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●神社の造形―御香宮神社、その1
の長いことは嫌われる。ところが高齢になると話は長くなり、若い人からはさらに疎まれる。家内が言うには、梅津のスーパーのレジはみな20代の女性で、70代の男性がレジが終わっているというのに彼女たちに話しかけ、それが長々と続いて後ろに並んでいる人をうんざりさせる場面をよく見かけるとのことだ。



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そのような場面は筆者もよく目撃する。筆者も顔見知りの若い女性のレジ係が出来るとそうなるかもしれない。そしてその女性やほかの人にも迷惑をかけていることに気づかない。老人は老人と長話をすればよいが、そういう仲間のいない孤独な人も多いだろう。その点、女性は高齢になって友人と話すことが多くなるように思うが、そうとばかり限らず、家内は嵐山に住んで30年以上にもなるのに、ほとんど話が出来る他人がない。筆者は自治会長をしていたこともあり、また話し好きなので、すぐに誰とでも仲よくなるが、それはお互いの家にまで訪れてというものではなく、立ち話程度だ。家内にはそれすらもなく、これからますます孤独になって行くに違いないが、高齢者同士の友だち関係は高齢になってから出来るものではないだろう。世代は多少違っても馬が合う人と20年、30年というつき合いがあるのではないか。ともかく、高齢になると遠方の知り合いと会う機会は減るし、また少しずつ知り合いは死んで行くから、スーパーの若いレジ係の女性をつかまえて話を始める高齢の男性の気持ちは理解出来る。女性はお客さんであるから怖い顔は出来ず、かといって後に何人も並んでいるとなると、どう話を切り上げたものか、内心は店長の恐い顔を思い出しながら、早く老人が話を切り上げてくれないかとはらはらしているだろう。ところが老人は一向にそんな迷惑をかけているとは考えない。これは空気を読まないと表現され、嫌われ者としてのもっともわかりやすい条件だ。
●神社の造形―御香宮神社、その1_d0053294_038763.jpg 筆者は話は長い方で、それはこのブログからわかるだろう。だが、このブログは勝手に書いているものであり、誰かに読めとは強制していないから、空気を読むも何も、筆者の気晴らしになればそれで用を足す。だが、中には文字が多く並ぶことに顔をしかめ、しつこい老人と思う人はいるだろう。いや、そういう人の方が圧倒的に多いに違いない。それで多少は世間の空気を読んで自粛し、もっと短い文章で言いたいことをまとめる必要も思わないでもない。だが、やはり長文になってしまうのは、それだけ筆者は高齢になり、傍若無人を気にしなくなっているのだろう。これは「開き直り」ということだが、世間に遠慮せずに思うようにやればいいとの高齢者特有のわがままだ。そのように自分の行為を時に省みることは必要だが、それは最初に書いたように、「他人の振り見てわが振り思え」で、他人に迷惑となるようなことはなるべく慎もうという考えによる。ま、ブログは好きにやるが、人を相手に話す場合はやはり自分が相手にどう映っているかを考える必要はある。筆者はそれをつい忘れてひとりで話を別な方向に持って行きがちで、相手よりも筆者ばかりが話すということになる。これは相手が退屈しないようにとの配慮もあるが、自分が喋りたいという理由が一番大きいだろう。それは普段筆者は家にこもってひとりでいるからで、話し足りないからとも言える。そしてその欲求をこのブログで吐き出しているとも言えるが、話すことと書くことは違う。書くことはひとりであり、また口から実際に声を出さないので、話すよりエネルギーは必要がない。そして、たまに誰かと話すと話し過ぎて後で疲れるが、その疲れは体力を使ったからというのではなく、気を使ったことによる。つまり、会話はかなり精神を消耗する。それは話していて楽しい反面、相手に気を使うからだ。だがそれは当然で、親しき仲にも礼儀ありで、親子は夫婦であっても同じだ。そして、話をして気分的に疲れた時は、文章を書くことの気楽さが心地よい。それでこのブログが毎回長文になる。そして、スーパーの若いレジの女性に笑顔で話しかける老人は、おそらく文章など全く書かないから、誰かれかまわず見つけては話をすることで生きている実感を覚える。その行為は本人を大いに満足させるが、はた迷惑であるから、老人の生とはただただはた迷惑なだけと言える。そのため、筆者のように文章を書けばいいかもしれないが、これは老人になったからと言って急に出来ることではない。
