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●「HAVE YOU EVER SEEN THE RAIN?」
ターを激しくかき鳴らすパートがある「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」をたまに思い出す。そして半ば気分が滅入るのはブルースのためかと理由づけてみる。そして実際に聴くと、昔と同じ思いがしてやはり半ば気分が滅入る。



●「HAVE YOU EVER SEEN THE RAIN?」_d0053294_1204651.jpgだが、ギターをがむしゃらにかき鳴らす部分は滅入った気分を晴らすような感じがして、そのかき鳴らすギターの向こうに男の涙といった浪花節めいたものを思う。明日から3月で、いよいよ春めくが、一方で雨がよく降り始める。そして、太陽が出ているのにぱらぱらと雨が降ることがある。そんな時、「春雨じゃ、濡れて行こう」と、中学生の頃に友人がよく言った言葉を思い出すが、そこから連想するのはやはり若い頃に聴いた音楽で、クルーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルの「雨を見たかい」へとつながる。そういうわけでここ2週間ほどはYOUTUBEでCCRの曲を聴き続けている。筆者が10代後半から二十歳頃に日本でも大ヒットし、ラジオでかからない日はなかったほどであった。名曲を立て続けにヒットさせ、またビートルズとは違っていかにもアメリカの土臭さに妙に感心もした。無農薬野菜と言えばいいか、イギリスのロックのように音を加工していないのがよい。それは小手先ではないという意味でもあるが、悪く言えばそういう小手先を弄する繊細さや頭がないということにもなるが、もっとたとえると、青年と大人と言えばいい。この場合、イギリスからアメリカが別れたようなものであるから、イギリスが大人でアメリカが青年になるが、筆者は反対を思っている。CCRは妙に大人っぽいと思うのだ。あるいは青臭くないと言った方が当たっている。だが、当時筆者は何を主に聴いていたかとなると、ジェスロ・タルのアルバムやクリームなど、やはりイギリスの音楽であった。アメリカのロックと言えばこのブログでかなり以前に取り上げたが、グランドファンク・レイルロードの「ハート・ブレイカー」が大好きで、アルバムは買わなかったが、どこかから何枚かまとめて借りて来て聴いた。まだ家にステレオがない頃で、近所の家に上がり込んで聞かせてもらった。グランドファンクもアメリカそのものの音という気はしたが、あまりにスカッとして物足りない。ジェスロ・タルの凝った曲を聴くとそれは仕方がない。CCRの音楽はグランドファンクよりもう少し湿り気があって、それが大人っぽく感じた。何が魅力かと言えば、やはりヴォーカルのジョン・フォガティの声だ。どの曲も力強く、完成度が高いが、ジョン・フォガティのワン・マン・バンドの印象があった。また、CCRは聴いていて元気になるというか、正統なロックとはこういうものを言うと、わかった気になった。
 当時筆者と同じ世代でCCRを聴いた人の中には当然女性もいるが、彼女たちは孫が出来てお婆さんと呼ばれるようになっている。60代前半はまだ若いという声もあるが、20歳からすれば完全は老婆だ。だが、そういう老婆が20歳の頃に盛んに聴いたのがたとえばCCRということは、いい時代を生きて来たと思う。今の20歳がどういう今のロックを聴いているのか知らないが、1971年頃のロックは決して完成度が低く、取るに足らないものではない。「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」の中間部のギターをかき鳴らすところなど、今の若者でもきっと同じような感情を抱くと思う。時代が変わっていろんな音楽が生まれて来たが、「…スペル・オン・ユー」そのものは同じ音のままだ。それはあたりまえだが、もう少し言い添えると、音楽が古びていないということだ。だがそう思うのも筆者の勝手で、今の若者が全くそう思うとは限らないという意見がある。しかし、それを言えば1971年当時でも同じだ。聴く人は聴き、全く知らないまま60代になっている人もいる。そして話を戻すと、孫がいる女性の中で昔「…スペル・オン・ユー」を聴いて心がかきむしられそうになったことのある人がきっといるはずで、今のロックを聴く若者が60代半ばの老女を侮るなと言いたいのだが、筆者のようにその女性が「…スペル・オン・ユー」をごくたまにでも思い出して聴きたくなるかどうかは別の話で、やはりそうではないかつて若かった女性はもうただの老婆かもしれない。