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●神社の造形―近江八景欄間彫刻
のいいものを見に行くために展覧会に行く。それには定評のある作品が多い方がよい。趣味で絵を描いている一般人がたくさん出品する公募展が退屈なのはそのためだ。



義理は大切だが、その軽重を量って選択しなければ自分の時間が持てない。だが、半ばいやいやながら出かけた時に思わぬ収穫があることも確かで、運動不足になりがちな高齢者はなるべく機会を作って出かけた方がいい。これは自分に向けての言葉だが、従姉の旦那さんを見ていると、年齢は70半ばを過ぎているのに、自転車でよく遠出をしてまるで若者並みの体力を持っていることに驚く。その遠出はとても筆者はかなわない。往復50キロ以上で、しかも途中で飲まず食わずというから、変な言い方だが、高齢になって狂ったように外出好きになっている。それはどこでもいいらしいが、筆者が神社巡りをしていると言うと、それに倣って長岡天神や石清水八幡宮などに続けさまに赴いている。それらの有名な神社は筆者はまともには参拝したことがなく、このブログのネタのためにいずれ行こうと思いながら、まだその機会がない。それなのに、その旦那さんはいとも軽やかに自転車で梅津から行って来たと言う。筆者は電車を使うことを考えていたが、わが家からでも自転車で充分往復出来る距離だということにはっとさせられた。それは健康にもいいだろう。またそんな遠くの神社に自転車で行くのであれば、そこに至るまでに小さな神社はいくつもあるはずで、ネットの地図で下調べをして出かければ、電車で長岡天神や石清水八幡宮にだけ行くこととは違っていくつもの発見があるだろう。それはさておき、今日からまた「神社の造形」のカテゴリーに投稿し始める。多くの神社の写真を撮りためていて、それらを撮影順に載せて行くが、ほかに投稿するネタがない時のための埋め草だ。それが目的で撮り始めたのではないが、うまい具合にそのように役立てることが出来る。去年10月下旬から投稿が途絶えているので、5か月ぶりの再開だが、当然のことながら去年の秋以降に撮った写真から使う。
●神社の造形―近江八景欄間彫刻_d0053294_1275350.jpg

 今日は神社の写真ではなく、先月29日に出かけたMIHO MUSEUMでの『かざり 信仰と祭りのエネルギー』の内覧会で目を引いた作品だ。それは大津祭の源氏山を飾る欄間で、享保13年(1718)のものだ。若冲が生まれて間もない頃のもので、それにしては保存がとてもよい。もちろんその彫りの技術もそうで、こういう立派なものを地元の自治会が大切にしている。祇園祭もそうだが、歴史と伝統のある町は違うということだ。これがもっと地方であれば、鄙びた味わいのそれなりのよさはあるが、洗練さに関しては上方のものには及ばないであろう。大津祭は祇園祭のようには有名ではないが、こういう作品を間近に見ると、一度はつぶさに見ておきたいという思いになる。本展ではほかにも大津祭の山に使われる染色品が出品されたが、最後におまけと言えば語弊があるが、甲賀市指定文化財の「玉取獅子図内幕」が展示されていたのが強く目を引いた。これは祇園祭でも使われるのと全く同じ李王朝の綴織で、しかも状態がとてもいい。当時朝鮮では同じような図柄でたくさん織られたのであろう。それが京都だけではなく、水口町にまでもたらされた。そういう高価なものを買うだけのゆとりが同町にあったことになるが、水口でも大津と同じ曳山祭があって、祭りのためとなれば村人も奮発したのであろう。高くついても何十年、何百年と使えるのであれば安いものだ。当時の人がそう考えたのかどうか知らないが、金は使う時には使うというハレとケの意識があった。今は年中祭りをしているような生活で、そのために特別に張り込む買い物という意識が希薄になった。それは節目のない生活とたとえてよく、だらだらと詰まらない人生を惰性的に過ごすことにつながる。したがって高齢になっても自転車で思い立てばその日にも50キロや60キロは走れるほどの体力を身につけておくべきだ。人間は何が一番大切かと言えば、自分の足で好きなところにいつでも行くことが出来ることだ。金がいくらあっても病気ではつまらない。誰もがそう思うから、老人は神社にお詣りして、ぽっくりと逝くことを願ったりもするが、従姉の旦那さんはそういうことも考えずに、ただ動きたくてたまらないから出かけているという感じだ。
●神社の造形―近江八景欄間彫刻_d0053294_128549.jpg

 さて、今日の写真は題名にあるように大津の曳山祭に使われる欄間の一部で、近江八景のうち「唐崎夜話」を表わしている面の右端だ。2枚目の写真にオレンジ色で囲った部分だ。そこに神社と鳥居の小さな木製の模型が据えてある。そのクローズアップが最初の写真だが、これは筆者が撮った。この神社は唐崎神社で、松で有名なところという程度のことは知っているが、筆者は訪れたことがない。自転車で行くのは無理だが、充分日帰り出来る近さで、この欄間を見たからにはいずれ出かけたい。この小さな社の模型は、このカテゴリーの最初に投稿した郷土玩具の「松江のお宮」と同じ程度の大きさだが、屋根の向きが90度違う。だが、これが本当で、江戸時代の玩具の本でもこれと同じ向きで作られている。それがなぜ「松江のお宮」では変えられたかだが、屋根の反りが作りにくいからだろう。それに左右対称性や扉を強調するのであれば、本物の社では少々具合が悪いと考えられたのであろう。筆者はたくさんの神社を訪れながら、「松江のお宮」と同じように、切妻の破風が鑑賞者の方を向く小さな社がないかと思っているが、これまで出会ったことはない。ネットではそういう写真を見かけたことがあるので、「松江のお宮」は現実らしくない社とは言わないが、きわめて珍しいと言ってよい。だが、掌に乗るような社の模型を作るとして、切妻の向きが鑑賞者の目に入らないように左右側にあるのは、せっかくの破風の美しさを表現しにくい。だが、欄間の一部として組み込まれた唐崎神社の社は、その破風が鑑賞者によく見えるような角度で設置されている。側面に金箔を貼り、柱には金色で金具模様を描いていて、社はまるで側面に見応えがあると言いたいようだ。「松江のお宮」は玩具であるので、こうした欄間の一部である社とは同じようには考えられないかもしれないが、大きさは同じほどでどちらも木製だ。筆者はいつか「松江のお宮」を作ってみたいと思っているが、それを復元するのではなく、それが倣った過去の社の玩具を復元したいと言った方がよい。もちろんそれはもうどこにもないが、そのひとつの例がこの欄間の一部にあるのではないかと思う。前述のように江戸時代の玩具についての本に載る「松江のお宮」の元祖となった社は、この欄間に組み込まれる社と鳥居のセットで、「松江のお宮」は屋根の向きを90度回転させ、しかも直線ばかりで表現して作りやすく改造している。それはそれでいいのだが、社の最も素朴な形はどういうものかということを、たくさんの神社に行くだけではなく、文献を繙く必要がありそうだ。
by uuuzen | 2016-03-13 23:59 | ●神社の造形
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