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 さて、今日から4回という長話の予定で伏見の御香宮神社の写真を載せる。息子が近くに住んでいて、ごくたまに夫婦で出かける。写真は去年10月14日に撮った。当日息子は仕事が休みで、筆者は大手筋商店街で昼食を済ました後、商店街を東に抜けて御香宮神社へ散歩することを提案した。それで何年ぶりになるか、家族3人で歩いた。以前に書いたことがあるが、この神社には息子が小学3,4年生の頃に何かの催しに参加し、バスで訪れたのが最初だ。大手筋商店街はそれ以前から知っていたが、この神社の境内には入ったことがなかった。家族3人で訪れるのはその日が初めてで、筆者はこのブログへの投稿を考えてカメラを持参し、そして予定どおりに境内の鳥居などを順に撮った。摂社、末社の名前は後でネットで確認すればいいと考え、さきほどヤフー・ボックスに加工して保存してあった写真をダウンロードし、それらを撮影順ではなく、投稿すべき順に並べ換えた。全部で16枚あり、また同神社のホームページに載る境内の配置図と見比べながら、摂社の名前を知った。全部の建物を撮影したと思っていたが、実際は最北の東照宮を撮っていない。その理由は思い出せない。見落としたはずはないが、自分を過信することは慎むべきであろう。うっかり忘れるということがよくあっておかしくない年齢になっている。せっかく4回も投稿するのに、神社をひとつ撮り忘れたとなれば、また赴いて撮って来ようかと思わないでもないが、筆者のオンボロ・カメラではいい写真にはならず、ネットにいくらでももっと見栄えのよい写真がある。それで今日の4枚のみならず、4回続く投稿のすべての写真が何となく色あせて思えるが、10月中旬の昼下がりの光は写し出しているであろうから、筆者の日記としてはいいかと思い直す。つまり、他人に向けてのものではない。ひとりごとだ。それはさておき、息子は家内と並んで歩き、家内は息子にしきりに話しかけるが、筆者は今さら息子に話すことはない。息子にしても父親の長話はうんざりのはずで、お互いの関心事には立ち入らない。だが、筆者が御香宮に行こうと誘った時、珍しく息子はそれを拒まなかった。そのことだけでも筆者にすれば感激ものだ。というのは、予定したとおりに事が運んだからだ。せっかく息子が休みの日に訪問し、昼食後に筆者と家内のみが散歩というのはさびしい。近場の散歩ではあるが、めったにない機会だ。ひょっとすればもうないかもしれない。そのように思うと、どこであろうが3人でゆっくりと歩くのはいい。境内に入ってすぐ息子に昔筆者と訪れた時のことを覚えているかと訊く、本殿脇の水御籤のことを覚えていた。くじを買って水に浸すと文字が現われるのだが、よほど印象的であったのだろう。その時は本殿前にしか行かず、その周辺の摂社や末社にまで意識が回らなかった。それが20数年ぶりにじっくりと見ることになったが、前述のように東照宮を撮り忘れた。20数年のうちに、御香宮はそのままでも、筆者の方が老化した。今日の最初の写真は境内南中央の表門の前に立って西の大鳥居を向いて撮った。下り坂となっているが、緑色の高架は近鉄電車だ。3,4枚目の写真は門をくぐって北に進んだところにある拝殿だ。この神社では建物の飾り絵がとても華麗で、それらをじっくり見て行くと1,2時間では足りない。またいいカメラであれば色鮮やかに写るが、筆者のカメラでは無理だ。
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by uuuzen | 2016-03-21 23:59 | ●神社の造形
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