それがさておき、「…スペル・オン・ユー」は黒人のスクリーミン・ジェイ・ホーキンスがオリジナルで、彼の歌う映像はYOUTUBEで見られるが、CCRの演奏はやはり湿っぽい。原曲はかき鳴らすギターはなく、またもっと明るい。それが白人がカヴァーするとこうも違った曲になるかと思うが、バンド演奏としては長丁場をうまくまとめていて、60年代末期を反映している。どういう意味かと言えば、当時は当時でヴェトナム戦争という暗い世相もあったということだ。それがCCRの曲に無意識か意識してか、とにかく何らかの形で反映はしているであろうし、時代が過ぎ去るほどにそう思われるだろう。それを言えばスクリーミン・ジェイ・ホーキンスのオリジナル・ヴァージョンも時代の産物であろう。おどけた顔で演じ、歌う彼の様子を見ていると、どこか痛々しさも感じつつ、黒人ならではの楽天的な考えも伝わる。それはそれで悲しいことだが、その悲しさがCCRの演奏に伝染し、それが中間部のかき鳴らすギターになっていると思えば、考え過ぎかもしれない。名曲はそのように時代によって読み取り方が変わって行くが、今後もこの曲はカヴァーされるはずで、またその時はその時で時代の何かを映し出す。
 ここで去年の10月の小学校での学区民運動会の話を少しする。自治連合会傘下の14の自治会が参加して点数を競うのだが、住民の少ない自治会にハンディは与えられず、かなり不公平なのだが、幸いに言えばいいか、わが自治会はここ6、7年の間に新たにマンションが建つなどして若い夫婦が一気に増え、そのため、以前のように毎年点数は最下位という状態を脱するようになった。やはり20代、30代の若者が競技に出ると強い。それはさておき、去年も参加した10代後半の男子がいる。たぶん17か18くらいだ。ちょっとリンゴ・スターに似た雰囲気のバタ臭い顔をしている。彼が筆者のそばで別の男性と話しているのを小耳に挟んだのだが、彼は趣味でロック・バンドをしているとのことだ。それも母親がかなり積極的で、プロになれるならなってほしいような感じだ。そこで筆者はザッパを知っているかと訊くと、当然聴いたことがない。それどころか、60年代、70年代の古いロックはほとんど聴いたことがない。それで勉強のためにレコードを聴かせてほしいと言われてが、返事をしなかった。今はYOUTUBEで簡単に好きな音楽を聴くことが出来るからだ。それにわが家に来られて、筆者がこれまで聴いて来たロックをLPやCDを見せてもその説明が面倒で、またそういうことは彼には不要だろう。時代が全く違い、昔のことをあれこれ聞かされるのは彼にとっては時間の無駄で退屈だ。なかなか素直な男子で、尖ったところはないが、どういう音楽が好みで、どういう演奏を目指しているのか、そこまでは競技に参加することもあって聞きそびれた。それはいいとして、母親が積極的にロックをやらせるというのは、時代が変わったことを実感する。今は親が子どもにロック・バンドを結成させ、不良のイメージは皆無だ。それではいつの時代もいる不良はどうすればいいか。そういう夢も希望も失った者がISに参加するのではないかと思うのは、あまりに飛躍し過ぎかもしれないが、ロックが健全一辺倒になってしまうのは、何か違うのではないかとの気がする。母親が息子にロック・バンドを組ませるは、音楽畑で有名になって金もたくさん儲けてくれればいいと思ってのことだろうか。ロック・バンドだけではなく、娘を子どもの頃から芸能界入りさせようとする親は大勢いるが、好きなことをして有名になり、金も儲けるというのはかなり欲が深い。普通はそのうちのひとつでも実現すれば大成功だ。それで、親が子どもに金を儲けてほしいのであれば、株をやらせるか、実業家になるように育てることだ。
