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●関東の小さな町中と瓦礫の尖塔
連日夢を見る。今朝も長いのを見た。よく夢を見るが、こうして書くことの出来る夢を見るのはどうも周期があるような気がする。友人や知り合いがよく登場するとしても、今日も書くにはあまり差し支えない。




 友人Mが出て来た。久しぶりだ。彼が関東の小都市に移住したというのでそこを訪れている。ところが、町の名前を知りたいのにそれがわからない。その町へどんな交通機関を利用して訪れたかもわからないので、漠然と不安がある。だが、Mが一緒であるので、安心もしている。ふたりで町中を歩いている。かなり前に開発された新興住宅地だ。天気のよい昼間であるのに、友人の顔はどこか優れない。何か問題を感じているようなのだ。ある場所に来た時、ぽつりとMは語り始める。都市計画から考えても町には道路があまりにも足りず、今この目の前にある木造の建物数軒にしても邪魔だと言うのだ。それを取り除けば容易に向こうへ通ずる拡張道路が出来るのに、今のままでは猫が通れるほどの路地しかない。その建物の壁面は昔の家にあったような、竹で編んだところに土を塗り込めたものだ。漆喰で化粧をしていないので、荒れた土が剥き出しになっていて、建物が途中まで造られて放棄されたのか、あるいは長い間空き家になっていたために風化したのかはわからない。そのような家があるところを見ると、必ずしも新興住宅地とは思えない。戦後間もなく家が立った部分もかなり混じっていて、曲がりくねった道路や細い道があちこちある事情が改善されていないのはあたりまえのような気がしている。それに、下町特有の光景があちこちに見え、筆者が通う床屋の主人もいつの間に引っ越ししたのか、その町で営業していることを知る。サラリーマンばかりが住むような消毒された印象の町ではなくて、むしろ長年の垢が染みついた雰囲気も漂っている。古ぼけた家を撤去して道路にすることがなぜMにとって関心事なのかわからないが、そんなに目くじらを立てることでもないではないか。それでもこんなどこにでもあるような見知らぬ殺風景なところに住むのは御免だなと感じる。そしてMに言う。「もし道路幅に不満があるなら、いっそのことまた引っ越しをしたらどうかな」。Mはそれには答えず、自転車で5分程度のところに駅があると言う。次の瞬間、ふたりは駅を見下ろす高いところから下界を見ている。高さは10数メートル程度だ。空を飛んでいるという感じはない。下を見ると、茶色の切り妻屋根の平屋の細長い駅舎が見え、いかにも地方都市の雰囲気がしている。四方八方から通勤客が集まり、次々とやって来る電車に乗って東京かどこか大都会に向かおうとしているのがわかる。朝の9時頃で、天気はよい。「自転車で5分とはなかなかいいところに住んでるな。それだけでも今のところに引っ越したことは正解だ」。Mは笑顔を見せる。それなりに住環境に満足しているようだ。
 Mと連れ立って昼食を取ろうとしてある店に入る。店内は広い。満員だ。テーブルに着くと、Mの姿は見えない。代わりに従姉や妹たちが同席している。店の中はとても混雑していて騒々しい。食事が早速届いて食べ始めようとした途端、あるある西洋人の女性が「この子を一時的に仲間に加えてやってくださいな」と忙しそうに言う。全員がわーっと驚いて大歓迎だ。なぜなら筆者の真向かいに立つその少年は、小学1、2年の黒人の男の子で、丸い顔に縮れて短い毛、それに目がくりくりしてとてもかわいいのだ。その風貌を見れば誰でも少しの時間くらいなら喜んで預かってやろうという気になる。男の子はあまり恥ずかしがりもせずにそのままじっと立っているが、英語でいくつか話しかけてみる。年齢はいくつだとか、どこから来たのだとか、それに名前は何かなどだ。名前は「ファディッシ」とはっきり言うので、イスラム系の名前かなと思い、スペリングを訊ねる。