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●神社の造形―阿久刀神社
がなくてもとりあえず結婚してみる。昔の見合い結婚はそのようなものだ。結婚当日までお互い顔も知らなかったという話も聞いたことがある。恋愛する暇がないので結婚を世話する人がたくさんいたのだ。



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今は結婚を仲介する業者があるが、お互い理想を述べ、それに見合う相手を半ば機械的に見出す。そして女性は30を越えると理想はますます高くなり、そのまま独身街道を進むことになりやすいが、それで少子化がまた進む。見合い結婚は後から恋愛が始まるようなもので、却って恋愛結婚より長持ちすると言われるが、そこには男女は理想を言い始めると切りがなく、適当に誰とでもくっつくとそれなりに夫婦の型が出来るという、いわば身も蓋もない先人の真実味のある経験談がある。心がなければ結婚など出来ないとして、その心とは何かと言えば相手のことを好きと感じる思いだが、好きは嫌いになることはままあり、心の話をし始めるとややこしい。たとえば神社を訪れる時、そこには訪れたいとの思いはあるが、その神社の神を信じていたり、また畏敬の念を持っていたりするかと言えば、そうとは限らない。初詣に出かける人のほとんどは当の神社にどういう神が祀られているか関心がないだろう。だが、神社側はそれでも参拝してほしい。神社は人がやって来てなんぼのもので、誰も訪れなければ神もさびしい。つまり、心は人さまざまでも、まずは行動で、これは相手のことをさして知らなくてもまずは結婚して一緒の布団で寝るという見合い結婚と似ている。そう考えると、見合い結婚はきわめて日本的なものと言える。さて、筆者は高槻に家内の誕生祝いでささやかな昼食を一緒に食べることを決めた時、ついでに神社も回ろうとし、地図でそれを調べた。そのことは一昨日に書いたが、今日は去年10月19日に訪れた神社の最後の阿久刀神社だ。この神社に関して前知識や関心があったのでは全くない。歩いてでもどうにか行ける範囲にあるという理由で目をつけただけで、昨日の白山神社を訪れた後、地図を見ながら自転車で東へと最短距離を選んでたどり着いた。途中であまりに狭い道を進んだが、地図で確認して絶対にその奥に鳥居が見えるはずとの確信があったので不安は全くなかった。だが、自転車1台がどうにか通れる細い道では侵入禁止の私道である場合があり、地図上の最短距離どおりに道をたどれるとは限らない。その不安が多少頭をかすめながら急いだ。住宅地に囲まれた神社で、梅津の梅宮大社を思い出したが、「阿久刀」は先日投稿した嵯峨の「式内阿刀神社」に似た字面で、何か関係があるのかと思って先ほど調べると、「阿久刀」と「阿刀」とは関係がないようだ。だが、共通点もある。「式内」ということだ。実は「式内阿刀神社」について書いた時、「式内」については触れなかった。
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 筆者は神社をなるべくたくさん巡るようにしていて、このカテゴリー用に数十日分のネタを用意しているが、信心深いからではない。題名にあるように、「造形」をなるべく多く見ようというのが神社巡りの発端だ。とはいえ、本などで社殿のいろんな部分の名前や形を勉強する思いもあまりない。まずは重要なことは神社の境内に入った時の印象だ。それは一期一会のようなもので、いわば結婚相談所で多くの女性の写真を眺めることに似ている。それで結果的に誰とも決めない。つまり、どの神社が最も気に入った、またそういう思いを得るために神社巡りはしない。どの神社もそれなりに個性があり、個人の人生をはるかに超えた歴史を持っている。年配者を敬えという教育を受けた筆者は、自分より1歳でも年上の人には心からへりくだって接するようにしているが、その伝で言えば、どの神社も畏怖すべき存在で、ネット上の地図でたまたま見つけたにしろ、その近くに行くことがあれば立ち寄って本殿前で手を合わせることをごく素直に出来る。そこには、前述のように神社の由緒を知る前にまずは訪れることが重要との思いがあるが、それは見合い結婚に似ているだろう。下調べをあれこれせず、とにかく相手と対面する。筆者はそのようにして展覧会や本、音楽に接することが多い。というよりほとんどそうだ。それは縁を信じていたり、大切にする思いがあったりするためではなく、単に下調べが面倒というずぼらな性質ゆえと言っておいた方がよい。阿久刀神社について言えば、筆者はその名前もろくに覚えず、訪れてから今日まで5か月経った。そしてこうして書く段になってネットで調べている。それも見合い結婚と同じで、まずは相手にぶつかることが大事で、その相手のいろんなことはその後で吟味すればいいとの考えだ。その吟味の過程で、これまで知らなかったことを知るという楽しみに出会える。いろんなことを先に調べるあまり、知った気になって肝心のそのものには直面しないことが人生にはままあるし、結婚で言えば恋愛を経てからでなければ絶対に無理と考えることもそれに含まれる。そのことについては「案ずるより産むがやすし」という諺があるが、筆者は苦手なことはなるべくあれこれ考えずにこれまでやって来た。後で案ずればいいし、また事後であればどうにか対処出来る。そのどうにかを今日はこれからまた書かねばならない。
