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●高松城にて
が赤いのは寒さのせいだが、これが3月になると花粉症で今度はティッシュで鼻水をかむために赤くなる。目がいよいよ痒くなって来ているので、花粉はもう舞っているのかもしれない。



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それはともかく、今日からしばらく高松城で撮った写真を載せる。今日はその序だ。昨日書いたように、10年ほど前に高松に行った時、早朝に着いたのでうどんで腹こしらえをまずし、その次は琴電に乗って栗林公園に向かった。それを見た後はこんぴらさんに行ったが、その後高松に戻って街中を歩いた記憶があるが、よく覚えていない。ただし、街中のいくつかの光景はとても鮮明に記憶していて、それがどこであったのかわからないのがもどかしい。高松ではなく、ひょっとすれば丸亀で、また別の日であったかもしれないが、昨日書いたように旅行は節目であるのでよく覚えているという言葉が嘘になってしまう。また話が脱線するが、毎日違う場所に行って違う人と会うことを仕事にしている人は、行った場所も出会った人もほとんど覚えないないだろう。芸能人がそうだ。会った一般人の方は鮮烈に覚えているのに、芸能人は相手が一般人でもあり、全くと言っていいほど覚えていない。これは一般人からすればさびしいことだが、芸能人の身になってみると、何だが哀れと思う。行った場所も出会った人も覚えていないということは、節目になっていないことで、つまりはただ時間をだらだらと過ごしただけで、人生の無駄ではないか。芸能人とはもともとそういうように生きる人種であるから、本人たちは何とも思っていないだろう。忙しく過ごして金も儲かり、また誰からも知ってもらえることに自惚れる。だが、何となく味気ない人生のように想像する。人生は自分のものであるから、自分が好きなように時間を過ごさないことには損だ。そのため、旅行するなら自分で目的を決め、行きたいところに行く。とはいえ、筆者の場合は時間はあっても金がないから、ほとんどは日帰りとなる。そしてせいぜい西は四国、東は名古屋辺りまでだ。和歌山の南部は昔から行きたいと思いながら、なかなかその機会がなく、筆者は白浜にも行ったことがないが、熊野三山とともに一度は訪れたい。それを家内に言うと、それを言い出してもう20年か30年経つと呆れられる。家内は独身時代に白浜には何度か訪れていて、ホテルで豪華な料理を食べたりしたそうだが、どうせ筆者と行ってもそんなところには泊まらないであろうからと、和歌山行きには期待していないようだ。そのとおりで、筆者は豪華な食事や温泉はどうでもいい。熊野三山だけは見ておきたいが、昔はあったバス・ツアーはもうないのだろうか。個人で行くには電車はしんどいから、車が便利だが、筆者は運転出来ない。それで誰かに乗せて行ってもらうことになればいいが、熊野三山だけ回るというのでは、やはり呆れられるだろう。
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 話を戻して、10年前にうどんを駅前で食べた後、琴電の始発を待った。まだそれほどに早い時間であった。そのため、栗林公園は開園を待つかと言えば、そうはならず、もうすでに園内は散歩する人がそれなりに目立った。それはどうでもいいが、琴電の改札前で待っていると、目の前に濠と石垣が見えた。手持ち無沙汰なので、早朝の城跡の風景をスケッチした。そこには日付を入れたので、それを見れば正確な日がわかるが、そのスケッチブックは隣家にあって、探すのが面倒だ。それで、その琴電前から眺めた高松城にようやく行くことが出来た。まさかブルース・ビックフォードの作品が展示されるとはその頃は夢にも思わなかったが、人生はそのように想像を絶することがあるのが面白く、また怖くもある。もちろん怖いのは事故や事件に巻き込まれることだが、旅行すればその危険は増す。今では街中を歩いていても高齢者の車の運転事故に遭遇する確率が昔よりかは増えているから、旅行中に事故に遭いやすいと考えるのは時代遅れかもしれないが、それでも見知らぬ街で呑気な顔で歩いていると、いい鴨にされやすいだろう。その点、高松城は、10年前に場所もよく覚えたので、筆者には珍しく、迷わずにまっすぐ琴電の駅前から城内への門へと至ることが出来た。