休みの日にのんびりと家で昔の映画でも見るという人は多いだろう。筆者は何年も前に買ったDVDを見ないまま埃を積もらせている。その気になれば今すぐにでも見られるのに、その気になれないのは多忙ということだけが理由ではない。
多忙は言い逃れには最適の理由だ。本当に必要とあれば多忙の中の予定の最初にどんなことでも位置づけられるものだ。筆者はついでが好きで、どこかへ出かけた時にはいくつかのことをこなす。だが、家の中でDVDを見るのは改まった行為で、ついでではない。その点がしんどいのかもしれない。ということは、筆者に休みの日はないことになりそうだが、そう言えばこのブログにしても毎日投稿を原則としているから、映画を見たり展覧会に行ったりしてもその感想を書くというひとつの義務感が心のどこかにあり、休日であるのでのんびりと映画でも見るというのとはやや違った生活をしている。それはさておき、このカテゴリーの投稿は少ないが、それほどに筆者にとって映画は重要でないからだ。筆者が一番楽しめるのは、京都文化博物館の映像シアターでごくたまに見る昔の邦画だが、来ている人たちは95パーセントが70代で、椅子の上から覗く髪がどれも白い。筆者のその部類で、昔を懐かしんで見に来ていると、傍からは見えるだろう。だが、懐かしむのではなく、筆者にとっては初めて見る作品ばかりで、新鮮な驚きを期待してのことだ。筆者は60代前半なので、一回りほど年配の人たちよりは戦後直後の映画については知識がない。それで昔の映画と今作られたばかりの映画のどちらが見たいかとなると、今のことは今生活しているのでわかっているつもりで、やはり幼すぎて知らなかった昔に関心がある。それはさておき、原節子が去年9月に亡くなり、文化博物館の映像シアターでも特集が組まれ、筆者は『続・青い山脈』と『山の音』を見た。前者は前編を見ていないこともあって、このブログに感想を書かなかったが、後者は前者よりかなり面白かった。それで感想を書いておこうと思う。見たのは1月31日で、原節子特集の最終日であった。ついでながら書いておくと、去年12月18日であったと思うが、同じ会場で『白痴』を見た。そのことを少し書いておく。
ドストエフスキー原作のこの小説はかなり分厚く、筆者は10代後半から気になり、本も買ったのに、読んでいない。それでというのでもないが、黒澤明がこれを翻案し、また原節子を使って撮ったというので、興味津々で出かけた。だが、これは原節子特集としてではなく、「映画日本百景 北海道~青森編」と題した特集の1本だ。ロシア文学となれば雪の古寒い地方でということになったのだろう。裏日本ではなく、思い切って札幌で撮影し、昭和26年(1951)当時の珍しい風景が見られることも見物のひとつになったようだ。だが、この映画、期待して出かけたのに、始まって20分ほどして寝てしまい、ほとんど前半は記憶にない。その最大の理由は、撮影したフィルムを興業的に効率のよいものにといて会社の意向から半分近くに縮められ、文章で説明するしかなかったからだ。短縮されたとはいえ、2時間46分の作品で、娯楽を求める人からすれば退屈過ぎる、また難解な内容で、全くの失敗作と思える。始まってすぐに小説を読まされるような長大な文字の画面が流れたが、その文字はコントラストがきわめて弱く、4分の3以上は読めなかった。また朗読もあったが、それもほとんど聴き取れず、何のことやらさっぱりわからないまま物語は進んだ。黒澤がこんな駄作を撮ったのかという驚きと、また彼の代表作にこの作品が入っていないことの理由がわかったが、それが当初の5時間近い分量から半分近くが削り取られたためとは一概には言えない。小説を、しかもドストエフスキーのそれを翻案して映画化することは、いくらその小説に惚れ込んでいても、面白い作品にすることはほとんど不可能ではないか。それでも最も印象に残ったのは原節子の表情で、それは今までの彼女の映画では見たことのないものであった。妖艶な雰囲気を湛え、たとえば『東京物語』での役柄とは全く違い、彼女が評価される理由がわかった気がした。ある映画で固定したイメージがつくと、なかなかそれを破るような役は回って来ないのだろうが、黒澤は原の別な面を大いに引き出し、この映画をどうにか特異なものとすることが出来た。だが、原は同じような雰囲気を与える映画をほかに撮ってもらえなかったであろう。女優は監督の言いなりでどのようにも演技すると言ってしまえばそれまでだが、もっといろんな雰囲気を残してほしかった。
