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●神社の造形―下桂御霊神社
C(カーボン・コピー)のような関係にあるのかと思って調べると、そういう部分もあるが、そうでないところもあって、上桂の御霊神社の南東1キロにある下桂の御霊神社はそれなりに独特な神社で、上と下が必ずしも対になっているとは限らない。



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それは当然であろう。御所の東方の南北になる上御霊と下御霊神社は、上桂と下桂の関係とは全く違う。これは桂の北と南の意味で、その間に御所に相当するような天皇の住まいやその跡はない。たまたま桂に御霊神社がふたつ出来ただけで、場合によってはさらに出来ていた可能性もある。それはさておき、今日取り上げる神社は上桂の御霊神社が気になったので、わざわざ撮影しに出かけたのではない。撮影日は去年11月17日で、上桂の御霊神社の翌日だが、実際はもう少し前に筆者はこの神社に自転車で出かけていた。その時はカメラを持っておらず、11月17日の火曜日は家内と一緒にプレミアム商品券購入の応募に当選したので、お金と引き換えにその券をもらうために西京極の大垣書店に出向いた。そのついでに筆者は気になっていた下桂の御霊神社に回って写真を撮り、もうひとつの神社へも回った。その写真は明日使うとして、今日は御霊神社だ。この神社は以前にネットで調べて知った。東隣りにある桂離宮はとても有名だが、その西側の込み入った細い道を歩く人は地元住民以外にはないだろう。ネットで地図を見ながら、こんなところに御霊神社があるではないかと知った。それでいつか忘れたが、筆者ひとりで自転車でこの神社を探しに行ったが、その時は地図を持って出かけず、桂離宮の南にある別の神社を探すことが出来なかった。その神社も後日家内と訪れたが、それは別の目的があったついでだ。そのことについてはその神社の写真を投稿する時に書く。話を戻して、御霊神社の西は桂川街道という大きな道が南北に走っている。それはここ20年ほどの間にどんどん北に延長され、上桂でぷつりと途切れたままになっているが、いずれはもっと北に延長し、どこかにつなぐのだろう。そうした道路に関することは車を運転する人は敏感だが、筆者は自転車でもあまり桂離宮方面には出かけない。桂川街道の北端から少し南の、東西を走る国道9号線沿いに大型スーパーやまた大きな古本屋があって、数年前はたまにその古本屋に自転車で出かけていたが、今はさっぱり足が向かない。そのため、国道9号線と桂川街道の大きな交差点から南へは筆者にはまるで縁のない地域で、神社がどこにどのように位置しているかも全く知らなかった。断っておくと、桂離宮は国道9号線の南方、桂川街道の東方にある。また桂川街道は自転車では走ったことはなかったが、車で5分ほどの南に、回転寿司のスシロー(以前は「あきんど」)があって、そこは7,8年前かあるいは10年になるか、3,4か月に一度は従姉夫婦と一緒に訪れていたので、街道沿いの風景には馴染みがある。そのため、自転車で走ることになっても道に迷う不安はほとんどない。
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 さて、上桂の御霊神社は鬱蒼とした、どちらかと言えば垂直の印象があるのに対し、下桂の御霊神社は風通しがよく、平らな感じが強い。桂離宮に隣接し、その影響と言ってもよいが、境内の広さの割りに樹齢100年を越える樹木が少ないからではないか。実際には比べておらず、筆者のぱっと見の印象に過ぎないが、ふたつの神社は確かに対照的な感じがする。ちょうど下鴨神社と上賀茂神社の雰囲気の違いに似ている。もちろん前者が森の、つまり垂直のイメージが強く、陰陽で言えば断然陰だ。どちらがよいというのではなく、そういう対比になっているのが面白い。上桂と下桂の御霊神社は前述のように1キロほどしか離れていない。にもかかわらず、後者が解放的な感じが強いのは、やはり桂離宮に隣接するからだろう。悲劇に見舞われた公卿や皇子の霊を鎮めるというからには、近寄りがたい、つまりひっそりとしたたたずまいが似合うと思うが、この御霊神社は心霊スポットにはならないような明るさがある。それは樹木が少なく見えるからだが、もともとそうであったのかどうかはわからないところが悩ましい。今日の写真からもわかるが、鳥居や玉垣、参道の敷石など、どれも真新しく、地元で大切にされていることがわかる。最初の写真の鳥居の神額は新品同然で、ネットで調べると2008年に3代目として新調されたとある。2代目は推定で1788年というから、250年ほど経っている。つまり、250年後にまた新調される計算で、神社というものの永続性を認識させられる。文字は御水尾天皇が書いたものとされ、初代の額は1620年とされている。それをそっくりそのまま複製して新調して来ているのだが、京都が戦災で壊滅的な状態にならなかったお蔭であり、京都に原爆が落とされていると、多くの神社や寺は元通りには復興出来なかった。