すると少年は騒がしい食堂の中で、はっきり、ゆっくりと「P・H・A・D・S・I」と言う。書きとめておくものがないので記憶する必要があるから、もう一度言ってもらう。すると今度は「P・H・D・S・I」と言う。『おかしいな、さっきとは違うぞ、これではどう発音していいかわからないな』と思いながら、ゆっくりと少年に了解を求めるように「フドゥシかな? 珍しい名前だね」と言うと、少年は急に大阪弁ではっきり「そうでもあらへん」と人を小馬鹿にしたような調子で吐き捨てるように言い、さっと筆者から見て左手に消え去った。人が多いので、すぐにどこへ行ったかわからない。迎えがやって来たのが見えたのだろうか。それにしてはわずか20秒程度しか経っていないから、これでは預かったことにならないと思っている。
 少年のことが気になっているわけでもないが、次はひとりで広々としたドームの中にある学校の教室に向かっている。あたりはうす暗い。屋内に遠く教室があるので、あたりは映画のセットのような雰囲気が漂っている。人の気配はない。歩んでいる途中で高さ2メートルほど上に横に長い本棚があり、その左端に地図帳が1、2冊立てて置いてあるのが見える。相変わらず関東のどんな町であるのかが気になっているので、その地図がちょうど情報を与えてくれると思って安心する。ところが住宅地図で、町の1軒ずつの場所はよくわかるが、町全体が日本のどこにあるのかはわからない。それで、手に取るまでもないと思う。だが、次の瞬間、急に小さな看板か札のようなものが本箱の近くに見え、我孫子市という文字がさっと見える。『アビコシか。我孫子は大阪にもあったけれど、ここと関東だしな。確かそんな市が関東の千葉あたりにあったな』と思う。だが、関東には詳しくないので、その町が正確にどこにあるかは知らない。どっちみちそのような小都市であるのは間違いないようなので、少しは安心する。ついに教室へやって来たが、授業中でしーんとしている。扉はみなしっかりと閉まっている。そこには用がないので、さらに進むと、急に舗装されていない地道を歩いていることに気づく。そして道の端に10円玉が半分地面に刺さるように落ちているのを見かける。それをすぐに拾う。その次の瞬間、またすぐ近くに10円玉が同じようにして落ちている。また拾って砂を払い、ズボンのポケットに収める。その途端にまた近くに見つける。そしてまた拾う。どうやら狭い道の両脇のあちこちに点々と10円玉がたくさん落ちているのだ。3つだけ拾ったところで、背後で小学2、3年の小柄な少年2、3人の声がする。振り返ると、真夏の格好をしていて、白い下着のシャツ1枚と半ズボン姿だ。ひとりが「おい、お前、ここにも落ちているぞ」と言うが、少年たちが見出すべきものであった硬貨を自分が先に見つけ、3つもポケットにしまい込んだことを恥じる。そして黙っていようと思う。それにまだ10円玉はたくさん落ちているから、子どもたちはそれを拾うだろう。そしてまた地面に目を落とすと、今度は透明なプラスティックかアクリル、あるいはエポキシ樹脂で出来た「0(ゼロ)」の形が落ちている。手に取ると思ったより軽く、うすい紙片の重さしかない。うっすらと黄ばんでいて、表面に細かい傷があったりする。2、30年前のもののようだ。厚みは8ミリ程度、縦方向に8センチ、幅4センチ程度の大きさで、干しイカの身の輪切りを厚くしたものを思えばよい。その0がまたさきほどの10円玉と同じようにあちこちに落ちている。そして中には一部が欠けて、0の輪が閉じていないものもある。何か商品の価格表示のために使用していたものだろうかと思っていると、道は急な坂になり、たちまちほとんど垂直の崖をよじ登っている。砂や小石が混じっていて、崩れやすい感じがしているが、あちこちくぼみがあるので足をかけて登りやすい。それにまだあちこち0が突き刺さっている。