さて、『山の音』は川端康成の同名小説で、この映画は『白痴』から3年後で、筆者は当時3歳であった。この小説も読んでいないが、小説を読まなくても映画は映画として楽しめばよい。この小説が完結しない間に映画は撮影されたが、監督の成瀬巳喜男も原作に忠実であるべきとは考えなかったことがわかる。小説も映画もどちらにも見所があるはずで、筆者はこの映画には印象深い場面がいくつもあって、ふとした拍子によく思い出す。小説と映画の最大の違いは、小説では原が演じる尾形菊子は上原謙演じる軽薄な夫の修一と離婚しないことだ。つまり、耐える妻として嫁ぎ先に残るが、映画では妊娠した子を中絶し、きっぱりと家を出るところで終わる。夫婦の間がなぜそのように冷え切って行ったかは描かれない。小説ではその辺りのことはどうか知らないが、夫からすれば妻との性生活が物足りないのだろう。そういうようなことが台詞の中にあった。確か「子どもみたいだ」という表現であったと思うが、水商売女とは違って、夜の営みにそう得意でない妻というのはいくらでもあるだろう。性の相性がよくないので、夫は別の女を求めるが、妻としてはたまったものではない。だが、菊子は耐える。そういう菊子を見て、同居している舅の山村聡が演じる信夫は、大いに同情し、息子の不倫相手を探し出して会いに行ったりもする。その女性がとても色っぽく、映画を見る者はそこでその女性と原節子を比べてしまう。そういうところが映画の強みで、読者の想像に委ねる小説では雰囲気ではわかったつもりになっても、現実の女性となれば想像しにくい。そこを成瀬監督は原ともうひとり、いわゆる女性っぽい美人を起用し、なるほどと思わせる。その浮気相手の女性は夜の女らしいかと言えば、そうでもなく、原に比べればどこまでも女という感じで、また夫の言うことは何でも聞き入れるようなところがある。一方の菊子は夫の行動に文句ひとつ言わずに耐えているが、誰にも相談せずに中絶し、また家を出る決心をするなど、まるで現代的な、つまり男と対等に生きて行こうとする活発な女性で、監督はそこを表現したかったのだろう。それが小説では夫と別れないというのであるから、川端の女性観は成瀬監督とは違ったのかもしれない。ともかく、夫と別れることにした菊子の姿は、先の『白痴』ほどでもないが、きりりとして大人の女を感じさせ、この映画が当時の同世代の女性に与えた影響は小さくなかったのではないかと思う。
筆者が修一であれば、どっちの女を取るかと考えると、原のようなタイプは男女の関係抜きで親しくなるのはいいが、女としてはあまり魅力を感じない。それは原がかなり体格がよく大柄でもあるからだが、『白痴』での原を見ると、女としての魅力が並み外れてあるようで、全く女はわからないとこの年齢になっても思う。つまり、菊子役の原も実際は原の本性とは違うかもしれず、一方浮気相手の色っぽい女性も実際は男のような性格かもしれない。つまり、女は一種の容器で、男次第でどうにでもなるのではないか。そこがまた男にとっての女のかわいさだが、そのことに修一はどこかで気づきながら、より自分の好みに近い女に近づいて行ったのだろう。それに、菊子の方ももっと修一に甘えればいいものを、その方法がわからないままに頑なになり、かわいさを全く夫には見せずに家を出てしまう。映画ではおそらく修一は浮気相手の女性と再婚して今度は円満に生きて行くだろう。だが菊子がそうなるとは思えない。男への不信感を募らせたまま、その後は独身を通すことが想像される。これは菊子が可愛げのない女であったためと、男の思いで決めつけると、それも少し違う気がする。似たような話はいつでもどこでもあって、どこにこの映画や小説の面白さがあるかとなれば、軽薄は修一とは対照的に舅の信夫が菊子にとても同情的で、それは実の娘が嫁ぎ先から出戻って来て同居した頃からさらに露骨になる。