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●神社の造形―衣手神社
摂社のひとつで、松尾大社の神幸祭の際のお旅所になっている。衣手神社は昔から車ですぐ脇を通っていた。嵐山から松尾橋をわたり、内田病院を左に見て、桂川の左岸の堤上の道をどんどん下って行くと、やがて国道9号線にぶつかる。



●神社の造形―衣手神社_d0053294_144686.jpg

その少し手前で斜め下に下りる坂があり、それを進むとすぐ左手にこの神社がある。神社を越えてすぐ今度は右折すると、すぐに国道9号線で、三角形の長辺を走ることになって多少距離が短縮出来る。だが、筆者は車に乗らないから、この西京極地区はほとんど縁がなく、また道もさっぱり詳しくない。それが10年ほど前か、先日も少し触れた古文書を扱う業者と知り合いになり、1年に1、2回はその業者の家を訪れる。そして、その家は衣手神社から100メートルほどしか離れていない。もちろん筆者は自転車で往復するが、車で走る時と同じ道をたどる。そして、他人に乗せてもらう自動車とは違い、気になる場所はどこへでも立ち寄ることが出来る。そう思って昨日書いた御霊神社を見た後、桂川をわたり、家内と一緒にこの神社を訪れた。ただし、記憶では東へと向かったのではなく、東から西へ進み、神社を撮影した後は土手の坂を上って桂川の左岸上の堤を北へと走って内田病院方面に向かった。それで当日つまり去年11月17日の正しい行動はあまり覚えていないのだが、たぶん天気がよいので、西院のムーギョまで足を伸ばし、その帰りに衣手神社に立ち寄ったと思う。ともかく、長年気がかりであった神社の境内についに入り、そして写真を撮った。三宮神社であることは昔から知っていたが、正しくは衣手神社と呼ぶことを初めて知った。衣手というのはこの付近の地名だが、衣手の森というがあったらしい。京の三大森のひとつで、もうふたつは下鴨神社の糺の森、そして伏見南方の藤の森というが、糺の森が一番樹木が多く、面積も大きいだろう。藤の森は筆者は一度だけ教育大学に郷土玩具の講義を聴きに行ったことが昔あるだけで、藤森神社には立ち寄らなかった。そこも歴史がかなり古く、また東山の南方なので緑は多いはずだが、桂川右岸近くのこの衣手神社は境内はさほど大きくなく、樹木もそこそこだ。ネットで調べると、衣手の森はこの神社があった場所ではなく、近くの別のところであったかもしれないとある。最もあり得るのは松尾大社近くだが、摂社をそんなに近くに設けるだろうか。最低でも1キロは離れた場所がいいのではないか。筆者はこの神社の境内がかつてはもっと大きかったと想像するが、神社の西はすぐ土手際で、西以外の方向に広がっていなければならない。また、森と言えば普通は鬱蒼とした雰囲があって、背の高い樹木がとにかくたくさんあらねばならないが、この神社は何となく日陰を思わせ、森があったような気にさせる。今は民家が建て込んでいるが、それらは境内の森を縮小した結果であろう。となると、何とも貧弱なことになってしまった。糺の森に匹敵するくらいとまでは言わないが、西京極に鬱蒼とした広い森が残っていた方がよかった。西京極は桂川の下流で、明治以降は北の梅津と同様、工場をたくさん建てる必要があった。森は金を生まないが、貧乏な明治政府は富国強兵の考えから、森を潰して工場を建てることを促進したのであろう。糺の森は残されたのは、京都の北部で工場を造るような土地柄ではなかったことと、神社の威力だろう。衣手神社は松尾大社の摂社で、松尾大社がそのまま残れば摂社は縮小してもかまわないと考えられてもそれは仕方がないと思える。
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 松尾大社の境外社との表現もあるが、元は上桂の御霊神社と同じで、農耕の神を祀っていたのであろう。双方の神社は桂川を挟んでちょうど東西に位置する。衣手神社は現在は川にほとんど接しているが、1000年前はどうであったかはわからない。川の蛇行具合はかなり変化して来たはずで、衣手神社側は川の曲がり具合からすれば抉られる側にあり、創建当時は川はちょうど双方の神社の中間にあったと想像する。ということは、1000年後は衣手神社は川の中に入ってしまいそうだが、近世以降の土木工事によって土手は強固かつ高く築かれ、もう川の流れがさらに蛇行の曲線が深くなることはないだろう。ともかく、衣手神社もまた秦氏が深く関係すると考えるが、ネットには開拓の神である玉依姫命と、農業と諸産業の羽山戸神を祀るとある。開拓といい、諸産業といい、渡来人がいかにも関与していることを匂わせるが、羽山戸神が祀られたのは明治になってからで、玉依姫命と馴染むと考えられたこともあるのではないか。結局のところ、松尾大社の境内の中ではなく、境内の外の社で、現在この辺り一帯が松尾大社の氏子が住む地域であることと全く矛盾しない。前述のように、筆者の知る古美術業者は氏子代表となるような人で、葛野という地名に誇りを持っている。そして、松尾大社には祇園の八坂神社よりも神輿の数が多いことを自慢するが、この衣手神社には写真からわかるように、近代的な収蔵庫が鳥居の背後に写っていて、そこに神輿の少なくてもひとつが収まっている。松尾大社の祭りは桂川と深く関係していて、神輿を担ぐ人たちが川の中に入る。祭りの頃の川は浅いので溺れる心配は皆無だが、松尾大社の氏子の住む範囲が松尾大社のある西京区から桂川を越えて右京区やまた南区までに広がっていることが祭りに繰り出す神輿の数でわかる。確か祇園祭りの3基に対して5基で、1基は近代になって失われたと聞く。その理由が、焼けた、盗まれた、流されたなどあって、よくわからないらしい。6基もあったことはそれほど人口が多かったことになるが、人口が最大であるのは戦後のはずで、また人口が多いからすべての人が祭りに参加するとは限らず、むしろ神輿の担ぎ手は少なく、地方から参加を募っている。それは嵯峨でも同じで、神輿担ぎの好きな人が毎年全国から集まるらしい。そうなればもはや地元の祭りとは言えない気がするが、それを言えば祇園祭りの山鉾巡行も同じで、アルバイトを雇わねば実行出来なくなっている。筆者は松尾大社の祭りは地元の自治会としては参加はするが、5基保存されている神輿を担ぐことには参加しないし、また要請があった試しがない。つまり、松尾大社と地元の関係がよくわからないでいる。信仰の自由があって、今は神社としても自治会に強制はしにくいのだろう。同じ祭りでも伏見の御香宮では酒や銭湯が無料で振る舞われ、誰でも参加出来ると聞く。それはおそらく酒造メーカーがたくさんあるうえ、大きな商店街があって、経済的に豊かであるからだ。その点、松尾大社の氏子の範囲はかなり地味だ。それは言いかえれば昔のままで、御香宮もそうだが、比べることは出来ないということだ。ついでに書いておくと、松尾大社からは年に数回、氏子に対して無病息災を祈願する紙製の依り代が配布される。それに名前を記し、それを収める紙袋にお金を入れて自治会長に届けることが習わしだが、わが自治会では10年ほど前にそれをやめた。年に数回の寄付をみんなに強制出来ないとの当時の自治会長の判断だ。また個人が松尾大社に行って賽銭を投げればよいことで、自治会が神社のために金集めをするのはいかがなものかという考えは理解出来る。嵯峨も松尾大社の氏子で、そこでは今でもその依り代を配布しているそうだ。また、そうして集めたお金の1割だったか、松尾大社は後日自治会に返してくれるらしい。そしてその金額を自治会費に組み込むと、自治会の運営にも役立つという、共存の考えがその依り代にはある。
●神社の造形―衣手神社_d0053294_1443414.jpg