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 さて、阿久刀神社は高槻にしかないようだ。阿刀神社と同じ式内神社で、これは『延喜式』という中学生の歴史で学んだ平安中期の書物に記される神社という意味で、つまり朝廷が定め、歴史が古く、身元がはっきりとした神社ということだ。だが、どんなことにも例外はあるし、1000年以上も経つと、その間にいろいろとややこしいことはある。家系図と同じで、どこでどんな血が実際は混ざったかわからないのに、記録としてそれが記されないことは山ほどある。つまり、記録を重視する気持ちはわかるが、記録というのはつごうよく書かれる場合があり、嘘は入り込む。そのため、式内神社と今は称しても、それがどこまで保証されるかは場合による。先日書いた山城ゑびす神社がいい例かもしれない。乃木神社は大正に出来たのでまだそれを覚えている人はいるが、不思議なことにその隣りの山城ゑびす神社は元は静魂社であったのが、いつの間にか七福神が一緒に祀られた。その時期がわからないとはえらくいい加減と思うが、まだ100年も経っていないのに、そういうことがある。結局静魂社は静子夫人の魂を乃木神社に遷したので、山城ゑびす神社という名前に変わったが、何しろ八百万という日本の神であるから、時代によって合祀や分祀を繰り返した神社が少ないことは容易に想像出来る。家系図と同じで、婚外子はいくらでもあり、また夫婦間の子だけが次代を継いで行くとは限らない。そで式内を謳っていてもいい加減なところはあると思っておいた方がいいかもしれないが、もちろん全部の神社がそうではない。それで阿久刀神社はどうかと言えば、この神社の際を流れる芥川は阿久刀に由来すると先ほど読んで、とても古い神社であることは確実視してよい。また式内というからには延喜式にちゃんと記される。だが、面白いと言えばいいか、式内神社であるのに嵯峨の阿刀神社はあまりにも狭い境内で、ほとんど忘れ去られているように思えた。阿久刀神社もよく似たところがあるが、まだどこかの村の神社かといった雰囲気があり、筆者はこの神社を訪れたことで高槻市の印象が随分変わった。高槻駅前の喧噪が高槻の本性と今まで思って来たのは、大きな誤解で、高槻は古代から賑やかと言ってよい地域だ。同じことは日本中どこでもと言えるかもしれないが、たとえば大阪市の繁華な、緑がほとんどないような街でも、同じように古代から人が大勢行き交った地域はあり、現在の代表的な様子だけで推し量ってはならない。筆者には繁華街はだいたいは新しく開発された「新地」に出来るという思い込みがあるが、そうとは限らないということだ。
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 これも先ほど知ったが、式内神社は官幣と国幣に分かれ、またそれぞれ大社と小社があるが、官幣大社は畿内に大半があり、官幣小社はすべて畿内にあるという。朝廷の神祇官が直接に神社に幣帛を手わたす場合を官幣、それが無理な畿外は国司がそのことを執り行ない、国幣と言うが、官幣が国幣より格は上だ。また幣帛は誰しも想像出来るようにたとえば御幣だ。だがそれだけでなく、神饌を含む。これは当然で、いつの世も何事も金次第だ。それはともかく、官幣大社と小社を合わせた数が国幣大社のそれとだいたい同じで、また国幣小社の数はその6倍ほどの2200を超える。興味深いのでもう少し引用しておくと、朝廷の権力の及ばない神社があった。それを式内に対して式外(しきげ)と言う。熊野那智大社がそうだと言うが、そこら辺りの事情を調べると面白いだろう。また神仏習合で仏を祀る神社も式外で、そうなれば僧侶が管理した神社もそうなる。石清水八幡宮がそうだと言うが、金毘羅もそうだ。さて、よく官幣中社という石碑の文字を見かける。梅宮大社がそうだ。『延喜式』には大社と小社の区別しかなかったはずなのに、中社とはどういうことか。神社の格は明治になって改められた。これを近代社格制度というが、『延喜式』に倣った部分がある。社格は官社、諸社、無格社の3種で、伊勢神宮が最上で社格なしとされた。梅宮神社の官幣中社はその近代社格に倣ったものかもしれないが、確かなことはわからない。というのは、その文字はセメント埋められていたように思うからだ。そう思って調べると、現在は神社本庁に属さない単立神社とのことで、そうなった時点で官幣中社の文字を消したのだろう。単立は寺にもあり、これはいわば組合に属さないということで、結婚でたとえると、見合いでも恋愛でもなく、同棲ということになるか、あるいは結婚届けを出さないかだ。いろんな事情があって、何でもひとくくりには出来ないものであることを大人になれば知る。神社も同じで、厳密に決めることは出来ないことは多々あるのだろう。それをいい加減と言ってはならない。厳密に決めなくてもどうにか事が回って行くことが理想で、最低限のことだけを守ればいいのではないか。法律もそうで、それがたくさん出来るほどに人間は不幸になる。理想は法律がないことだが、それでは困ることがあるので決めて来たが、その決め事は最小限がよい。さて、阿久刀神社は江戸時代には住吉大明神と呼ばれていたそうだが、「阿久刀」では馴染みがなかったからか。そこら辺りもどこかいい加減なところを思わせるが、式内神社であったことは確かなようで、地元住民はそれを誇ってよい。今日の写真にあるように、本殿以外に摂社末社がある。近代社格制度が出来た頃に近隣の諏訪神社などが境内に移転したというが、道を造るために邪魔になったのかもしれない。あまり心ないことを言ってはならないが。
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by uuuzen | 2016-03-30 23:59 | ●神社の造形
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