ヴァイオリンやヴィオラの音色を思い出させそうな庭の名前の玄宮園だが、それに隣接して小さな楽々園があり、まずそこに入るように順路で導かれる。
前回は彦根城の天守閣内部と、それを見た後に外に出て仰いで撮った写真を載せたが、出口は
「その3」の3枚目の、いわば正面とは反対の北西で、そのままそっちの方向に進むようになっている。そっちの方向の突き当りには平屋であったろうか、細長い建物があり、内部が拝観出来るようになっていた。その出入り口で中を一瞥しただけで、右手の石段から下に降りることにした。数人がそっちへ向かっていたからだ。天守閣のある区域を出て、濠を越え、広い庭園がある方向へ進んで行くのが何となくわかる。最初に行き着いたのが楽々園で、そこはあまり広くなく、また大きな書院は修復中であった。その前に立って玄宮園の方向を眺めたのが今日の最初の写真で、2枚目はほとんど同じ場所から首を90度右に向けて撮った。右端が書院、左端に岩をたくさん使った枯山水がある。見るべきものはそれくらいだが、最初の写真のように、玄宮園への見通しは素晴らしい。筆者の写真は冬場で灰色っぽいが、これが新緑の季節では見違えるだろう。だが、冬場でも充分に、この計算され尽くしたような借景は実に見事で、家内ともども、彦根城の予想をはるかに超える威容に驚いた。最初の写真を撮った場所からそのまま写真の奥方向へと歩みを進めることが出来ればいいが、楽々園を一旦出て、また玄宮園に入り直すようになっている。つまり、ふたつの園は隣接しているが、別々の扱いだ。ただし、料金をそのつど支払う必要はない。今日の3,4枚目は玄宮園に入って撮った。琵琶湖の畔にあるので、池は広い。昔は船で琵琶湖に出入り出来たという。今も濠は琵琶湖につながっているが、楽々園や玄宮園を取り巻く濠からは出られないようになっている。城の区画から琵琶湖までは300メートルほどあるが、湖岸は明治になって多少埋め立てられたのだろうか。遠浅であればそれはたやすいが、琵琶湖は岸辺からすぐに深くなっていると聞くので、埋め立てが出来るところとそうでないところがあるだろう。それはともかく、最初の写真からわかるように、庭から鉄塔やビルが見えないのがよい。これは琵琶湖に向かって撮ったからではない。その反対に南東の街方向を向いている。借景の中に現代の建築物が見えないように市は規制しているのだろう。いくら自由の時代とはいえ、そのくらいの規制はあたりまえのことだ。一旦その規制が弛み出すと歯止めが利かなくなる。人は街中にはない眺めを楽しみたいためにこういう庭園を訪れるが、彦根城の目当ては何と言っても天守閣であるから、筆者らのように玄宮園方向に道をたどる人は数分の一であろう。拝観料は別であるから、みんなは天守閣を見ただけで来た道を戻って帰る。それほどに玄宮園は人が少なかったし、またその方がよかった。
こうした庭園で思い出すのは、今TVのコマーシャルで女優が出ている岡山の後楽園だが、玄宮園はそこよりかは広くはないが、歩を進めるたびによく計算された景色が見え、まとまり感や、驚きは大きい。今日の4枚目の写真は、金沢の兼六園を思い出しながら撮ったが、小さな石橋をわたることが出来ないのは残念であった。向こうに見える建物は、京都の長岡京にある筍料理で有名な錦水亭を思わせたが、庭園に広い水辺があるのはよい。後楽園や水戸の偕楽園ではその記憶がうすいが、実際はどうであったのだろう。その広い池は3枚目の写真に見えるが、景色が逆さに水面に映っているのを見る機会はめったにない。わが家は桂川の近くにあるが、その川面にな同じように山や建物が映るかと言えば、水が流れていることもあって、ほとんどそのことが気にならない。北斎の「富嶽三十六景」でも富士山が湖に大きく映っている様子を描いた1枚があるが、それほどに静かな水面は珍しい。海ではほとんど駄目で、こうした人工の池でなければ鏡のように静かではない。そういう効果をよく知って、どこにどのように池を組み込み、またその畔にどういう木を植えるかを庭師は考える。