最初の写真は展覧会のチケットを買って城内に入って撮ったもので、遠くに見える石垣の左手が琴電の線路だと思う。なぜこの写真を撮ったかと言えば、手前に見える水門だ。濠の水のかさはこの水門で調節されている。2枚目は濠沿いに玉藻公園内を歩いて展覧会場の披雲閣へ向かう途中で見かけた松ぼっくりで作った塔だ。クリスマス・ツリーのつもりかもしれない。これは園内に落ちている松かさで作られたもので、それほどに松の木が多い。また松かさを拾った人は、持って帰るのではなく、それを投げ込む専用の箱もあった。松が多いのは高松の名前から当然かと思ったが、高松城は玉藻城とも呼び、松よりも藻がシンボルになっていたのだろうか。玉藻と言えば、毬藻を思い出すが、まさか毬藻がこの城の濠の中で育つことはないだろう。では名前の由来は何かとなるが、面倒なので調べずにこのまま書く。松かさの塔は夜間には点灯するのだろうか。またこの塔は展覧会の間だけのものか、それとも常設展示かだが、どっちなのかこれも調べないでおく。昼間に見れば松かさの集合とわかって面白いが、夜間はその効果はないだろう。また、松かさは雨に濡れるなどしていずれ腐敗するので、これらの塔は展覧会のために作られたものか、あるいは展覧会の展示作品のひとつであったかもしれない。松かさの使い道はほとんどないので、園内に落ちているものを集めてこうして見せるのはなかなか好ましい。
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 3枚目の写真は向こうの石垣の左端に琴電のプラットフォームが見える。そこに立って始発の電車が出るまで濠を眺めていたことを思い出したので撮った。つまり、10年ほど要して、遠くに見ていた場所に立った。4枚目は披雲閣がもう見えるという頃に撮った。この写真の奥に見える石垣の上に天守閣があったらしい。撮影しなかったが、この写真を撮った場所のすぐ近くに、この写真と同じ角度の写真上に天守閣をコンピュータ・グラフィックスで合成した写真を印刷したパネルが展示されていた。天守閣の復元に向けての運動があるのかどうか、この4枚目の写真の石垣の上に真っ白な城が建つと、それは壮観であることはわかる。尼崎では城の建設のために億単位の金を寄付した人がいたが、高松ではどうだろう。数億程度では復元は無理だろうか。10億、20億単位の金額となれば、寄付だけでは無理だろう。明治になって城のほとんどが取り壊されたが、惜しいことをしたものだ。石垣や濠だけというのはやはりしまりがなく、殺風景で、京都の二条城でも天守閣がないのがさびしい。それがあった場所はとても狭く、天守もさほど大きくはなかったはずだが、ならば京都市が復元すればいいように思う。それをせずとも充分に観光客が訪れるので、そんな考えを市やまた市民は持たないのだろう。その点、尼崎は阪神の駅から城のある南側に人はあまり行かず、ぜひとも天守閣はほしいところだろう。高松も商店街をきれいにしたのであるから、次は天守と思っているのかもしれない。4枚目には写っていないが、筆者の立ち位置から少し左手奥は工事中で、玉藻公園を整備している。どこがどのように変化するのか、また変化したところで以前の様子も、また現在の様子もさして知らない筆者にはわからない。それに、高松に来ることが今後あるだろうか。どうにか日帰り出来るので、また来ればいいが、訪れたいという何か目当てのものがない。それで披雲閣でメディアアートという若者向きの展覧会を開催したのだろう。京都や大阪では展示しないものを見せるようにすれば、わざわざ京都大阪から人がやって来るとの考えで、その思惑は筆者に関しては当たった。だが、展覧会で釣るというのは限界がある。それで誰にでもわかりやすい天守閣をほしいと思っているのかもしれない。それが出来ればうどん、栗林公園、高松城と、観光の目玉が増える。そうなってほしいものだ。4枚目の写真の石垣の上の天守閣から、4枚目の写真の撮影位置を眺めるということが、10年先に実現しないものか。
●高松城にて_d0053294_284837.jpg

by uuuzen | 2016-02-10 23:59 | ●新・嵐山だより
●高松市内を歩く >> << ●披雲閣から庭を見る

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