 ロック・バンドを組むというのは筆者が10代の頃からあったし、そういうバンドが出演するコンテストのTV番組もあった。そこに出演した人はみな60代半ばから70代になっている。そしてたまにTVにそういう老人がビートルズが大好きであったということを華々しい顔をして話すが、筆者が感心するような場面に遭遇したことはない。それどころか、筆者はそういう人たちとは話をしたいとは思わない。ビートルズが好きというのはいいとして、それだけかと思うからだ。筆者は今もビートルズは好きだが、それはもう10代半ばのことで、大昔のことだ。それ以降いろんな音楽を聴いて来たし、ビートルズだけを今後も聴いて生きたいとは全く思わない。それはさておき、CCRに名曲は多いが、1曲ぶとなると「雨を見たかい」だろう。この曲は1971年の大ヒットで、当時筆者はまだザッパを聴いていなかった。それはいいとして、この曲について妙に覚えていることは、下の妹が高校の秋の学園祭で男子がバンドを組み、この曲を練習していることを筆者に言った。同じ曲を何度も練習していたのだが、その様子が目に見えるように思った。その時に思い浮かべた様子は今もそのまま記憶にある。ただそれだけのことなのだが、妹までこの曲はよく知り、当時よほど売れたのだが、それでCCRの代表曲としていいのではないかと思う。この曲の歌詞が何を意味するのかと当時言われたような記憶があるが、ヴェトナム戦争に引っかけた意見があるほどに、隠喩に満ちていた。ネットによれば、ジョン・フォガティは西海岸ではよく晴れなのに雨が降って虹がかかることがあって、その様子を歌詞にしたとのことだが、晴れているのに雨が降るという急な出来事を、CCRの内紛になぞらえたようだ。当時から筆者は音楽雑誌を読まなかったので、事情は知らなかったが、CCRは人気があったのに、ごく短い間だけ活躍した感じで、それが不思議でならなかった。それほどラジオで毎日のように流れていたジョン・フォガティの力強い声が、ふっと消えた。その予兆が「雨を見たかい」で、ジョンのワン・マン・バンドであったところに降って湧いたようなメンバー間の対立が起こった。世界的人気を得るとよくそんなことになりがちだが、普通ならば才能溢れるジョンがソロで活動するなど、何らかの方法があると思ったが、そういうこともなく、すっかり音楽シーンから消えた。だが、金は充分儲けたであろうから、引退しても生活に困ることはないだろうと思った。
 ロック・バンドは寿命が数年というのが普通かもしれない。この場合の寿命は実際に活動している期間でもいいし、売れている間でもいい。CCRは数年であったが、たくさんのヒット曲があっただけに、新曲が聴けなくなったのは惜しい気がした。彼らは南部のロックというジャンル分けになるが、実際は南部出身ではなく、サンフランシスコ出身だ。南部風に曲を書き、演奏したのだが、アメリカでは曲だけ聴いてそのことがわかるほどに特徴があったのだろうか。たぶんそうだろう。南部はもっと田舎っぽく、たとえば「雨をみたかい」はまず生まれないだろう。だが、CCRの「プラウド・メアリー」をティナ・ターナーがカヴァーして大ヒットさせたことを思い出すと、CCRの曲は南部人にとっても南部そのものであったということになりそうだ。そう考えると、改めてジョン・フォガティの偉大な才能を思うが、ザッパはCCRの人気をどう思っていたのだろう。CCRはヒッピーのイメージはないし、ティナがカヴァー演奏するほどの曲を書いたということで、才能は認めていたのではないだろうか。だが、カントリー音楽の嫌いなザッパで、CCRの音楽性を模倣することは簡単と思っていたのではないか。ザッパがテキサスで演奏するのは1975年で、CCRが解散して3年後、またティナと一緒にスタジオで録音してから2年後で、CCRが解散してからザッパの音楽はぐんと黒人色を増す。筆者がザッパに開眼したのは1972年で、たちまちアルバムを買いそろえ、CCRのことは思い出すことはなかった。今もそうだが、何かの拍子に昔聴いた時のことを思い出す。それは誰でもどのようなことでも同じで、そういうことの繰り返しで人生を終えて行くが、何気なしに思い出すのはたぶんに季節や天候と関係している。それでちょうど今時分はCCRの曲が聴きたくなるが、2,3週間も聴けばまた忘れる。それはさておき、音楽家とはとてもいい職業だ。曲を一生覚えてもらえ、またそのことで懐かしんでもらったり感謝されたりで、そのことが直接自分に届かなくても、何となく実感することは出来るのではないか。作曲家はその満足があれば生きて来た甲斐がある。金もたくさん儲けて有名にもなりたいと欲を張らずに、素直に自分を表現することだ。晴れているのに急に雨が降って来てもうろたえず、「春雨じゃ、濡れて行こう」と思えばいい。ただし、風邪を引いて寝込んでも知らない。
by uuuzen | 2016-02-29 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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