横長画面に程度があるのが残念だ。筆者はこのブログに載せる横長写真は横幅を500ピクセルにしているが、それでは写真に収まる景色の角度が狭い。

それで横につなげて3枚や4枚撮り、それを画像加工ソフトでつなぐが、そうすると横幅が3000ピクセルくらいになってパソコン画面に入り切らないから、また500に縮める。すると縦もその分短くなってせっかくつなげたパノラマ写真がとても貧相になる。それでその小さな写真をクリックすれば別画面で大きな写真の画面が開くように以前はしていたが、大きな写真は画像容量が大きく、無料で使える限度量にすぐに到達する。無料コースから毎月何百円か支払うコースに切り替えると画像はほぼ無制限に載せられるが、そこまではまだ考えていない。そういうところが、ケチと言おうか、大阪人らしい。金を払ってまで誰かに見せるという気がない。これが印税のような形で金が入って来るなら別だが、まずそんなことは絶対にあり得ないから、なるべく労力を使わず、そして金も使わない主義でゆるゆるとブログを続けている。さて、今日は天龍寺で節分祭があるというので、例年どおりに豆拾いに出かけた。毎年行くようになって4、5年だろうか。今日は天気がよかったので、嵯峨のスーパーに買い物に行くついでに出かけた。写真をたくさん撮ったので、節分祭については別の日に書くことにするが、去年以上に人が多く、毎年人の数は増加の一途をたどっている。京都観光の人気がいっこうに衰えず、観光客相手の商売をしている人はウハウハだが、そうでない人は陰で嫌味を言っている。訪れる人が増えてもいいことが少しもないからだ。それどころか、かえって悪くなることばかりで、静かに生活させてほしいという気持ちだ。筆者はそこまでではないが、ポイとゴミを捨てる観光客を見ていると、後ろからそのゴミを投げつけてやろうかと思う。地面がゴミを食べてくれるとでも思っているのだろうが、ゴミを拾うのは地元の住民だ。知らない間に誰かがやってくれていることに気づかない人は多い。ひとり暮らしをすると、たとえば食べた後の洗い物は、自分がやらねばずっとそのままで、いわゆる尻拭いということを実感する。それがたちの悪い観光客になると、ゴミをポイ捨てしても誰かがどうせ拾うと思い込んでいて、まるで王様気分だ。きれいに保たれるのは、誰かが世話をしているからで、そういうことはひとり暮らしをすればわかる。あるいはその部屋がゴミ捨て場同然であれば、外でのポイ捨ても気にならないということか。ともかく、人間は勝手なことをする奴とその後始末をする人とがいて、この図式は永遠になくならない。どうせなら勝手なことをする側にずっと回っていたいものだが、もちろん自分で尻拭いはするということを前提にしての話だ。

さて、家内と天龍寺に向かう際、渡月橋の上から下流側を見ると、すでに堆積土砂の浚渫が始まっている様子が見えた。筆者は橋の上流側の歩道を歩いていたので、その工事現場までは距離があり、カメラのズームを最大にして撮った。そうして撮った写真から縮小せずに500ピクセル幅で写真を切り取ったのが今日の最初の写真だ。これを見ると、橋の下流側の歩道上から撮ったようだが、筆者の立ち位置からはバスや車、そして下流側の歩道を歩く人が写っていてもおかしくない写真で、それらが写っていないのは、たまたま運よく車も人も途切れた瞬間に撮ったからで、実際はとても大勢の人が歩いていた。2月と8月は京都観光はドン底で、訪れる人が最も少ないが、それがどうもそうでなくなって来ていて、たとえば天龍寺で節分祭があるということを観光客はどこでどう知るのか、大勢の人が橋の歩道を歩いていた。それはさておき、最初の写真の左端に嵯峨から流れて来た川と桂川との合流暗渠の口が見えている。それが土砂を運んで来ることはあまりないと思うが、今月の浚渫工事はその河口から近い中洲で、写真のようにユンボが何台か入って土砂を取り除いている。この最初の写真は定点観測用ではなく、たまたま節分祭に行くついでに見かけて撮っただけで、今日のメインは2,3,4枚目だ。それについて書くと、節分祭でたくさんの豆を拾った後、そろそろ帰るかと渡月橋を今度は嵯峨方面から南に歩き、中ノ島公園内に入ったところ、筆者ひとりで中ノ島の南端の定点撮影場所と決めた石の上に立って2枚目を撮った。これはいわば1枚目のクローズアップでもあるが、同じく下流を向いているとはいえ、立ち位置は当然かなり違う。それで工事の様子を側面から撮るには中ノ島ではなく、「風風の湯」の前の桜の林、しかもその北端の自転車道路沿いがよい。その定点撮影場所を決めたはずなのに、すっかり忘れてしまい、前回と同じ位置に立つことは出来なかった。もっとも、それが出来たとて、トラックやユンボが動き回っている場所を写真に収めるには角度を変える必要があったから、前回決めた定点撮影場所は意味がない。定点撮影も大事だが、現場がどういう様子であるかをわかりやすく伝えることの方が先決で、それには最初に書いたが、かなり横長のパノラマ写真がよい。そういう写真を加工しようと思って今日の3,4枚目を撮ったが、2枚つなぎにすると、縦が360から200ピクセルほどになってせっかくのパノラマが貧弱になる。それで2枚に分けて3,4枚目とするが、そうなれば筆者は書くべき段落がひとつ増え、その分寝るのが遅くなる。もう深夜2時前なので、早いことをこれを投稿せねばと思いつつ、ようやくその第3段落目の区切りとなる。

3枚目は4枚目の上流で、トラックやユンボを中心に撮ったが、4枚目の右下に筆者の影が写っている。それはあえてそのように撮り、またトリミングしたが、たまたま見えたので収めただけのことで意味はない。あるとすれば1枚目の写真と違って陽射しが西に傾いていることだ。豆まきとスーパーに行ったので、2時間はたっぷり経っている。もっとかもしれない。それはそうと、今日の最初の文字「横」は、10年ほど前に使った文字順を繰り返していので使ったまでだが、うまい具合に思い当たることもある。どうでもいいことだが、このブログの本文の体裁がいつの間にか若干変更になっている。筆者は設定を何も変えていないから、エキサイト・ブログの方で何をいじったのだ。以前とどう違うかと言えば、本文の横幅が写真と同じ500ピクセルであるのに、写真はどれも1ピクセルほどの紫色の外枠つまりリンク仕様に変わっている。この紫色の枠が500ピクセルの幅内に強制的に入り込んでいるので、タイトル幅が少しおかしなことになっている。それは読者には見えない。筆者にはそのタイトル枠内の右端に「編集|削除」の文字が見えているが、それが以前と違ってずれ方がおかしくなっている。また、「More」をクリックして表示される本文の続きの頭の行が、以前とは違ってかなり下にずれていて見栄えが悪い。筆者のパソコンがVISTAで古いためにそういう見え方をしているのかもしれないが、エキサイト側は少しでも利用者が便利なようにいろいろと改善を重ねながら、時として改悪と思われることにもなっているのではないか。と、ここまで書きながら、設定画面のボタンをいろいろと切り替えると、写真の縁の紫色の線は消えた。そのことでまた不具合が生じるのかもしれないが、今日は深入りしないでおく。今日は嵯峨のスーパーに行ったので松尾橋の上から工事用の道路を見下ろした写真を撮ることが出来なかった。次回はそれを撮るつもりでいる。