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●山種美術館
日ぎりぎりというのがだいたい筆者の癖だ。締め切り間際になって慌てる。それでも最終日まで同じように開催しているのであれば、会期中にいつ見てもいい。ただし、展覧会などの催し物は最初はさほどでなくても、会期の終盤になると人が増える。



●山種美術館_d0053294_23374218.jpgそのためにまだ空いている頃は前売り券を安く設定する場合もある。筆者はたいては終わり近くなって出かける。まだやっているなとの思いがあるからで、これは本当は好ましくない。家内の下の兄がそのようなことを昔言った。このブログでのたぶん2,3回は書いた。まだ大丈夫と口にするのは本当は内心説破詰まっていて、「もうあきまへんわ」と言うのはまだまだ大丈夫ということらしい。なるほどと思う。人間は強がりを言いたがるもので、「まだ余裕がありまっさ」と言う人に限って実情はその反対であることが多い。その伝で言えば筆者は常に火の車状態と言えるが、実際そのとおりだろう。これも昔の話だが、20代の終わり頃、ある女性からタロットで占ってもらった。その女性の言うことには、筆者は綱渡りのような危ない生活をしていてもそれに気づかずに能天気らしい。足元を見ればとてもそんな生き方は出来ないのに、そのことを不思議とも思わずに生きているとのことで、そばにいた家内が当たっていると呆れていた。狂客という言葉があるが、よく言えば筆者はそうかもしれない。貯金通帳は年に1,2回しか見ないが、そのためもあって金には無縁だが、不自由は感じたことがない。なければないでやって行けばよいと思うからだ。よく魚の資源が枯渇して、もううなぎは食べられなくなるといった話を聞くが、そのたびに思うことは、うなぎを食べなくてもほかの何かを食べればいいではないかと思う。マグロやその他の魚もそうで、魚が食べられない時代になっても筆者はたぶん困らない。なければ仕方がないではないか。うなぎ屋や寿司屋が困るだろうが、それも仕方のない話で、商売替えすれば済む問題だ。そのようになくなって行った商売はいくらでもある。いつまでもあると思うな魚資源で、日本はあまりにもマグロやうなぎを食べ過ぎて来た。なくなっても当然ではないかと思う。それはさておき、去年12月に東京に行った際、あちこちの美術館などを覗いた。これまで何度東京に行ったかとなると、10数回と思うが、たいていの美術館は行ったことがあるが、まだ行っていないところも当然あって、そのひとつの代表が山種美術館であった。筆者らが訪れた23日が最終日で、「村上華岳―京都画壇の画家たち―」をやっていた。家内が友人に会っている間、大平さんと一緒に見ることにし、彼の車で出かけた。大平さんは千葉在住だが、車であちこち案内してもらい、効率的に回ることが出来た。先日書いた聖徳記念絵画館もふたりで見たが、その後に山種美術館に向かった。
 この美術館が開催した展覧会の図録を何冊か持っているが、東京のどこにどのような建物としてあるのか考えたことがなかった。それで昨日書いた國學院大學博物館のすぐ近くにあることがわかって驚いた。駐車場が近くになく、大平さんはどこかに停めに行った。聖徳記念絵画館を出た後、小雨が降り始め、傘が必要なほどではなかったが、美術館に入って雨を凌ぐにはつごうがよかった。最終日ということでかなり人がたくさん入っていた。建物は通りに面したさほど大きくないビルで、展示室も予想とは違ってこじんまりとしていた。またレトロな雰囲気で、ビルそのものはもう半世紀以上前のものではないだろうか。ややせせこましいくらいの方が作品が間近に鑑賞出来ることでもあり、日本画にはつごうがよい。そうそう、この美術館は日本画専門で、今調べると、1966年開館とある。山種はもちろん山種証券だが、もうその社名はない。創業者が美術通で、長年蒐集し、それを基に美術館が出来た。同じ例は大阪東洋陶磁美術館のコレクションの元になった安宅コレクションがある。金持ちが道楽と言えば聞こえが悪いが、趣味で集めた芸術作品が母体となってそれを多くの人に見てもらおうというのは美術ファンにはありがたいことだ。