数3メートル登ってうえの方を見ると、もう4、5メートルで頂上になる。そして頂上を取り囲むようにさらに上方に環状の通路の底が見えていて、そこに立てば真下にこの砂利と瓦礫、そして廃棄物の塔を見下ろすことが出来るようなのだ。だが、そこには誰もいない。空は白くて、どんよりしている。また下に降りようとして瓦礫塔の肌を適当につかむと、砂がざざっと少し崩れ、そこからエビ茶色の大きくてつやつやとしたヤスデが1匹姿を見せる。その気味悪い生き物をまじまじと見ていると、次にまた砂の中から数匹の黒い百足が横に並んで姿を見せる。そのグロテスクな様子にぎょっとする。廃棄物の中にはさまざまなこうした生物が生息しているようなのだ。それに触りかくないと思い、一気にズズッと地面に降り立ったところで目が覚めた。


Mは関東の地方都市に住んでいる。夢で見たのと違う町並みだとは思うが、長い間行っていないのでよくわからない。10円玉を拾う夢はよくない。大体からしてお金を拾う夢はろくなことがないと聞く。ましてや小銭であればなおさらで、そんな夢を見た日は事故に注意する方に越したことはないとよく母から言われた。だが、割合小銭の夢を見る。札束の夢などほとんど見ない。アクリルの0の形をしたモノは何に起因してのことなのか見当がつかない。あまりにもリアルに記憶していて、それとそっくり同じものを工作して作り出すことが出来るほどだ。また同じものを昔どこかで見たことがあるかもしれない。瓦礫の塔については出所がわかる。全体としては茨木の万博公園の「太陽の塔」の反映だ。あれほど大きくはなくて、夢ではせいぜい10メートルほどの高さだが、塔の上部を環状通路が取り囲んでいるのは、1970年の万博の時の「太陽の塔」の様子と同じだ。最近この「太陽の塔」を間近で見たが、両腕がかなりうす黒くなっていた。10年に1度程度は全体を塗り替えればいいと思うが、それをするのも大変な経費がかかるので、一時などは塔そのものを取り壊すことが検討された。今後もまたその議論が湧き起こらないとも限らない。鉄筋コンクリートの建造物であるので、寿命は半世紀少々だろう。その時にまたどうするかだ。同じものを建て直すことはまずないと思う。無用の長物をなぜ大金を使って再建するのかと反対運動も起こるだろう。廃棄物にも思い当たることがある。それは今日の朝、キモノの仕立て屋に仕立て上がったキモノを取りに行った時のことだが、息子が運転する車の中から、産業廃棄物施設の前を通った。「一般の持込み歓迎」といった文字が鉄の扉に白く書かれていて、1トン当たり7000円の価格が記してあった。走る車から一瞬見ただけだが、印象は強かった。片側だけ開け放たれた扉の外に50代のおっさんがひとりホースで水を撒いていて、奥には砂の黒い小山が見えていた。処分された残土かなと思ったが、本当にこのような郊外の施設で適切に産業廃棄物が処理されているのかどうか疑わしい気もした。どうせそのあたりは江戸時代は大きな池であった土地で、今も畑やラヴ・ホテルが林立するだけの殺風景な場所であるので、多少は毒性のあるものをそのまま埋め立ててもかまわないと思われてもいるかもしれない。しかし、中から虫が出て来るならばまだ夢の中の廃棄物の塔も安全なものと言える。毒だらけであれば虫すら生息出来ない。塔を一気に降り立ったのも心当たりがある。先日観た『日本のいちばん長い日』の中で、外で何やら作業中の学生が数人、一気に数メートルの崖を降りるシーンがあった。カットなしでそのまま次の場面につながっていたが、あのシーンを撮るのに、何度俳優たちはあの崖をあのようにして果敢に降りたのだろうかと思ったものだ。
by uuuzen | 2005-12-01 23:57 | ●【夢千夜(むちや)日記】
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