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●神社の造形―式内阿刀神社
れられたような神社かもしれない。予備知識なしで京取り上げる神社を見つけた。家内とは散歩がてらに梅津のスーパーによく行くが、同じ右京区なら梅津の北の嵯峨にもスーパーはある。



●神社の造形―式内阿刀神社_d0053294_17424924.jpg筆者は嵐山に住む前は梅津に数年いたことがあるので、嵯峨よりも梅津に足が向きがちだが、嵐山からでは渡月橋を利用すると梅津に行くよりもむしろ嵯峨のスーパーの方が近い。にもかかわらず、めったに行かないのは、渡月橋を越えるのが億劫であるからだ。観光客がいつも多いことがその一番大きな理由だが、観光客がいなくても渡月橋は何となく買い物に行くのに利用しにくい雰囲気がある。嵐山にもスーパーは1軒あるが、品揃えがよくない。梅津には3軒のスーパーがあり、競争している分、安いとは言えるが、どういう商品がどの程度の価格であるかはもうよくわかっているので、時にはもっとほかのスーパーへという気になるが、そういう時には物集女街道を下がって区役所近くまで行くか、それとも嵯峨に向かう。区役所をもっと南下して樫原にもスーパーがあり、また嵯峨でもさらに東にもあって、ごくたまにそういう遠方にも行くことがある。今日取り上げる神社はその嵯峨のさらに東のスーパーに行く途中で存在を知った。なぜそんなに遠くのスーパーに行く気になったかと言えば、去年夏の地蔵盆の後の足洗いの際、自治会の会計やFさんがそのスーパーで寿司のパックをまとめて買って来たからだ。そのスーパーは樫原にもあるが、大阪が本社で、確か50年ほど前に出来たと思う。それが京都に進出して来た。寿司のパックが目的ではないが、一度店を覗いてみたくなり、家内と徒歩で行くことにした。去年10月2日のことだ。地蔵盆の足洗いから1か月少々だ。地蔵盆の頃はまだ蒸し暑く、とても歩いて行く気になれないが、10月ともなれば汗ばむことはない。嵯峨のスーパーというのは、鹿王院近くに2軒ある。片方は梅津にもあるチェーン店だが、そこから300メートルほど東のスーパーは魚の品揃えがよく、昔の市場がそのままスーパーになった雰囲気で、商品は珍しいものが目立つ。今年になってそこもたまに行くようになったが、寿司のパックが安いという神社はそこからさらに東で、その距離感がわからなかった。丸太町通りに出てひたすら東に向かうとついにあったが、とても遠く感じた。実際はそれほどでもないのだが、初めて歩く道ではまだかまだかの思いから遠く感じる。丸太町通りのその辺りは市バスではたまに通るが、歩くのはまた感覚が違う。そして歩けば何か珍しいものが目に留まる。それが京都取り上げる神社だ。
●神社の造形―式内阿刀神社_d0053294_1743177.jpg 目指すスーパーが遠くに見えた頃、ふと路肩に石碑を見かけた。それが最初の写真だ。こんなところに石碑がと思って文字を読むと、神社ではないか。それで家内に先にスーパーに行かせ、筆者は境内に入ることにした。それは写真からわかるように蛇のように細くて曲がった道で、どんどん奥へと続く。駐車場に囲まれた道であるからいいようなものの、これが民家が迫っていれば入りにくい。途中で道は分かれていないので、そのまま祠の前までたどり着く。背後に五階建てのマンションがあって、それは丸太町通りに面しているのだろう。今日の4枚の写真はみな縦長だが、それほどに左右の視界は閉ざされている。このように境内の狭い神社も珍しい。祠のそばに大きな神木が一本立っていて、それらを避けながらのマンション建設は大変であったことだろう。マンションはまだ新しいようだが、となると駐車場となっているところにもいつか建物が出来る可能性がある。そうなってもこの神社を取り壊すことはしないだろうが、社務所はなく、神社は誰がどのように管理しているのだろう。どこかの大きな神社の摂社かもしれないが、先ほどネットで調べると昨日取り上げた錦天満宮よりも歴史は古い。そういう神社ならば現在駐車場になっているところも元は境内であったのだろう。それがリンゴの芯だけが残るような形で現在の姿になった。歴史のある神社ということで、ひょっとすれば神社の土地を所有する人が、祠前の道つまり細長い参道だけは残して丸太町通りの歩道とつなぐことを考えたのだろう。それは祟りでもあれば怖いという思いからだと思うが、実際のところはわからない。石碑を見かけてわざわざ奥まで入って行く人はよほど物好きだと思うが、誰かが清掃をし、また賽銭などの管理をしないことにはたちまち荒れてしまうので、宮司の資格を持った人が土地所有者になっているのか、あるいは地元の自治会で守りをしているのか、その奥深ったところにぽつんとたたずむ様子は穴場という言葉はふさわしくないかもしれないが、神社が好きな人には落ち着く空間であろう。ただし、なるべく背後に迫るマンションを見ないようにしたい。1000年以上前からある神社となれば、今後もマンションよりずっと長生きするであろうし、そう思えば背後のマンションは気にならないどころか、幻のように思える。つまり、人の存在は一瞬だが、神社つまり神は永遠ということだ。またそのようなことを思わせるところに、神社の存在意義もある。
●神社の造形―式内阿刀神社_d0053294_17431698.jpg ネットによれば阿刀が何の意味であるかは諸説がある。弘法大師の母方の家系を祀るそうだが、あまりに古いことで現実味がない。1000年前をあまりに古いと言うのは人生に比較してのことだが、比較するものが違えば1000年は短くなる。書かれたものを証拠と考える現代人にとっては、伝承は眉唾ものと思いがちだが、その書かれたものがいつの時代かに間違いが混じる可能性もある。それに書かれた時点が始まりではなく、それまで長年言い伝えられて来たことがようやく書かれるという場合もある。むしろその方が多いだろう。それはさておき、この神社はどういう御利益があるとなれば、それを示す看板など一切ない。となれば阿刀家のいわば墓のようなものか。ネットによれば農業神を祀るとあるが、それは一種のこじつけであおう。無難ところを言い伝えたと言ってもよい。農業神というのは、この辺り一体が広い野原や田畑であったからで、その姿を想像することは難しくない。今はマンションが建つほどに人口が増えているが、丸太町通りやJR,民家を次々と頭の中から消して行くと、この神社が広々とした平原にぽつんと建っている様子が見えて来る。そして当時の阿刀家は先祖を祀り、また無事であることを祈るために祠を建てたのだろう。この神社から西が嵯峨となるが、丸太町通りを越えて北に向かうと広沢池にぶつかる。その道を筆者は歩いたことがないが、広沢池には去年二度行った。その時に池の畔に神社があることを知りながら写真を撮らなかったが、このカテゴリーのために今度はこの神社の前から北に向かうのもいい。さて写真を撮り終わってスーパーに行くと、初めての店内で品揃えが珍しい。例の寿司パックも見つけた。それなりに買い物を済ませて家内と今度は別の道を通って帰った。スーパーの南に出てせせこましい民家の間を縫い、JRの線路を越えてやがて鹿王院近くに出て来たが、初めて歩く道でそれなりに面白かった。
●神社の造形―式内阿刀神社_d0053294_17432723.jpg

by uuuzen | 2016-03-17 23:59 | ●神社の造形
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