美術品はだいたい高価という印象があり、美術館で見るものとの意識が今は常識になっている。先日関西のTV番組で、あるゲストの女性タレントが絵画の話になった時、絵を買うということは全く考えられないことで、そんな人が世の中にいるのですかねといった発言をしていた。それは世間の普通の考えだろう。絵を眺めていても腹は膨れず、それよりかはその金でおいしいうなぎやマグロを食べた方がどれだけ満足するか。それに絵を売っている場所に出入りする人はごくごく稀で、普段の生活に絵が売り物という意識がない。20年ほど前だが、従姉の親友の金持ちの女性がある店を開くので、絵でも買おうかという話になった。それで筆者に電話があり、どこへ行けばいいかと訊く。筆者は適当に思い浮かんだ場所を言ったが、その日のうちに車でそこに走った。それで適当に目の前にある絵がいいと思って、価格を訊いたところ、1500万円と言われて腰を抜かさんばかりで逃げ帰ったと電話があった。それはルオーの絵であったのだが、絵がそんなに高価なものとは知らなかったとも言っていた。そこまで高価でなくてもいくらでも売っているが、結局買わずに店を開き、数年持たずに店はつぶれた。絵画好きなら誰でも知っているような画家のちょっとした絵となると、数百万円以上はするのがあたりまえだが、根気よく探せばその10分の1やもっと安価で買うことが出来る。画商はそのように格安、いや超格安ないしただ同然の金額で入手して100倍近い価格で売る。そして買った人が手放す時はまた100分の1だ。TVで何とか鑑定団で100万円の評価があって喜ぶ人があるが、どの美術商もその値段で売りたいというだけのことで、買う時は100分の1を思った方がよい。つまり、一般人は絵画で儲けることなど不可能だ。それは何を意味するかと言えば、1500万円のルオーでも所有者から買うと100分の1で手に入る場合があるということだ。画商は不動産屋とほとんど変わらない職業と思っていていい加減で、絵画収集が道楽者のやることという意味がわかるだろう。
 さて、東京で京都画壇展を見るのは何となく不思議な感じで、東京の人は京都画壇の画家をどう思っているのか気になった。展覧会の盛況ぶりを見ると、物珍しかったのかもしれない。京都ではよく見る機会のある画家たちだが、東京は江戸趣味と言おうか、京都とは全然違う絵画観があるだろう。何と言っても院展系が強く、日本画と言えば大観や春草がまず思い浮かぶ。それに安田靫彦や今村紫紅といった画家の作品は京都大阪ではほとんど見る機会がなく、展覧会も開かれない。この東西でくっきりと別れた様相は今後もなくならないだろう。東京の一極集中によって、東京で京都画壇展が開かれはするが、そのことで東京で京都画壇の画家たちが東京やその近辺で生まれた画家と同じくらい身近な存在かと言えば全くそうではないだろう。それでいいと思う。地域の特色はあってしかるべきで、それは明治大正に描かれた絵画が最もよく示すものとなっている。建物は東西で似たようなもので、また老朽化に伴って建て変わるが、絵はそのまま時代と地域の空気を宿して残る。東京の画家で言えば先に書いた聖徳記念絵画館に展示されている洋画と日本画の画家たちで、そこには京都画壇が含まれていたであろうか。北野恒富や堂本印象、木島桜谷はあったが、大半は東京の画家であろう。中村不折が日露戦争を画題にし、軍艦の大砲から火花が出ている様子を描いていたが、中村不折は東京をある意味では代表するが、京都ではほとんど無名に近いだろう。展覧会で作品が並ぶ機会もめったにないというより、筆者は今まで見た記憶がない。そうそう、その不折と考えが対立した画家に嵯峨に住んだ冨田渓仙がいるが、不折は南画なども手がけたことがあるのに、日本画滅亡論を明治末期に書いた。それに吠えたのが渓仙で、このふたりを見ると、聖徳記念絵画館に不折の作品があって渓仙がないことを思い、それだけ京都は田舎であり、また時代遅れとなって行ったかと思わざるを得ない。だが、聖徳記念絵画館は明治天皇のための施設で、聖徳記念絵画館の御陵が伏見桃山にあることが面白い。