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●神社の造形―御髪神社
色すなわち着色と言えば筆者は白髪染めを連想する。白髪を染めることは子どもの頃から知っていたが、今では黒ではなく、赤や紫など何でもありだ。



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そして、老いの象徴である白髪を隠すためという消極的な理由だけではなく、お洒落としてあえて染めることが行なわれる。これは染めることに手間、つまり金がかかり、豊かな象徴とみなされるとの思いによるだろう。貧乏人は髪のセットに金をかけることが出来ず、髪を染めるのも自分でやるので、見る人が見れば染める金をけちっていることがわかる。男の目からでも女性がどれほど経済的に豊かであるかはすぐにわかる。中年以降になれば特に髪を見ればよい。きれいに整えている人は着ているものまで高価に見えるし、実際そうだろう。また、女性のそういう姿は夫の収入を反映したものであり、女性は自分がそういう夫を支えているという満足を他者に示すことに対して外見を利用する。だが、それはあくまでも経済的な側面であって、その女性が賢く見えるかどうかは別問題だ。むしろ、スーパーに来るにも完璧に髪を整え、厚化粧をし、高価な服を着ているというのは、かなり滑稽で馬鹿に見えることがある。それは筆者が行くスーパーが梅津にあり、だいたいどういう人が住んでいるかを知っているからだ。先日梅津を代表する大きなスーパーのトモイチで、ジーンズにトレーナー姿の40代半ばの女性が目に留まった。髪は短く、また先端2,3センチが金髪だ。全体を染めていたのが1,2か月はそのままにしていたので、根元から黒くなって来たのだ。それはそれでそういう効果を狙っているとも見えないこともないが、きちんと染めている人からはだらしなく見えるだろう。その女性の後ろ姿を見ると、首の中央に青や赤で彫られた蝶の刺青が見えた。それがワン・ポイントなのか、背中にまで別の模様が彫られているのかは知らないが、彼女の夫や子どもを想像した。たぶん夫の稼ぎはいいのだろう。それに子どももやがて刺青を入れるかもしれない。それは偏見がかなり混じるが、世間の刺青に対する見方はそういうものだ。今はお洒落で入れる人はたくさんあるようだが、まだ違和感を抱く人が多数を占める。そのためにたとえば風風の湯でも刺青を入れた人は入浴禁止にしている。以前背中に刺青を入れた20代か30代の男を見かけたが、濡れた体をろくに拭かずに服を着てわずかな時間だけで出て行った。それがいかにもこそこそという感じであった。
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 話の続きを書くと、その後ろ首に調の刺青を入れた女性は筆者らとほとんど同じようにレジを済ました。そして、筆者が家内を待つ椅子から立ち上がろうとした時、ちょうどその女性が目の前にやって来て、同じような年齢のふたりの女性に愛想を振り撒きながら挨拶を交わした。ひとりは170センチほどの身長でまた肉づきがよく、どことなく芸能人崩れの貫禄充分な雰囲気だ。やはり夫の姿を想像したが、ダンプ・カーに乗っているか、金融か、あるいはやくざか。ともかく、その体格のいい女性が買い物車を押しながら笑顔で筆者の脇を通った時、彼女の両手首に目が吸い寄せられた。西洋的な唐草模様の紺色の刺青が両手首にあった。先ほどの女性と同じく、シールなどではない。本物だ。類は友を呼ぶで、3人は近所に住んでいるのか、あるいは親しくなる何かのきっかけがあったようだ。3人を見送ってから筆者は家内と一緒に外に出たが、四条通りに面したトモイチの駐車場の車から、40代の男性とその子どもや奥さんが出て来て、男性が何やら怒っている。「あいつ、自転車ごと轢き殺したろか!」。トモイチに入る直前に自転車とぶつかりそうになったのだろう。その言葉使いは普通の市民とは思えない凄味があったが、梅津とはそういう人種が住む地域だなと思い返した。当然みんながみんなそうではない。だが、筆者が住んでいた30数年前と今とでは、女でも男言葉を平気で使うようになって来た。それは男がだらしないからと言ってよいが、その考えによれば女は男にしたがえという意味に捉えられ、今では攻撃されるだろう。それはともかく、トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』の冒頭にあるように、金持ちはみな似ているが、不幸はさまざまで、ムーギョやトモイチにやって来る客からもそれがわかる。後者がはるかに多く、また前者らしき人も賢くは見えない。だが、そういうところに筆者は買い物に行き、きっとほかの人物からは馬鹿か貧乏人に見えているだろう。服装に気を使うこともなく、何をして生きている人かきっとわからないに違いない。
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 筆者は年々髪が白くなって、もうすっかり年齢相応だが、家内に言わせると、後ろ髪だけは黒く、また成長がかなり速いらしい。それは確かで、前髪が少なくなって行く速度とは明らかに違う。これは頭の前部分をよく使うからかと言えば、それはどうなのだろう。それはともかく、髪が白いことを半ば隠す意味合いもあって、筆者は帽子を外出時には必ず被る。それで帽子をよく買うが、前に買ったものを忘れていることがある。それでもまた買いたくなるが、帽子はかさばるので置き場所に困る。形が崩れてはまずいものもあるからだ。帽子を被っていると、白髪を隠しているという意識がどこかにあって、そのことが体全体の表情に表われているのではないかと思うことがある。隠すことはよくないという一種の後ろめたさだ。だが、白髪を染めることも同じだろう。染めるよりかは帽子で隠す方がまだ正直ではないか。どちらがお洒落かはわからないが、まさか男が赤や紫に染めることはないので、男の場合の白髪隠しは、筆者にはとても格好悪いことに思える。だが、TVを見ていると染めている人はとても多い。顔に皺が多いのに、髪が真っ黒で、また艶がない。それは却って年齢を感じさせる。TVに出て顔を売る人は少しでも若く見られたいので白髪を染めることもそれなりにエチケットとして許されるだろうが、一般人では昔は「やつし」と呼ばれた。だが、今では白髪でなくても髪を染めることはお洒落とみなされ、老人も抵抗がない。筆者は絶対に染めないが、それはやはり嘘はつきたくないからだ。それに第一、面倒ではないか。だが、それは筆者がほとんど人に会わないからで、そうではない人には身だしなみに気を使うことは常識とされる。また、会社員では帽子を被ることはあまり許されないだろう。その意味で筆者が帽子を被るのは、自由業であることを示したいからかもしれない。
