登山にさっぱり関心がない。だが、スポーツが嫌いでも運動の必要性は否定しない。それどころか、前述のように1年で3キロも太ったので、運動不足は痛感している。母は筆者ひとりでは抱え切られないほどの巨漢だが、若い頃はかなり痩せていた。また還暦頃でも肥満とは無縁であった。仕事をやめてからは急速に太り始めたのは、誰でもわかるように急に歩かなくなったせいだ。それを言えば家内もだが、退職してからはかえって痩せ始め、今は42キロしかない。運動不足であるはずなのに、そういうこともあって、太ったり痩せたりは体を動かす度合いだけに関係するものではないことがわかる。筆者は3キロ太ったことをどこで感じるかと言えば、まず腹の出っ張りで、そのためにズボンがどれも合わなくなった。ここ数年はスリムなピチズボが流行っているので、筆者もそんなのを買ったが、とても腹が収まり切らない。それで仕方なしにダボズボを履くと、これが真夏であるのでなかなか風通しがよくて快適だが、家内は筆者のその姿を揶揄する。今頃そんな太いズボンを履いている人はいないと言うのだが、いくらお洒落で流行とはいえ、下半身が汗まみれになりやすいズボンは考えものだろう。どうでもいい話を書いているが、つまりは太るとそのようにこれまでの服のサイズが合わなくなる。3キロ程度と安心していると、これが倍々と増え、気づけば母のように巨漢になっているだろう。まずは太り始めが肝心で、その頃に適正体重に戻しておくべきだ。そのためには運動が欠かせず、1年に一度の愛宕山の千日詣りくらいは何でもないという体力をつけておいた方がいいことはよくわかっている。これも先に書いたように、一昨日の阪急嵐山駅前に集まっていた登山服の人たちは平均年齢が70くらいに見えたが、それからすれば筆者の登山に対する体力と気力のなさは何とも不甲斐ない。それで、運動不足の解消は毎日梅津のスーパーを往復すれば充分ではないにしても、以前の体重を維持するにはおそらくほどよいはずで、またそれを始めればいいと思っているが、この真夏では夕暮れにならないととても歩けない。それに、家内も筆者もここ2,3年で食べる量が減っていることを自覚していて、スーパーに行ってもなるべく買わないようにすべきなのに、せっかく歩いて行ったからには出来る限りたくさん買おうという貧乏人根性が家内に出て、いつもふたりが両手いっぱい、おそらくふたりで20キロ近い買い物をして来る。毎日それでは食べて太り過ぎるのは明らかで、梅津まで往復するのはいいが、まずは何も買わない日を設けることを決めるべきだ。何が言いたいかと言えば、運動不足にもかかわらず、おやつなどたくさん食べ過ぎて太ったということだ。

一昨日は河川パトロールから戻って早速神戸に向けて電車に乗った。すると、千日詣りを済ました登山姿の老人を何人も車内で見かけた。みんなひとりで、連れがなくても登山をしている。家内は千日詣りは夜にするものではないかと筆者に言うが、朝から登って午前中に下山してもいいのだろう。夜になると帰りの電車がなくて困る。これは去年書いたと思うが、下山するとみんな家族が迎えに来ているか、駐車場に車を停めていてそれに乗って帰る、あるいはタクシーを予約していて、それで帰宅するかで、筆者らのように歩いてそのまま家まで帰るという人は見かけなかった。そのことを風風の湯のサウナ室で知り合った嵯峨のOさんに言うと、人間よりも猪が恐いとのことであった。満月の明るい夜であれば、猪の親子が道路際には出て来て、歩行者に突進するかもしれないというのだが、確かに人間より怖いかもしれない。なるほど、それでみんな下山して人がたくさん集まっている場所からそのまま車に乗って帰るのだろう。それはともかく、去年は月明かりに照らされながら、また足を痛めながら、わが家に着いた時は午前4時頃であった。それはそれでとても印象深い経験で、また満月の夜の千日詣りなら経験したいと思うが、これも去年書いたように、次のその機会は確か20数年後で、筆者はもうこの世にいないか、いても母のように巨漢になっていて、とても登山など出来ない。一生に一度の経験なら、それが最も印象深い時がよく、去年の千日詣りはまさにそういう機会であった。自治会の大志万さんに、去年の千日詣りの登山を誘おうかと思ったと、その後話すと、とてもそんな体力がないと返って来た。筆者より10歳も下の彼女がそんな風であるので、登山はやはり誰もが好きというものではない。たくさんで登ると楽しいと思うが、その意味では愛宕山の千日詣りは格好のもので、また山登りに慣れた人が一緒では、途中でへこたれても自分を鼓舞する頻度が増えるだろう。さて、今日の写真を説明しておくと、最初は登山口で、提灯で点るふたつのゲートが見える。そして左側をみんなは進んでいる。これはどっちの道を選んでも同じで、先でまた一緒になる。筆者らは左を選んだ。2枚目は特徴のある筆跡で、嵯峨消防団の手製距離表示と「火の用心,」の警告を兼ねた看板だ。10/40というのは、全体が40で、そのうちの10を歩いたということだ。この距離表示は、確か100メートルごとにあったと思う。千日詣りの夜に限り、つまり年に1日のみ、山道は裸電球で照らされる。その灯りのみではかなり暗いので、懐中電灯を持参して足元を照らした方がよいが、暗さに慣れるので、どうにか頭上に等間隔で吊るされる灯りだけでも歩ける。3枚目の写真はその電球に照らされる山道の端で、筆者が10分ほど座っていた木の根元だ。4枚目は先ほど調べてわかったが、杉の大木の前にある祠で、大杉神社という。これがある付近はなだらかな道が続き、また左手眼下に右京区と西京区の市街地が広がるわずかな区間がある。それ以外の山道では麓は見えず、ひたすら階段を上って行く。それは金毘羅参りの5倍以上の長さのような気がした。それに、歩きにくさは10倍以上だ。こんなことを言っているので、体重が1年に3キロも増えたのだろう。