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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『書家 金澤翔子 十年の軌跡』
は何を書こうかと思って展覧会のチケットの半券の束を調べると、今年1月10日に梅田阪急で見た展覧会を思い出した。鮮烈な印象であれば覚えているはずなのに、2か月経たない間にすっかり忘れてしまった。



●『書家 金澤翔子 十年の軌跡』_d0053294_19344970.jpgそれで感想を書くのはやめようとか思ったが、書道については家内の妹が師範の免状をもらったとかで、多少気になることもあるので、その前置き的な話題として取り上げておく。金澤翔子が有名になるきっかけは、よくは知らないが、NHK大河ドラマの『平清盛』の題字を書いたことにあるだろう。筆者は大河ドラマに興味がなく、これまでまともに見たことがないが、近年は毎年ドラマのタイトル文字を毛筆で誰かが書いていることに何となく気づいている。そして、どれもそれなりに雰囲気が出ているが、うまい字とは思ったことがない。それよりもまず、書家と言われる人の字に感心することがない。それはまあいいとして、「平清盛」の3文字を改めて見ると、どうも金澤翔子の文字に思えない。線が細いと言うか、器用というか、もって手慣れた感じがあって、展覧会で見た作品とはあまりに違う。金澤翔子の文字はもっと図太くおおらかだ。それが「平清盛」になく、それどころか何となくいやらしい感じが漂う。それもいいとして、阪急百貨店の会場は満員で、大盛況であった。筆者が金澤翔子の字を初めてTVで見たのは去年秋だ。ダウン症の若い女性ということを知ったが、そのことを抜きにして見てもなかなか雰囲気のいい書で、世間がそれほど大騒ぎするからには一度見ておきたいと思った。そして運よくと言うか、正月明けの集客目当ての展覧会として阪急百貨店が開いた。どのような書が並んでいたのかあまり覚えていないが、いいと思ったのがぽつぽつあったが、ひとつ気になったのは、母親が娘翔子に対する絶賛だ。天才と持ち上げていて、それがとても気になった。よほどの有名人らしく、有名な禅寺とのコラボレーションや、また大震災のあった東北に慰問に行ったり、国連で演説したりするなど、この調子では数年後には文化勲章をもらいそうな勢いだ。展覧会を見た後、会場の外に出てガラス・ウィンドウを見ると、そこに裏打ちされていない書が一点ガラスに貼りつけるような形で飾ってあった。それは誰でも無料で見られるのだが、それに感心した人は入場料を支払って中に入ればよいという感じだ。その書は畳1枚分ほどの大きさがあって、そこに4字程度が書かれていたが、どの漢字も途中に大きな破れがあった。それほど筆圧が強いのだが、破れは裏打ちで塞ぐしかないが、肝心の破れた穴の紙はない。つまり欠損していて、作品として裏打ちする段階でそこに濃墨をべた塗りした別の紙を裏から充てる必要がある。その筆圧に金澤翔子の真髄がある気がしたが、それが先の「平清盛」の字にはない。書家であるので、いろんな字を書くことは出来るだろうが、それほど金澤翔子が器用かと言えば、そうは思えない。ダウン症ゆえに不器用で当然と言いたいのでない。手先を弄するようなことを考えないほどに天真爛漫ということで、またそのように感じさせる作品こそが面白い。だが、会場に並んでいたのは必ずしもそうは思えない作が混じっていた。
 映像があって、母親が紙を押さえるなど、かなり手助けをしている。母は書家というが、なぜ彼女はさほど有名ではなく、娘ばかりがそうなのだろう。母は書を諦め、娘のマネージャーに徹しているということか。それはそうだろう。ダウン症であるから、自分で売り込んだり、次のスケジュールを考えたりすることは出来ない。百貨店での展覧会や、各地に赴いて記事にされるといったことは、すべて母や側近がいてのことだ。先ほど調べて驚いたが本を10冊以上も出している。文章は母が書いている。二人三脚での売り出しという感じだが、娘は売り出しているという意識はないだろう。純粋でかわいらしい女性というのは写真や映像からも伝わる。また、そのことを母親は誇りに思い、娘の才能を伸ばして有名人にして行ったが、その行為に勇気づけられるダウン症の子を持つ親が多いとのことのようだ。だが、一方ではそうは思わない人もあるだろう。同じダウン症でも金澤翔子のように才能がない、またあっても伸ばせない子は多い。それどころか、ほとんどはそうだ。2年前か、兵庫県立美術館で開催された知的障害者の美術展を見た。面白い作品がたくさん並んでいて、その感想をこのブログに書いたが、普通なら金澤翔子もそのような展覧会の出品者のひとりとして留まるところが、母親の努力のお蔭でどのような書家も及ばない有名人となった。それは金澤翔子の才能だけのためとは言えない。そのことは誰しも思うことだろう。そして、そこにやっかみのような思いが生まれるが、金澤翔子自身は天真爛漫で、人を疑ったりすることが出来ないから、世間のやっかみは母親に向かう。そして、その母親の意見は展覧会を見る限り、何と言えばいいか、ダウン症の娘を生んだことの一種の腹立たしさを、自分が有名になれなかった書の才能を娘に育てることで見返したという、勝利の雰囲気が見えていて、そこが金澤翔子の純粋さとあまりに対照的であることが惜しい。もっと言えば、ダウン症でない者はみな穢れているのかと思わせられる。何が言いたいかと言えば、金澤翔子を有名にしたのは母親だが、前に出て出しゃばらない方がいいということだ。だが、それは無理というものだ。ダウン症であるから、導き手がいなければ、先に書いた大勢が参加する知的障害者の年一回の展覧会に1,2点出して、同じような境遇の人に見てもらうだけでおしまいということになる。筆者はそれでもいいと思うが、金澤翔子の母は自分が有名になれなかったことを見返す思いもあるのか、これ以上は考えられないあらゆる方法で娘の知名度を上げようとしている。また世間はダウン症の子をここまで才能豊かに育てたことを美談として取り上げるし、それがたび重なると、もう誰も本音を言えない雰囲気が出来てしまう。