それに、どこから見てもその植生が視覚の邪魔にならないようにしなければならず、生きた、しかも巨大な彫刻を造るような才能が必要だ。庭で思い出した。島根の足立美術館は毎年日本一の有名な庭園として評価され、外国人観光客も大勢訪れるが、前にも書いたように、その庭は借景は確かに遠くの山まで買い取って大変な手間をかけて理想的な状態を保っているが、美術館に飾る絵と同じように、一種の絵画、平面的な美として見せるもので、庭の中を歩いて眺めがどんどん変化する楽しみを味わうことは出来ない。つまり、立体的ではなく、せいぜい浮き彫りのような庭で、筆者は面白いとは思わなかった。広い庭に訪れた人たちを歩かせると、ゴミの心配や荒らされるという危険があるが、狭い個人の庭ならまだしも、広大な面積があるのに、それをガラス越しでしか楽しませないのは、面白くない。であるので、なぜその庭が日本一なのか筆者にはわからない。玄宮園の庭の方がはるかに楽しい。もっと外国人が訪れて歴史ある日本のこうした庭を楽しむべきだが、筆者らが訪れた時は、西洋人はひとりしか見かけなかった。中国人はどうかと言えば、たぶんごくわずかではないか。庭園を言えば、京都にいくらでもあり、彦根まで行く外国人観光客はよほどであろう。
そう言いながら、筆者がまた彦根を訪れるかと言えば、たぶんその機会はない。一度で充分見たというのではないので、季節のいい頃に出来れば訪れたいが、彦根市街があまりに人影が少なく、見るべきものがほかにないような気がする。さて、玄宮園の写真は明日も載せるが、庭の広さは後楽園や兼六園に比べてはるかに狭いはずなのに、順路にしたがって進むと、かなり起伏があり、また眼前の景色ががらりと変わるので、楽しい迷路を歩いているような気分になる。それは京都の枳殻邸に多少似ているが、枳殻邸は借景が駄目だ。高松の披雲閣の庭も面白かったが、一部工事中で、また歩ける場所のすべての道を隈なく歩いてはいない。それを言えば玄宮園もそうかもしれないが、立入禁止以外の区域は一巡出来るように順路が仕組んであったと思う。その散策は、江戸時代なら大名以下、武士だけのものであった。それが今は誰でも、また昔と同じ状態で見られるのであるから、タイム・マシーンに乗った気分だ。庭木の手入れをする人たちがあってのことで、古いものを常に新しい状態に保つには多大な労力が必要だ。そういうことを再認識するだけでもこうした庭園を訪れる価値がある。話は変わるが、鳥獣は過去の記憶がどれほどあるのだろう。人間は何代も前のことを遺跡や書物などによって知ることが出来る。それが出来ない鳥獣は、覚えているとしても自分が生まれて以降のことだけであろう。そういう鳥獣はそれはそれで潔い生き方と言えるが、人間と比べた場合、人間は自分が生まれる前のことを知ることの出来る能力があるから、人間として生まれて来たからには、そういう古い過去のことをより多く知る方が、人間的であると言えないか。つまり、生まれる前の古い過去などどうでもよく、毎日今この瞬間のことしか関心がないと言う人は、鳥獣と同じで、人間に具わった能力を駆使していない。いかに古い過去のことであっても、自分が初めて知ることは、真新しい経験だ。それは他人にとっては昔から知っている古臭いことであっても、自分を中心に考えれば新しい。そして、そういう意外な驚きを与えてくれる新しきことは、過去の中に膨大に埋もれている。そして、そういう中には誰もまだほとんど気づいていない、忘れ去られたことが無限にある。そういうものの中から自分が探し出して光を当てることは出来る。古いものには関心がないと言う人は多いし、あるいはほとんどの若者はそうだが、新しいと思っていることは次の瞬間に過去となるし、またその新しいと思っていることは、実はとっくの昔に誰かが考えたことの焼き直しである場合が多い。それもかなり劣ったもので、そういうことに気づくには、古典に多く触れるべきだ。そして、そのような生活を送っていると、今最先端の新しさがとても軽薄で、また無価値に見えたりするが、それが老人の証拠と若者には言われるから、温故知新もほどほどにか。