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●國學院大學博物館
える蛇はいないが、龍ならどうだろう。鉄斎が描く「火用慎書」は京都国立博物館内売店の便利堂で1000円で売っているが、その図は朱色で「火用慎」と大きく縦書きされ、右端に蛇のように黒くて細い龍がするすると上に昇って行き、用紙の上端で首を横にしてニッと歯を見せている。



家内はその龍を見てホースだと言うが、これは馬ではなく、消防士が持つホースだ。そう言われるとそのように見えるが、龍は水の神で、それを描くのは火の用心にはいいと鉄斎は考えたのだろう。天守閣のしゃちほこと同じだ。それはさておき、龍は蛇とは違って吠えるだろう。どのような声かと言えば、シンセサイザーで作ればきっとゴジラのような声になるのではないか。話のついでに思い出したが、蛇を去年の初夏に見た。家内の友人が東京からやって来て、嵯峨を散歩し、二尊院に行った。修復中とかで見るべきものはなかったが、500円払って3人で中に入った。法然など有名人の墓があって、今度こそは冨田渓仙の墓の前まで行ってみようと思った。これまで2、3回は訪れているが、いつも気になりながらそこまで足を延ばさなかった。家内と友人が後ろをゆっくりとついて来るところを、筆者は先へと急ぎ、左が崖という山道のようなところに来た。その奥を20メートルほど行ったところに目当ての墓があるだろう。ところが、気配を感じた。数十センチ前方、つまり目の前に筆者の右手に太くて黒い蛇がいた。2メートルほどはあったと思う。それを避けて向こうに行くことは出来るが、左が崖なので、あまり避けると落ちてしまう。蛇にほとんど触れるような近さで進むとなると、家内と友人は絶対に拒否する。それで諦めて引き返した。蛇がいたと言うと恐がるので黙っておいた。筆者は割合蛇は平気だが、これが龍なら腰を抜かすだろう。前置きが長くなったが、今日は去年12月に東京に行った際、大平さんに連れて行ってもらった國學院大學の博物館について書く。彼は神主になるための学部を出ていないが、同大学の付属高校から同大学へと進み、ま、筆者が東京に来ると案内しようと計画を立てていたのだろう。近年後者が建て変わったらしく、全体にとても新しかった。とはいえ、見たのは入場無料の博物館のみで、後は正門前の神主になるための授業で使う神社の設備で、これはこの大学だけのもので、一見の価値はある。神主の資格を取るためにはこの大学を卒業する必要はないようだが、ある程度の学習をし、認められる必要がある。大平さんは神社とは関係のない仕事に就いているが、神主の友人が多いそうだ。それも当然だろう。
 この大学はその名前のとおり、国学に関係する。筆者はそれには無関心であったが、10代後半から気になっていることがある。前に書いたことがあるが、小林秀雄が晩年に本居宣長についての本を書いたことだ。それが筆者には理解出来なかったというより、したくないところがあった。なぜ小林が国学に急に目覚めたか。それは西洋文化を愛好しても、どこかよそ様のものという気分が拭えなかったからではないか。これも前に書いたが、小林はその本を音楽評論家の吉田秀和に献呈すると、吉田はさっぱり理解出来ないと返事したようだ。吉田の奥さんは青い目であるし、吉田は死ぬまで西洋の音楽や美術についての本を書き、国学に関心を抱く暇がなかった。というより、その必要を感じることもなかったのであろう。国学には国粋主義という厄介な印象もついて回り、この国際化の時代に何と排他的なと思う知識人は少なくないように思う。小林は宣長についての本を書くに当たって宣長の生家や墓に訪れたというが、そこまで小林を宣長に接近させたことは何かと思う。筆者は小林のその本を読んでいないし、今後もたぶんそのままになると思うが、小林は残りの人生をかけて宣長のどこをどう学んだかと言えば、おそらく概観しただけで、宣長の考えを批判するところまで知識を吸収することはなかったであろう。それほど宣長の学問は柔なものではないように感じる。強いて言えば、おそらく宣長にしか理解出来ないような難解なものではないか。そして、國學院大學では宣長研究を学生がどの程度するのかしないのか、そこが何となく気になりながら、調べもしていない。筆者は大阪生まれであるから、宣長の本を読むのであれば秋成に肩入れしたい思いがある。宣長の和歌を書いた掛軸や短冊は割合市場に出るが、正直なところ、和歌はあまりうまい方ではなかったように感じる。その才能は圧倒的に秋成が上だ。それでもその平凡な和歌を作ったり書いたりする宣長は、その一方でどれほど深淵な学問をしていたのかと思う。