突進して来る敵が丸見えという状態を保つには櫓で充分だが、より多くの人間を収容することを考えると、多層の天守閣になる。
それに、そのような高層の建物を権力者は自分の象徴として求めるが、そこにはやって来る敵を見通すという意味での建物の高さとは別に、地位が高いことを物理的に高い位置にあること、つまり人を見下ろす位置にある状態を望む思いがある。男性は背が高い方が女から求められやすいと思うが、日本に限ればそのとおりだろう。それで背の低い男は時に靴底を高くするなど、背を高く見せるための涙ぐましい努力をするが、背の高いことが価値があるとみなされるのは、日本には城がたくさんあったからかと今思いついた。高い天守閣は武将の憧れの象徴であったし、そこには背が高ければ人を見下ろして殿様気分が味わえるとの思いが絡んでいるだろう。筆者が小学生の頃は、背の高い級友は先生からうどの大木と揶揄されたものだ。そのことを家内に言えば、家内の学校でも同じで、東京オリンピックまでは背の高いことはあまり歓迎されていなかったように思う。それは目立つ長身が少数派であったからだろう。大多数の男の背が低ければ、その大多数は背の高い者を除け者にしがちだ。だが、背の高い男が本当にうどの大木のように中身がかっらぽに近かったのではないかと考えてみるべき価値はある。筆者の知る限りでは、小学生時の長身の男性はほとんどは成績が悪く、またどこか鈍かった。それは、他者からうどの大木と揶揄されることを知って、内心恥じていたからかもしれない。時代は急速に変わり、今では筆者のように身長160センチ台の男は、ほとんど恋愛の対象にされないだろう。そのように男を見る女がまた身長150センチほどの小柄だ。そう言えば夫がいない間に部屋に別の長身の男を引き入れてセックスに励んでいたタレントもかなり小柄で、女はみな長身の男がいいと思う時代になっている。長身の女は背の低い男性とカップルでは周囲の眼が奇異に思えて嫌であるから、自分より高い男を求める。その結果、1世紀後には平均身長が190センチ時代に突入しているだろう。動物を見ていても体格のよさは圧倒的に雌を確保する能力に長けていて、人間の雌が長身男性を求めるのはごく自然のことだ。それで、身長160センチ台以下の男は女にもてず、子孫を残せず、自然に淘汰され、やはり1世紀先には平均身長が190センチの日本となる。その一方、背の低い遺伝子は残るから、たまに女は身長160センチ台以下の子どもを産む。だが、遺伝子検査によってそういう子は生まれて間もない頃に密かに間引きされる。あるいは、160センチ台でもぎりぎり170センチに近いような子は、せっせと運動させ、カルシウムを毎日大量に摂取させ、どうにか背が遺伝子で決められた以上になりますようにと、人為的に加工される。そう考えると、明治になって各藩の城を取り壊すように命じたことはなかなかいい政策であったかもしれない。城があることで男は背が高くあるべきという風潮が訪れることを予期し、そういう女の考えは国を滅ぼすと幕末の政治家は思ったのかもしれない。だが、大半の城が消え去っても長身崇拝が顕著になって来たのは、よほど城の魔力が強かったということだ。先に書いたように、権力者は人を見下ろすことに陶酔する。その最も手っ取り早く、また誰もがかなえられない方法は、長身だ。話は変わるが、TVのお宝鑑定の番組で司会をするお笑い芸人が高さ10センチほどの隠し厚底の靴を履いていると、家内はいつも彼の全身が画面に映るたびに意見する。そう言われてその芸人の隣りに立つ人と見比べると、確かに膝から下が異様に長い。本当は170センチあるかないかのはずの身長で、それを10センチ高くして180センチに見えるように欺いている。そのことを家内は醜いと言う。女は横に立つ男が長身でさえあれば、ペット的に自分が引き立つと思うから、男の中身がからっぽでもかまわない。普通の女は中身など見ない。
彦根城の天守閣が小振りなのは、江戸時代の大人の平均身長に関係しているだろう。大きな天守閣でも同じことで、天井の高さはほとんど変わらないのではないか。日本は畳文化であったが、畳は普通高さが180センチで、寝転んでその長さをはみ出す大人はいないという思いがあった。だが、身長180センチでは物足りないと思う女が今後もっと増加すると畳は2メートルの長さになり、彦根城を初め、日本の天守閣は小人の国の建物として、今とは違った珍しさで人気を集める。それがほとんど現実になって来ているのは、女性のキモノが昔の反物では間に合わなくなって来たことからも言える。ここ30年ほどか、反物の幅は鯨尺の1尺では足りなくなって来た。女性の身長が伸び、裄もその分伸びたからだ。それでTVでキモノ姿を見ると、裄が著しく短くてほとんど半袖姿に近いキモノを着ている女優がいる。それほどに長身かつ手が長いのがあたりまえになって来た。時代劇用の衣装を新調する必要があるのに、その経費がなく、また金はあっても反物を特注しなければならない状態になっている。