 榊莫山が死んだ後、人気者を目指す書道界は戦国時代に入ったかのようで、若手が何人もマスコミに登場している。金澤翔子もそのひとりと言ってよいが、ダウン症というハンディが逆に働き、どの書家よりも有名になっている。他の書家は筆者はどれも感心しないが、個性がないからではなく、個性に見えるその特質がいやらしく見えるからだ。文字は小学校を出た者なら誰も書ける。そういう文字で食べて行くにはよほどの才能がいるが、その才能とは簡単に言えば商才だ。芸術とはそういうもので、天才的な技術を持っていてもそれを見抜き、世間に向かって讃える人はまあ数十万にひとりいるかいないかだ。そのひとりがマスコミにコネがあり、名前が広まると、ようやく注目する人は増えるが、それでもほとんどの人は天才的才能よりもその有名ぶりに同調するだけのことで、見る目など持っていない。つまり、金澤翔子並みに書く才能は日本でおそらく何千人もいる。もっとうまい人がたくさんいるのに、金澤翔子が有名になるのは、ダウン症というハンディを逆手に取った戦略と言ってもよい。そして一旦有名になると、加速度的に名前は広がる。いつの時代でも有名人はそのようにして作られる。それで当人が死んだ後はすっかり忘れ去られるということがしばしば起きるが、そうなっても誰も困らない。その時は別の人物が有名になっているし、世間はそっちに目が向いている。また、有名人の周囲には金の匂いに敏感な商売人が群がるが、金澤翔子の場合もきっとそうだろう。本をたくさん出し、有名百貨店で展覧会が開かれ、美術館まで造られるというのは、少々常軌を逸している。それだけ金澤翔子は金のなる木であると思われている証拠で、本人はそんなことは知らずにただ書くだけというところが、いじらしいが、ひょっとすれば次はこう書けば話題つなぎにいいと母親や側近が周到に計画しているかもしれない。そう思うと、金澤翔子のせっかくの純粋さを感じたい一方で、嫌でも下賤なことが視野に入って来る。話がいきなり変わるが、モジリアニの映画のことを思い出す。『モンパルナスの灯』という題名だが、その映画を見ていないが、だいたいの筋書きは知っている。モジリアニは今でも巨匠で何度も展覧会が開催されるが、絵が売れずに悲惨な死に方をした。最晩年に画商がアトリエを訪れ、モジリアニが早く死んでくれることを半ば期待する。死ねばただ同然で絵を買い占め、天才であったとの評判を囃し立てて高値で売りさばこうという魂胆だ。実際そのようになったが、そのことでわかることは、天才はいつの時代でもそれを見抜く人は100万人にひとりいるかいないかで、世間が騒ぐことで初めて立派な芸術家であったと誰しも思うが、それはまだましな方で、そういう人も少ない。芸術に理解のある人は100人にひとり以下であることは紛れのない事実で、モジリアニが天才であったと言ったところで、そんな名前も絵も知らないという人が圧倒的に多い。これは天才は死後も孤独であることを示しているが、もっと言えば世間は天才など全く必要としておらず、金儲けのうまい人間を崇拝し、また金をヒトより多く儲けた人物は自分を天才だと思うし、人もそう思う。
 その点、金澤翔子はまさに天才で、有名でしかも金にも縁があった。だが、書家がそんなに金になるのはいいことだ。書道の裾野が広がるし、第2の金澤翔子を目指すダウン症の子どもが増える。そうなると、健常者も何か話題になるハンディを持った方が得だと考えるようになるかもしれない。それはさておき、金澤翔子の書をまとめて見たというのに、ほとんど思い出せない。筆者は書の掛軸をかなりたくさん持っているが、それらはみな書家として有名で、生前高値で売買されたものではない。筆者がそういう書の掛軸を買うのは、その人間性を買うからだ。ダウン症の人たちが天使のように心が優しいというのは本当と思うが、では筆者がダウン症の人たちと話が通じるかと言えば、それはないだろう。書は誰でも書ける。そういうものであるから、書に何を見るかと言えば、その人がどう生きたかだ。そのことからは、書家として名前のある先生の作品はほとんど関心がない。書は、人に教えてその収入で生きるというものではないと筆者は思っている。確かによくない癖を先生から指摘されると上達は早いが、その上達とは何か。手本どおりに書くことだけが書ではないだろう。それで金澤翔子の書は型破りなのか、それともそれなりに先生筋があって、それを手本に学んだものかよくわからないが、母親の影響を受けているのは間違いない。展覧会にも書いてあったが、金澤翔子のある作品を見て、母親の師匠の書家がもう自分はプロを辞めようかと思ったそうだ。つまり、金澤翔子の書はちゃんと流派がある。太い筆で大きな字を書く流派かどうかは知らないが、同じような筆で書けば、誰でもそれなりに似た雰囲気になる。細筆で和歌をすらすら書くことを金澤翔子は出来ないと思うが、その必要もないということなのだろう。書は多様化するばかりのようだが、その一方で古き伝統が軽んじられ、忘れられて行くように感じる。ま、門外漢のたわごとだが。目立った者勝ちの世の中で、人知れずこっそりと作品だけ残して死ぬ天才というものはもうあり得ない時代になった。露出狂の時代で、しかも現世の御利益が最重視される。
by uuuzen | 2016-03-03 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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