そう考えると、下桂のこの地域は桂川街道が出来るなど、田畑はすっかり失せてはいるが、桂川の右岸地域という地勢はそのままで、桂川からより離れている上桂の御霊神社とは違って解放感があるのは昔からであろうとの想像が出来る。ネット情報によれば、社務所にいろいろと宝物が伝来していて、さすが京都と思うが、鎧など保存状態が悪くて修復不能のものが多く、その点でもまた京都らしさが伝わる。京都は宝物が大量にあり過ぎて、よほど由緒があって質の高いものでない限り、朽ちるままにされやすい。文化財への補助金に限りがあり、また寺社の宝物は重文などの指定を受けない限り、寺社が自前で管理修復する必要がある。そして、管理もままならないとなれば、盗まれることにもなるが、そのように流出して市場に出た宝物は無数にあるだろう。この神社でも宝物殿があるわけではなし、宝物はお祭りの時にお披露目されるだけだが、ネット時代になったお蔭でどういう宝物があるかはわかるようになった。
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 ネットから引くが、この神社の創建は876年で月日までわかっている。祀られているのは橘逸勢(たちばなのはやなり)で、嵯峨天皇、空海と並んで三筆とされる官人だ。遣唐使とともに唐にわたったが、帰国後に皇位継承問題で藤原氏との間で争いが起こり、無実のまま遠流され、その途上、伊豆で病死した。それから10年ほどして天皇によって名誉が復権され、また10年後に伊予親王、早良親王の霊とともに神泉苑で初めて祀られ、御霊会が行なわれた。それからまた10数年後の876年に、現在の地に御霊神社が創られた。この点は、上桂の御霊神社と違う。つまり、五穀豊穣の神を最初に祀っていなかった。そのため、鳥居は朱塗りではない。また、橘逸勢は現在の中京区の堀川東の人で、その住居跡に石碑があるとのことだが、なぜこの下桂の地に霊を祀ったのだろう。それは上桂の御霊神社に伊予親王の霊が合祀されたのは室町時代のことで、この神社より六百年以上も後のことだが、同じように冤罪で死んだ貴人を祀るにはなるべく同じ地域がよいとの考えによるだろう。そして、橘逸勢をこの地に祀ったのは、洛外でもなるべく僻地がいいとの思いもあったのではないか。怨霊として祟りをもたらしてもらっては困るから、洛中のよく目につく場所では生きている人たちは居心地が悪い。さりとてあまりに遠方では流罪になったままであるのと同じで、間を取って洛外ということにしたのであろう。洛中の神泉苑でもよいと思うが、神泉苑側に不満があったのかもしれない。今回ネットで知ったが、863年の神泉苑での御霊会は、「御霊八所のうち早良親王、伊予親王、橘逸勢公の霊」の3柱を初めて祀ったとあるが、ウィキペディアには御霊六所とあって、たぶん前者が正しいのだろう。御霊八所は上御霊神社と下御霊神社に祀られているそうで、六所に2柱を追加している。それは伊予親王と観察使(藤原仲成か藤原広嗣)に代わって井上内親王と他戸親王とあるが、平安時代の政治の歴史に詳しくない限りはよくわからず、また関心も持てないことだ。
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 ともかく、桂の地に御霊神社があることは、その地域が古くから有名であったことになるが、この神社は桂宮家の産沙神を祀って来たとある。桂宮家の歴史はそんなに古くない。創設は安土桃山で、江戸時代に秀吉が桂光院智仁親王のために別荘を築き、それがやがて桂離宮になる。この神社の鳥居は東と南にあって、今日の最初の写真は南側のものだ。東側は桂離宮寄りで、拝殿や本殿と一直線につながる。「飛び出しボーヤ」の看板が玉垣際にあって、子どもがよく出入りするようだ。3枚目は建物の内部奥に松を描いた鏡板が少し覗いているが、能舞台が境内の北側にある。京都の外れの田舎の神社に能舞台のあるは珍しいのではないか。能が実際に行われることがあるのだろうが、嵐山にいると桂のことは伝わって来ない。上桂の御霊神社と同じく、松尾大社の神幸祭が巡行するが、それとは別に毎月のように祭が執り行われる。写真に写っているが、能舞台の手前に、たぶん子どもたちがたくさん写ったお祭りの様子の写真だと思うが、たくさん飾ってあった。それがいかにも地元に根差した神社らしく、微笑ましかった。4枚目は同じ場所から振り返って南を向いて撮った。大きな木として銀杏やムクロジ、ナギの3本があるが、写真右端上に少しだけ写っているのがムクロジで樹齢400年という。5枚目は拝殿の北側に立って本殿を撮った。
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by uuuzen | 2016-04-19 23:59 | ●神社の造形
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