海という文字を今日は冒頭に使う日だが、さて今日取り上げる展覧会と関係づけるのにはたと困る。本展の題名の「琳派降臨」の「降臨」は光琳にひっかけた言葉だろう。「降臨」の「臨」は筆者は「臨海」を思い出すが、ははは、どうにか「海」にこじつけた。

琳派に海が関係あるかと言えば、光琳は京都市内に住んだから海とは縁がなかった。それでも住吉明神を描いた屏風があってそこには海がかなり大きく占め、青い波がたくさん描かれている。もっともそれは青海波の文様を少しいじったという感じで、ま、そこにも装飾性が明瞭に表われている。それはともかく、「降臨」とはえらくおおげさな言葉で、まるで光琳が神であるかのような扱いだが、その有名度から言えば美術界の神に匹敵するかもしれない。「琳派」の言葉はいつ作られたのだろう。光琳に私淑した江戸後期の画家に酒井抱一がいて、琳派は江戸にも広まったが、光琳自身も江戸に住んだことがあって、京都というより日本の画家という印象が強い。これは京都で江戸の双方で足跡を残した方が後々有名になる確率が高くなりそうな感じがする。京都だけではどうしてもローカルだ。これが大坂の画家となるともっとで、ほとんど東京では評価されないのではないか。さて、本展は昨日書いた展覧会と同じ1月31日に京都市立美術館で見た。先に見たのは本展だ。結論から書くと、予算がなかったのか、同館所蔵の作品が多かった。それに誰もが知る名作もきわめて乏しかった。それは学芸員の苦心の跡が見られるということだが、逆に言えば、学芸員の琳派に対する考えを見せる場で、誰もがイメージする琳派を思って出かけると裏切られるというところをあえて狙ったとも言える。これは琳派を狭く捉えるか、広く捉えるかの差でもあって、本展は当然後者で、京都で作られた、あるいは日本で作られた作品はどれも琳派だと言いたいかのようだ。つまり、光琳は神で、誰もその影響から逃れられないという考えだ。それは言い過ぎかもしれないが、本展に並んだ作品を見るとそのように感じてしまう。工芸があるのは当然だが、洋画まで含み、また装飾性が豊かな作品とは限定しない。本展ではそれを「RINPAコード」と呼んで、琳派の画趣を持っている作品としているが、フォトリアリズムのような写実でない限り、日本のどのような芸術も琳派の画趣はあると言えるのではないか。そこまで範囲を広げてしまうと、それこそ光琳が神という扱いだが、そのことに納得しない作家は多いのではないか。それでも無意識に日本的情趣を表現するはずで、日本で製作される芸術はみな琳派的なところを持つと、評論家は言うかもしれない。本展はそういう考えに立つと言ってよい。だが、そこに結論づけるのは、光悦や宗達以降現代までの琳派的要素の連綿としたつながりを作品で提示しなければならない。そして本展はそのことに挑戦したものだ。
全5章に分けられ、「近世の琳派について」、「神坂雪佳」、「神坂雪佳と同時代の流れ」、「京都画壇と「RINPAコード」」、「現代の「RINPAコード」」となっていたが、神坂雪佳に大きな光を当てている。雪佳については細見美術館が力を入れていて、また何年か前の高島屋の中元の宣伝にも大々的に作品が使用され、再評価されている。それだけ明治が歴史時代になったということだ。また雪佳は光悦と同じく絵画だけではなく工芸も含み、琳派を再評価した功績がある。山本太郎のようにパロディではなく、宗達や光琳のたっぷりとした大和絵の雰囲気を省略をさらに利かして洒落た画面に見せたが、琳派の焼き直しの感がなきにもあらずで、筆者は光琳の小粒と見てしまう。鈴木其一や中村芳中にもそういうところがあるが、それほどに光琳の画風は影響力が大きいということだ。だが、筆でさっと描くという技術が廃れた日本画ではもう雪佳のような表現も難しい。そして山本太郎のようなパロディになってしまうが、運筆という概念が復活するかと言えば、ますますそれは難しく、そのうち写真の琳派という分野が大きく確立されるだろう。それは装飾性に着目した写真で、結局のところ琳派は装飾性ということに尽きる。だが、本展の第4章は京都画壇にみられる琳派的要素に着目しながら、装飾性とは別の要素を持ち出す。京都画壇となると円山応挙と、その弟子の呉春の流派が明治になっても続き、大きな足跡を残した。応挙は装飾性では云々されず、もっぱら写生だ。そのため、本展は「RINPAコード」に写生も含む。こうなると厄介ではないか。