文化庁を京都にという話があるのはそういうところからも理解は出来る。話を戻して、山種美術館のコレクションの全貌を筆者は知らないが、創業者が亡くなって以降も購入は続けているはずで、近年では若冲の「伏見人形図」が入った。これは以前は個人蔵であったが、若冲人気から何かほしいということになったのだろう。明治以降の絵画ばかりと思っていたのが、若冲を入手すれば江戸時代もとなって、際限なく収集すべき画家は増える。それは資金の問題で、金さえあればどうにかなるが、山種美術館は企画展では儲かっているだろう。地道に少しずつ集客に役立つ人気画家の作品を買い集めて行くと思われる。
 本展は収蔵作品ばかりであったと思うが、企画展では常に自前のコレクションで賄うかと言えばそうでもない。見に来る人はどこの所蔵であってもかまわず、ただ間近で作品が見られればよい。今回の企画展はチケットやチラシに印刷された村上華岳の「裸婦図」が重文指定を受けたことを記念するためのもので、久しぶりにこの絵を見た。切手にもなっている有名な作で、教科書にも載っている。この作品は山種の所蔵だが、同時に展示された下絵もそうだろうか。下絵はひょっとすれば京都市美術館のものかもしれない。それはさておき、華岳の作品が重文になるのは描かれて100年経ったからでもあろう。もう200年経てば国宝になるかもしれない。それくらい価値のある画家だが、大阪生まれで京都で絵を学び、神戸の花隈に隠棲いたので、京都画壇を代表するといった雰囲気はない。画壇というものとつながりを持たなかったと言ってもよく、その孤高性がこの画家の大きな魅力になっている。組織の長となって無駄な時間を費やすといったことは苦手であったのだろう。それに病弱でもあって、50少しで亡くなった。筆者はふたつ折り屏風の「夜桜の図」が大好きで、確かその画題となった京都の平野神社を大平さんとざっと歩いた時、その話をした。そして、その大平さんと本展を見ながら、またその「夜桜の図」の話を繰り返したが、日本画に詳しくない大平さんはぴんと来なかっただろう。「夜桜の図」は一種不気味なところがあって、好悪が分かれると思うが、誰もが関心するのは「裸婦図」よりも昨日書いた日高川の清姫を描いた図だろう。それは目を閉じて色白の若い女性が安珍を追ってふらふら歩いているといった様子を描くが、その姿から立ち上る色気と哀れさはあまりにも印象的で、その女性が大蛇や龍になって吠えるとはとても思えない。ま、華岳もそんなことを思って描いたのではなく、ひたすら恋焦がれる女の姿をいじらしく思ったのであろうが、この絵を見ていると、男は泣けて来るのではないだろうか。「裸婦図」に描かれるのはただの女ではなく、仏像のイメージがまとわりついているが、それと同じで、華岳の絵は多重な読み取りが可能で、つまりはそれが芸術の求められるべきことであり、面白いところなのだが、華岳はそういった画家では群を抜いている。それは学んで出来たことかと言えば、半分はそうだろう。もう半分は本人の資質で、その持って生まれたものは誰も真似が出来ない。華岳の仏画は「裸婦図」とよく似た丸顔の女性を描くものばかりと言ってよいが、その目元はシルクロードのクチャで描かれた仏画に似ていて、おそらく華岳はそれを写真図版で見ていたのではないか。MIHO MUSEUMの常設展示の陶器皿にそういう女性をたくさん描いたものがあって、筆者はそれを見るたびに華岳の「裸婦図」を思い出す。では先の清姫は何をヒントにしたのだろう。同じようなさらりと描いた顔は「夜桜の図」や舞妓を描いた絵にも見られるが、今の若者は漫画と変わらないではないかと言うかもしれない。華岳は漫画の元になった鳥羽絵も見たことは確かだが、江戸時代の風俗画家としてさて誰を最も気に入ったであろう。そう言えば華岳の絵をほしいと思っているが、家一軒ほどの価格がする。
by uuuzen | 2016-02-02 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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