 三宮神社とは、三つの宮を祀るという意味かと誰しも思うが、ネットによれば、この辺りの村の産土神として玉依姫命を祀る三宮神社があったとされ、三宮は「さんのみや」と呼ぶように、三番目の宮との意味だ。一宮、二宮に次ぐのであるから、格は劣るし、また数が多いのも当然だ。羽山戸神を合祀して衣手神社となったのは、先に触れたように明治に入ってからで、現在の拝殿も出来た。また末社がいくつかあり、写真を撮って来たが、名前が記されないので神様の名前がわからない。ネットには、野々宮社や諏訪社、山王社、日吉社など、10ほどの神が祀られるとある。それらひとつずつを特定し、拝みにやって来る人はもういないのではないか。筆者が訪れた時は境内の樹木が紅葉していて、落ち着いた雰囲気がよかった。外側から見ては陰気なだけと思っていたが、すぐ西に桂川の土手があり、そこに上れば視界が広がるので、上桂の御霊神社のような圧迫感はない。だが、下桂の御霊神社の広さや解放感もなく、やや歪な形の土地にせせこましく建物が並んでいるという印象だ。2枚目の写真は真西を向いているが、写真の左手が道路で、道路に沿って奥深くなっているため、道路際の玉垣の列は長い。つまり、道路を歩きながら、あるいは車で走りながら、境内の雰囲気がよくわかる。4枚目の写真は筆者が好きな連棟の祠だが、ふたつ仲よく左右対称で並ぶのは初めて見た。どういう神様を祀るのかはわからない。そう言えば三宮神社は国道9号線を桂側から西へ2キロほど上がった山手にもある。桂病院からは近いが、上り坂が急で、自転車ではかなりしんどい。気になりながらもなかなか訪れる気になれないでいる。その付近に神社が数か所あることは調べ済みだが、まとめて踏破しようと思っている。
●神社の造形―衣手神社_d0053294_1444414.jpg

by uuuzen | 2016-04-20 23:59 | ●神社の造形
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