写生と装飾性の同居は応挙の絵を見ればよいということなのだろうが、写生そのものは装飾性とはいささか違う概念だ。相容れない部分があると言ってもよい。写生を限界まで推し進めるとフォトリアリズムになるし、そこには装飾性はない。一方、純装飾性となると、写生の要素は入らない。写生は生過ぎて装飾にするには不向きなのだ。装飾は省略や変形を強めることで、写生しなくても頭の中で編み出すことも出来る。現代のデザイナーはそうだろう。わざわざ写生などせずに、今までにある模様を少し改変して新たな意匠を作る。オリンピックのエンブレムを思い浮かべればよい。つまり、京都画壇の写生と装飾というふたつの大きな柱は矛盾し合うもので、結局中途半端なものと言うことも出来るし、明治からそのように評した人はいた。それは西洋の圧倒的な美術を見てのことだが、では日本がそれに向かって邁進すれば西洋に負けないほどの美術を生み出せるかというと、季節や光の具合、また美術の歴史が違うから、それは難しい。それに西洋に負けないようにと考える必要もない。日本は日本でやればよく、またやるしかないし、そうなれば京都画壇にあった写生と装飾性の中途半端な同居を評価し、そこから何かを汲み取って行くべきであろう。本展を企画し、作品を選んだ学芸員はだいたいそのように考えたのではないか。
中途半端と書いたが、まさに和洋折衷とはそういうことで、その中途半端性は今なお続いている。そしてそれがひとつの魅力として外国からも見られている。外国人が日本の浮世絵を見て日本にやって来たとする。まるで違う風景になっていてがっかりするかと言えば、今はそうではない。もう日本がすっかり西洋化したことは誰でも知っている。だが、そうではあっても浮世絵に出て来るような風物がまだどこかに残っていて、それが現代的なものと違和感とともに存在することをそれなりに仕方がないと認め、一方では面白がる。そしてそういう時代には「PINAPコード」をかすかに感じさせる作品が生まれて当然で、日本で作られるものはすべて琳派の画趣がどこかにあると言える。その中途半端さを前面に表現するのが山本太郎で、その絵を見てみんなそれが現代の日本であり、仕方のない風景、光景であるとくすりと笑う。それは外国人も同じだろう。またそういう中途半端性は山本太郎が最初に見つけたのではなく、本展にも出品された玉村方久斗が、パロディではなく、現代の風景を描けば自然と前衛風になることを知ってやったこととも言える。そういう中途半端な日本の風景、光景を見たくないという人もあるが、工業化して100数十年になる今、見えるのは西洋文明の産物ばかりと言ってよい。それは琳派を狭く捉える意見であって、「PINAPコード」という新語を使えば、まだまだ光琳的なものはなくならず、それどころか不滅とさえ言えると本展は主張するが、まだ大丈夫と言うのはもう末期であって、もっとはっきり言えば琳派は雪佳ですっかり終わった。昨日も書いたが、琳派という言葉を使わず、またそれを彷彿とさせる「RINPAコード」も不要ではないか。偉大な存在に私淑するのはいいが、それが過ぎると、結局小さくまとまる。光琳の名は残っても雪佳は残らないだろう。残ったとしても光琳の小粒との捉え方で、筆者は評価しない。光琳を尊敬するのであれば、その反対のことをすべきで、それでこそ新しい巨匠が生まれる。光琳の大和絵的なところは、和洋折衷の中途半端な日本になってからは、もう引き継ぐことは無理だ。では中途半端な中から普遍的な何かが生まれ得るかと言えば、安易に思いつくのはパロディで、それは原本を越えることは出来ず、かくて一瞬微笑ませるだけで消費される。それもまた消費文明社会にかなったこととして認める人もあろうが、簡単に言えば、芸術の神々しさがなくなったということだ。であるから、光琳が神に見えるということなのだろう。そう言えば光琳は宗達の風神雷神を模写したが、神がそんなことをしたのであればと思って抱一も模写したのだろう。「RINPAコード」には模写の概念も含まれるとなると、パロディもOKということだ。中途半端とは何でもありの意味でもある。本展の出品作はそのことをよく示していた。これは日本は融通無碍の国で、どんなことをどのように表現しても日本らしさが出ると、えらく楽観的であることを意味してもいる。実際そのとおりで、そこを外国人もよくわかっていて、日本へ観光に押し寄せるのだろう。