反物の幅が1尺1寸でも身長170センチくらいの女性の裄幅にはぎりぎりで、肩や袖口の縫い代が5ミリ程度ということになる。1尺2寸幅の反物は昔では男のものであった。それほどに今の若い女性は手足が長くなり、キモノが似合わない体格になっている。畳もキモノももはや不要という時代で、確実に戦後の日本はそれ以前とは別世界になって来ている。その最も顕著なことが、男女ともに身長が伸びたことで、その傾向は留まらない。1世紀先に平均身長が190センチというのはおおげさではなく、本当にそうなると思っているが、その時に畳やキモノが残っているかどうかだ。今でも畳はもう珍しく、TVで宣伝する地震に強い家は畳の部屋はない。畳やキモノがなくなれば、外国人が日本にやって来るだろうか。だが、畳やキモノを残そうとしても、身長が伸び続けるからには、今までの規格を捨てる必要がある。畳2枚分を1坪という基準も改める必要があり、不動産屋も混乱する。だが、古い規格が通用しなくなることは、景気浮上にはいい。古いものがいつまでも通用するでは、新たなものが生まれにくい。それは真実で、女が長身の男性しか相手にしないこともそうだ。背の低い男は立つ瀬がないと諦めず、隠し厚底の靴を履けばよい。人に見下げられることが嫌な人は、厚底靴を履いて人を見下げればよく、そのうち誰もが竹馬に乗って通勤するようになる。そうなると電車は今の高さの倍以上の天井が必要で、安定の悪い電車はしばしば脱線し、死者が出る。それでも長身合戦は収まらず、ビルはますます高層化する。1階当たりの高さを倍以上にする必要があるからだが、長身合戦は最初は経済効果がよくても、次第に無駄が多いことに人々は気づく。それでもそれで終わる長身崇拝ではない。2万年くらい経つと、ヒトは身長10メートルになり、それで歩行困難、骨折続出のために絶滅する。そのように長身を求めたのは、馬鹿な女が男の長身を望み続けたからだ。
アホなことを書きながら思い出すのがル・コルビジェのモジュロールだ。これは中学生の美術の教科書で知った。コルビジェは、建築物は人間を基準にした、使いやすくて美しいものをと考え、その人間の規準になるモジュロールを案出したが、誰しも思うのはその基準になる人間の背丈だ。コルビジェはその人間を影絵のように描き、片手を上に挙げたシルエットで建築に必要な各部の長さを割り出したが、その元となる人間の身長をどう定めるか。多くの人が利用する教会のような建物では、平均を取ることが理想だろうが、その平均は年代の推移によって違って行くのではないか。文明国で独立国、文化に自信と誇りを持つフランスではその心配はなかったのかもしれない。だが、戦後の日本では全く違った。コルビジェのモジュロールは、身長183センチで、手を挙げた高さは226センチと定めされた。これは今の日本では通用させることは出来ない。平均身長が183センチになるにはまだ50年は優にかかる。フランスは割合小柄な人が多いと思うが、コルビジェはなぜ183センチの人を基準としたのだろう。それではコルビジェ設計の建物は大男向きで、身長がそれほど高くない東洋人から見れば、また内部に入れば、違和感が生じるのではないか。コルビジェはそのモジュロールが人類全体に普遍的に通用すると思っていたかどうかだが、日本ではコルビジェよりもっとはるか昔に、畳や反物の幅というモジュロールがあって、それによってどの建物も造られていた。今もその名残があるが、畳を必要としない世の中に変わり、日本古来の規準を無視している。そして、平均身長がごく短期間に異常に伸び、畳やキモノの規格を改変する必要に迫れているが、コルビジェのモジュロールを思うと、明らかにフランス文明は日本のそれよりも優れていたと言うことが出来る。つまり、日本はヨーロッパ文明に負けて、それを受け入れた。最初は折衷であったのが、今ではもうそ呼べず、そのままを受け入れ、またそれが格好いいことと思うほどに洗脳、いや棄脳した。身長も欧米人並みになることを望み、それが実現しつつある。畳やキモノが消え去ることは、木造建築、中でも書院造りといった伝統的なものを不要にして行く。では、畳を敷いている寺はどうかと言えば、やがてそれもなくなるのではないか。そしてキリストの教会も建たずで、日本は無宗教の国となる。そこに外国人から見てどれほど魅力的な文化が残っているかだが、たぶん何もない。つまり、戦後の日本は少しずつ絶滅に突進している。だが、心配には及ばない。西洋人と同じ身長と食生活、ライフ・スタイルを手に入れるのであるから、世界中どの国に行っても生きることは出来る。世界への同化だ。国がなくなっても遺伝子さえ残って行けばいい。日本全体がそのように考えるようになるだろう。ま、1世紀先はまだそうならなくても、1000年先はわからない。そして、そのきっかけを作ったのが、日本の港を外国に開いた井伊直弼ということで、彼の肖像は紙幣に印刷されているかもしれない。ともかく、人から仰ぎみられるには、背が高いことに限る。