秋成が歯が立たないほど難解であったと言えばいいのか、あるいは論をそもそも交えることを拒否したのか、とにかく宣長は謎めいた人物で、それだけに長年気になっている。だが、国学は宣長が初めではない。尼崎生まれのお坊さんの契冲や、宣長の師の賀茂真淵がいる。特に前者は上方人であり、筆者は宣長以上に何とはなく関心があるが、それ以上には進まない。それはなぜかと言えば、記紀万葉の素養がまず必要と思うからでもある。せっかく筆者は京都に住みながら、奈良を隈なく知ることもなく、記紀万葉についても関心はあるのにさっぱりという体たらくだ。吉田秀和はその点はどうであったのだろう。戦前生まれであるから当然しっかりと記紀万葉の重要性は学校で叩き込まれたはずだが、それが却って日本の古い文学を敬遠することになったかもしれない。
 何だか以前に書いたことをそのまま繰り返している気がするが、最近はこう思うようになって来ている。それは国学という難解な学問を多くの書物を繙いて考えることと、神社を巡って何かを感じることのどちらが大切かということだ。もちろんどちらも意義があるが、最も手っ取り早く、また欠かせないことは、神社に赴いて何かを感じることであろう。それは無学な人にも出来ることであり、いつから出来たのかよくわからないほど古い神社が、今もそのままあるという驚きは、日本独特の文化であり、そのことに改めて気づくだけでも、国学に何らかの関心を抱いたことの成果ではないか。契冲や賀茂真淵、宣長、それ以降の国学者もみな根本は神社で手を合わせ、境内の空気を吸って何かを感じることにあったはずで、学問はその後のおまけみたいなものと言っていい。もっと言えば、契冲や賀茂真淵、宣長らの著作が世の中から消えても、神社が残ればいいということだ。そしてそれは今のところ、地元のお祭りという行為によっていちょうは安泰で、国学者の考えなど今さら詳しく知る必要はないとも言える。話は戻るが、神社の排他的なところは、儒教や仏教など、後から入って来たものを重視しないことだ。それどころか、そういう外来の宗教は不要であると考えるが、それが明治維新には頂点に達して神社と寺を分離することになった。日本は時々そのような過激思想が広がるが、神社と寺を分けることはひとまず成功したが、寺の勢いが衰えたとは言えない。墓は寺に造るのがあたりまえで、生活に寺は欠かせないものとなっている。國學院大學では空海や最澄についてどれほど学生に教えるのか知らないが、一方の仏教系の大学では国学についてどう教えるのか教えないのか、門外漢にはその辺りのことが気になる。また話を変える。仏教をありがたがった日本は、戦後はアメリカ文化摂取に邁進し、改めて外来文化に弱い国民性と感じさせるが、そうであればなおさら日本の独自性を大切にして誇りを抱くべきと考える人たちがある。小林秀雄がそう思って宣長についての本を書いたのかどうか知らないが、せっかく日本に生まれたのであるから、日本古来の真髄みたいなところを探ってみようとしたのだろう。たとえば絵画では小林はゴッホを愛して本を書いたが、では日本にゴッホのような画家はいなかったのかとなると、それは個人の好みの問題で、探せば面白い画家はいくらでもいる。ところが日本は国際的評価なるものにかなり弱く、外国ではレンブラントが世界一と言われているとなると、それを鵜呑みにしてひれ伏す。そうでなければ文化的後進国の民と思われないと恐れているからだ。北斎が外国から立派な画家と言われて初めて日本は鼻が高く思うが、そのように外国から誉められない限り自信の持てない性質に染まっている。そこを国学者は感じていたのかどうか、日本は日本で独自なものがあるということを気づかせてくれる存在であると言える。国学者の力を借りずとも、物事を自分で判断出来る人は、日本の画家にもレンブラントに負けない人物がいくらでもいると主張するが、そういう意見はあまりの外来文化崇拝のために肯定され得ず、せいぜい日本の中でつぶやいているだけと言ってよい。そしてひょんなことから外国が注目し、讃えてくれると、ようやく胸を張るが、それもどこか自信のなさが滲んでいる。
