コレクターの心理をくすぐるモランディの絵かもしれない。わずかな差がある複数の絵があれば、そのどれか1点を所有すれば満足出来るようなものだが、わずかな違いを楽しみたいために全部ほしいと思う人がある。
モランディがそのような考えでミニマリズムとも言ってよい、わずかな画題を繰り返しわずかに変化させて生涯描き続けたかと言えば、そうではないだろう。だが、ミニマリズムのアートが生まれてからは、その先駆者としてモランディを位置づける試み今後なされるかもしれない。モランディの作品がルネサンスやそれ以前のイタリア絵画の伝統とつながっているという読み解きはなされて来たし、今後時代をもっとへると、新たに伝統となることの先駆も兼ねていたと考えられても自然なことだ。とはいえ、モランディを伝統主義者と捉えるのは間違いで、一方で地方の画家として孤立し、また同時に世界的に有名でもあって、画家のひとつの鑑となっている。おおげさに売り出す、あるいは時代を画する華々しい流派の代表的人物ではないのに、無視出来ない何か(SOMETHING)を感じさせ、それが大きな魅力になっている。モランディの初の大きな展覧会は1990年に日本で開催され、筆者は4月28日に見に行き、図録も買った。それを手元で見開いているが、先月12日に兵庫県立美術館で見た展覧会とはかなり出品作が違い、90年展の方が多様であったと感じる。今回はモランディが生涯住んだボローニャにあるモランディ美術館から半分以上が借りて来られたが、同美術館は90年展の時点ではなかったのではないか。90年展の図録にはボローニャ近代美術館蔵の作品が数点出品されたが、モランディ美術館という名前は見えない。90年展は個人蔵がかなり多く、借りるのはイタリアが交渉したと思うが、モランディ美術館から一括で借りる方が手間はかからない。それはともかく、モランディのカタログ・レゾネはもうとっくの昔に作られているはずだが、それを見たい思いにかられる。ヴァージョン違いの絵がどれだけあるかを確認するにはそれしか方法がない。また、そのヴァージョン違いのある1点は、別の大きなカテゴリーにも属していて、各カテゴリーがどの順で産み出され、相互にどう関係しているかも知ることが出来る。だが、ほんのわずかな作品を並べる本展のような機会であっても、ある静物画がどのように変貌したかはおおよそわかる。
さきほど1948年の2点と1949年の2点を縦一列に同じ幅に加工して1枚の画像としてみた。これら4点の油彩画は同じ瓶や缶を画題にしながら、わずかにそれらの1個を取り代えて同じカテゴリーに属しながら別ヴァージョンとなっている。当然この4点はあえて似た4点を図録やチラシから選んだのであって、1948、49年の代表的画風であったのでなく、別の雰囲気の同じような静物画を描いている。つまり、4点以外に似た作品がまだあるはずで、一方ではこれら4点は別のカテゴリーの作とつながっている。それは選ばれた瓶や缶の並べ方の近似もあるが、たとえばこれら4点は色目が微妙に違い、ある色目の作は全く画風の違う別のカテゴリーと言ってよい静物画と酷似する場合がある。そういう関連や変遷を克明にたどるにはカタログ・レゾネを見るしかないが、モランディの絵の世界は一見単純で退屈に見えながら、そのわずかな差がとても大きなものに感じられる。そう思った時にはもうモランディの虜になっているが、派手で目立つものが人気を得、また尊ばれる時代にあっては、寡黙過ぎるモランディの絵は話題になりにくい。おそらくイタリアでもそうであろうし、今後もそうと思える。にもかかわらず人気があるのは、そこにモランディにしか魅力を人々が認めるからだが、それが何かと考えるし、いかにもイタリア北部の田舎の光や空気を描き切ったからではないだろうか。モランディは意識したかどうか知らないが、コローがイタリアを旅して描いた風景画は、建物の土壁に明るい陽射しが照りつけ、そこにいかにもイタリア的な香りを筆者は感じるが、モランディの風景画はその味わいをもっと力強く描き出し、キリコの絵に感じる永遠さみたいなものを連想する。光と影と言い切ると、スペイン絵画を形容するようでふさわしくないが、モランディは光と影の対照を重視するのではなく、物としての存在感を描こうとする。また瓶や缶は建物と同義で、建物を描く時には小さな窓は省かれ、樹木にしても大きな塊として捉えられるが、細部を重視しないその描き方は、日本美術の大きな特質である装飾とは相容れないものと言ってよい。つまり、モランディの絵から感じるものは日本美術には求められないもので、それは前述したようにモランディがイタリアの古い絵画を学び、そこから何が出来るかを追求しているからで、装飾的なものに関心を抱く糸口がなかった。