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 TVを見ていると、髪を染める薬剤のコマーシャルがよく目につく。髪を染めるのは美容院か床屋かと思っていると、自分で簡単に染められるようでもある。だが、金のある人はそんなことはしないだろう。家内も白髪がかなり目立って来ているが、10年ほど前に白髪が出始めた時は半狂乱になって毎晩筆者に切らせていた。それでは追い着けないほどに増え始め、ついに断念すると、周囲からは染めればいいと言われ始めた。だが、一度も染めずに今に至っている。それは筆者の考えにしたがってのことだが、筆者は染めるなとは一度も言ったことはない。本人は染めるにも金がかかると遠慮しているのだろう。また、筆者と出かける時には筆者と同様、必ず帽子を被るので、それで白髪隠しにはなっている。さて、前置きが長くなった。去年の9月下旬に嵯峨野を散歩した。その時はカメラを持参せず、今日取り上げる神社を撮影出来なかった。それで10月5日にまた出かけた。相変わらず観光客は多いが、今日の写真には彼らを写さないように心がけた。それでとても静かな雰囲気に見えているが、実際は大量の人で溢れ返っていた。それは今日も同じだろう。5月の連休が終わって雨が多くなり始めると多少観光客は減るが、それでも嵯峨野は人気で、竹林は清水寺参道と同じ状態になっている。さて、御髪神社を知ったのは去年の秋だ。嵯峨野の奥の池の畔に神社があることは何となく知っていたが、その名前までは知らなかった。それがTVで日本で唯一の髪結いの神社であると紹介された。嵯峨野と言えば野々宮神社がとても有名で、そこも常に大勢の人で賑わっているが、その先に池があり、その奥に赤い幟旗や玉垣があることはあまり知られないだろう。嵯峨野にやって来る人のどれくらいの割合が大河内山荘を訪れるのか知らないが、100人にひとりもないだろう。その大河内山荘のすぐ北にこの神社はあるが、目と鼻の先にトロッコ列車の嵐山駅があり、それを利用する人がついでに立ち寄る場合が多いようであることを写真を撮りながら思った。つまり、立地はとてもいい。池の畔の細道を北に抜けると二尊院や祇王寺、滝口寺があるが、竹林以外も見たい人は外国人観光客では特に稀ではないか。それはともかく、小倉山沿いのひっそりとした地域に池があり、その畔にある神社は嵯峨野に彩を添えている。竹林を抜けてごく狭い範囲に池や神社、そして寺と、次々と景色が変わって嵯峨野全体が幕の内弁当のように思える。
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 御髪神社の玉垣はなかなか壮観だ。鬘のメーカーなど、髪に関係する、つまり理容業界がお詣りしている。日本でここだけとなれば、それも当然だ。なぜこのような神社が出来たかだが、日本最初の髪結いの人物を祀っている。名前からして平安時代だ。江戸時代まで日本は身分によって髪型が違い、また女性にとって長い髪が命のように大切であった。江戸時代の女性の複雑な髪型は、現代以上の美に対する意識の強さが見られるが、それは西洋でも同じで、手間のかかる髪型ほど身分の高貴さを示した。それに比べると髪を染める程度はごくごく素朴な庶民のお洒落と言うべきだ。髪結いの神様とすれば女性がもっぱら訪れるかと言えば、今は禿げ頭を気にする男性の方が多いのではないか。若禿げになった人は藁をもつかむ思いで参拝するかもしれない。また、髪は頭を保護するから、そこからこの神社は賢くなるようにと、まるで天満宮のようにも思われて受験生も訪れるようだ。池の畔の山裾であるので、境内は広くないが、社務所があり、中にひとりの老婦人がいる。筆者らが訪れた時は5時前で、そろそろ帰り支度で、嵯峨野から人が去る時刻に営業も終える。営業というのは、絵馬やくじの販売で、お祓いもしてくれるのだろう。髪の少なさに深刻な人は日本全体ではこの神社ひとつではとても捌き切れないほど多いはずで、京都あるいは嵯峨野に来たついでに立ち寄って行こうと考える人はそれなりにいるだろう。境内に毘沙門天だろうか、大きな石像が一体立っていて、参拝者の方を、向いている。そのほかには見るべきものはないが、池の畔から北を臨むと、電線など現代を思わせるものが一切目に入らず、これが嵯峨野かと思わせる静寂な景色が広がる。この眺めは昔から変わらないが、どうにか嵯峨野にはまだそういう部分が残されている。だが、池の畔の細い道を北に進むと、女性が声をかけて来る。喫茶店に入ってほしいのだ。30年ほど前ならただの民家であったのが、観光客増加に伴って喫茶店に改装する家が増えた。派手な看板がないからまだいいが、俗化とは言える。嵯峨野にはここと野々宮以外に神社はないようで、そうとなれば昨日書いた阿刀神社の存在が大きく思える。
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by uuuzen | 2016-03-18 23:59 | ●神社の造形
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