信夫は娘の心配を全くせず、それどころか育て方が悪く、女としてなっていないから出戻って来たかのような素振りで、また実際娘もかなりのわがままで、原とは何もかもが違う。また、この娘は夫と元の鞘に戻るが、菊子はそうではないところに、菊子の激しい内面がうかがえる。日本古来のおとなしい従順な女性に見えていながら、内面は正反対で、浮気する夫にはさっさと愛想をつかせるというのは、当時それだけ女性も自由に生きられるようになっていたことを暗示する。そしてそういう生き方を信夫は否定しないどころか、菊子の側に立ち続ける。川端の小説では主人公は信夫のようで、初老の男が息子の妻に思いを寄せることが主題になっている。また菊子もそういう信夫の思いをよく知っていて、ふたりは精神的には結ばれていたということだ。だが、もちろんお互い手も握らず、ましてや思いを打ち明けることもないが、そこに川端は美学を見ていたのだろう。そしてそのことがきわめてエロテッィクで、それは修一が好きな女のところに走る肉体的な愛情とは違って、いかにも初老の男性にふさわしい。前にも書いたが、蕪村の句にもそのようなものがある。好きになった女があっても、もう自分の人生は時雨れている。
そう言えばこの映画に雨の場面が多かった。台風の場面もあって、撮影が大変であったろう。信夫は鎌倉に住んで電車で東京に通勤している。ひどい雨の夜、鎌倉の自宅前の地道を信夫と修一が並んで向こうからやって来る場面があった。今その道はアスファルトになり、道の両側の家もすべて建て変わったに違いないが、まだ昭和20年代は日本的情緒に満ちていた。そういうことが小説では無理でも映像でははっきりと記される。また映画の筋立てとは直接には関係しないが、信夫の友人が古道具を処分したいと言って、ひとつの能面を信夫が家に持ち帰る場面がある。その面は猩々であったと思うが、子どもの面だ。能面と言えば表情を表に出さないことの代名詞に使われるが、それは菊子のことでもあろう。菊子は修一がどんなにひどいことをしても感情を表に出さないが、内面はそうではなく、しっかりとどう行動するかを決心している。そのことを川端は能にたとえたかったのだろう。そこが純文学らしいところで、三文小説ではまずそんな面倒な小道具は持ち出さないし、また思いもつかない。そして時間が限られた映画ではそういう部分をどれだけ盛り込むかが問題となるが、成瀬監督は能面だけは外せないと考えたのだろう。そういう物語の本筋とは関係のない味つけが、映画全体を印象深いものにする。映画の最後の場面は東京にふたりで出た菊子と信夫がポプラであろうか、背の高い並木の間をふたりで歩きながら語り合う。その並木は今もあるとすればかなり立派で鬱蒼としたものになっているはずだが、近年TVコマーシャルで使われたのではないか。長さは100メートルほどか、その並木が途切れたところまで来た時、目の前に広場が見える。その時、菊子は「東京にもこんな場所があるんですね」と笑顔を見せる。広場では何人かがスポーツをしていたと思うが、どこかの公園だろう。新宿御苑には行ったことがないが、鎌倉となると、新宿の可能性が大きいのではないか。それはともかく、この最後の場面はとても印象的で、ふたり並んで並木を歩いてその先に開放的な広場が見える様子は、菊子の将来を暗示している。それに菊子はとても晴れやかで、ようやく耐えた生活から解放された喜びに満ちる笑顔だ。一方の信夫はどうだろう。菊子の姿をもう見ることはなく、また鎌倉の山手の家に戻り、後はますます老いるだけだ。それは川端の思いの反映であったかもしれない。老いた男は若い女の魅力の前ではなすすべがない。女から愛情を抱かれることはまずないから、せめて女のこれからの佳き人生を願って助言するしかない。だが、女はそんなものがなくても生きて行く。老いた男はまるで役に立たないことを言っているような映画で、残酷な内容と言ってよいが、若い女もすぐに若くなくなり、みんな同じで、晩年には長い休みがあるということだ。