 雪舟は中国に行って現地の絵画事情を見て来て大したことはないと思った。だが、中国から見れば日本は辺境で雪舟は無名同然だ。日本を代表する画家がそういう扱いであることは、歯がゆいことだが、大国の盲腸のような小国ではそれも仕方がないかと諦めの気分もある。日本は世界に冠たる金持ちになったのであるから、今のうちに過去の芸術家を国際的に有名になるような何らかの措置を国家レベルで講じた方がいいように思うが、そういうことに国は予算を使いたがらない。それで相変わらず日本だけで通用する有名画家という存在が今後もあり続けるが、そういうことに楔のように存在感を放つのがある意味では国学であり、また國學院大學の役割かもしれない。簡単に言えば骨のような存在だが、その骨はかなり細くて柔らかい。となると日本は蛸のような軟体動物に似ているかもしれないが、外国からはそう映っているかもしれない。だが、これは甲虫のような硬い殻を被っているよりいいかもしれない。どんな外来文化もぐにゃぐにゃと吸収してしまうタフさや得体の知れなさだ。そう思えばタコ焼きはなかなか深遠な食べ物と言えるかもしれない。話がなかなか本題に入らない。最初に書いたことを思い出すと、吠えるであったが、國學院大學博物館で見た展示物に「道成寺縁起絵巻」があった。企画展「神仏・異類・人」が開催中で、その第2章「異類の顕現」の1点だ。同じような絵巻は各地にあるので珍しくないが、この有名な紀州での物語は、若い女(清姫)が恋した僧(安珍)に無視されて立腹し、蛇になって後を追いかけるのだが、絵巻には蛇ではなく龍の姿で描かれる。大きな川を追いかける必要上、また女の恨みの大きさを表わすために、大きな龍にする必要があったのだろう。それはさておき、男前のお坊さんに一目惚れした女は無視されたことに腹を立てて僧を焼き殺してしまうというのであるから、女の怨念は恐い。男ではこういう話はないのではないか。女が龍になって吠えると、どのような太い声なのか、男はなおさらその女を避ける。だが、女の正体はやはり大蛇であり龍かもしれず、いつでも男を恫喝する心づもりがあるかもしれない。そうしては却って男は逃げると女は知っているからおしとやかに振る舞うようにしているが、それが駄目なら吠えるか。展示は奈良絵本や絵巻で、すべて同大学の所蔵なのかどうか、たぶんそうだろう。重文指定を受けるような一級品はなかったが、品のよいものが並んでいた。同じフロアに常設展があり、その面積がとても広かった。特に充実していたのは考古だ。日本の起源を知ることは国学が目指す重要な分野であるから、それは当然だが、一方では古墳の発掘が認められず、そのことをこの大学の人たちはどう思っているのか知りたい。陵墓は発掘の対象にするものではないとの意見もわかるが、エジプトでは世界中から学者が集まって知恵を出し合っている。だが、高松塚古墳やキトラ古墳のその後を思うと、まだ古墳を発掘する時機ではないだろう。黴が生えたりして元も子もなくなってしまうよりかは、土の中で眠っている方がよい。
 この大学が京都ではなく東京に出来たところに、たとえば発掘品も関東が中心となって、関西の学者との交流がどうなのかと気になるが、そういうことまでは展示からはわからない。この大学は神道に関する学部だけではなく、法学や経済学部もあるが、氷川神社の麓から見ると丘の上に超高層のビルが聳える。学生が1万人もいればそのような建物は必要だろう。その建物は先端が鉛筆の芯のように鋭角で、それがいかにも神々しさを狙ったようで印象深かった。今ネットで調べると、2012年にスローガンが出来て、それは「もっと日本を。もっと世界へ」というものだ。そうそうまた思い出した。戦争中に日本が南方の島に上陸した際、小さな祠を兵士がジャングルの外れのような場所に笑顔で据えている写真を見たことがある。おそらくその兵士は死に、祠は粉々になったが、日本が世界に進出する際にまず神道を浸透させようと、その象徴を現地に据えようとしたことは、どの国でも同じようなことをするのかどうかだが、国の象徴として社や鳥居を建てるというのはなかなかうまく出来た思想だが、いきなり外国人がそれに馴染むのかどうか。もっと世界に出るのは時代の趨勢として当然でもあるが、もっと日本をという考えから鳥居と社が形あるものとして真っ先に出て来ることのその背景にある日本の神が外国人に理解出来るものかどうかを思う。つまり、一神教ではないことをどうわかってもらえるかだ。そのことを考えると、国学をいくら勉強しても、こつんと突き当たる真実のようなものがないような気がし、またそれは神社に参ることで簡単に達せられるのではないかと、思いは堂々巡りをする。で、國學院大學の正門を入ってすぐ右手の学生の学習用の神殿の写真を撮って来たが、いずれそれを「神社の造形」のカテゴリーに載せる。
by uuuzen | 2016-02-01 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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