先にコレクターはモランディのごくわずかな違いのある複数の絵をほしがるかもしれないと書いたが、本展で感じたことは90年展の時と同じで、特にある作品に強く魅せられたということはなく、全体としてモランディの画風にぶれがなく、統一が取れていることへの満足感を覚えた。だが、そう書くと、モランディが朴念仁のように魅力のない男、人間に思われかねない。つまり、人間であるからには完璧ではなく、どこか破綻もあり、迷いも見せるという方が好ましい。瓶や缶を並べる静物画は、自分の完全は統率の下に画題を置くことが出来る便利さがあってのことだ。本展では30分程度のイタリアで作成されたドキュメンタリー映像が映し出されていたが、モランディのアトリエは自室の一角でごく狭く、また瓶や缶を並べた場所もかなり小さい。そして、モランディはそれらに埃がたまるままにし、家族に掃除させなかったというが、積もる埃も画題の一部と考えたからだ。世界的巨匠がなぜそんな慎ましやかなアトリエでと思うが、モランディは生涯独身で母や妹と同居し、美大で銅版画を教えた。生前に絵は売れるようになったが、それらがどれくらいの価格であったかはわからない。だが、生活の慎ましやかさを思えば、かなり安かったのではないか。また、瓶や缶を並べる連作で人気を得たので、どうしても同じ画題で少しずつ変化をつける作品を描き続けたとも思えるが、キリコのような若い頃の焼き直しをするのではなく、同じような絵でいてゆっくりと変化して行った。また、瓶や缶の静物画以外に風景画や花を描いていて、なかなか捨てがたく、部屋に閉じこもって同じような絵ばかり描いていた偏屈のイメージがかなり拭われる。それらの紹介は90年展の方が多かったが、静物画ほどには有名ではない。また、花は造花を描いたらしく、そこは瓶や缶と同じ扱いであったことになるが、花の絵は売らず、親しい人に与えたとのことで、特別の意味があったのかもしれない。90年展の図録に、風景画と同じ角度で同じ場所を撮った白黒写真があり、その風景はおそらく今も変わらないと思うが、何の変哲もないような場所で言ってよいところでも絵になることを示していて、モランディの絵の本質が隠されているだろう。陽射しが当たって白っぽく見える地道は、同じように光を描いた印象派のそれとは全く違う感覚を与えるが、それは一瞬を感じさせるものではなく、イタリアの長い歴史や永遠を表現したと言ってよいもので、日本の画家が同じ場所を同じように描いてもその感覚をつかむことは難しいだろう。
そうした風景画の光が当たる部分は、瓶や缶を描く静物画でも同じで、銅製の容器を描いた作品のその光の当たる箇所が遠目には本物の銅製品がそこにあるかのように実感させ、その輝きの線に目が吸い寄せられるが、近づいて確認すると、ただの桃色っぽい一本の線で、光の正体が絵具であることを知って驚く。家内はしきりにそのことに関心していたが、それは風景画の陽射しで輝く家の壁や道と同じで、絵具によって描かれた光の現実感で、そこに装飾美術にはない西洋絵画の伝統を見る。ではモランディの絵は写実主義かと言えば違う。瓶や缶を実際の生活を感じさせるように配置して描くのではなく、画面の構成のために作為的に配置し、充分吟味して描くのだが、それでいて取ってつけたようなわざとらしさがない。画面にはそうでしかあり得ないような充足した世界があり、存在ということの奥深さを感じさせる。それが地元で生涯描き続けたことによる生活の落ち着きのためかと言えば、それもあるだろうが、奇を衒うといった考えを持たず、確かなものを凝視し続けたからであろう。モランディの生きた時代は戦争があり、外に目を向ければ悲惨なことに満ちていたが、モランディの作からはそうした心の動揺は感じされない。かと言って、絵がちっぽけなものという卑小な意識はなく、ひとりの人間の出来ることの限界までやり遂げたという充足感が伝わる。もっと言えば、人生は短く、変化に富むが、絵画は永遠不滅であるという意識だ。それをモランディはルネサンスやまた敬愛する巨匠から学んだのだろう。どっしりと腰を据えて描き続けてもせいぜい数十年のことだ。長いようでいて短く、短いようで長い人生と、変化に乏しく見えるかと思えば、どの作品もそれなりに味わいが違うというモランディの絵を比べてみる。日本にモランディの絵があるのかどうか、具象絵画で出来ることがまだあると思わせところに、また画家とはこうあるべきとも悟らせるところに、モランディの絵画を愛する人は絶えないだろう。ほとんど四半世紀ぶりの本展によってまた若い世代に名前が知られたが、次の四半世紀後にも絵画ファンを楽しませるだろう。その時に筆者はいないが、今回古い図録を引っ張り出して1点ずつ図版を眺めながら、行ったことのないボローニャのごく普通の田舎道を歩いた気分になれた。