年が明けてから寒くなり始めた。明日から日曜日にかけては沖縄でも雪が降るかもしれないとのことで、また自転車置き場の屋根の雪下ろしをせねばならなくなりそうだ。

その一方で思い出すのは東京の目黒で遭遇した急な坂だ。東京は坂道が多い。京都や大阪は平らと言ってよいが、東京はでこぼこだ。それは地図を見ていてはわからない。筆者は地図を見るのが好きで、道順や距離を把握して歩く気になる。先月下旬の東京行きでは、柴又から浅草、それから目黒に行って、その後に目的地の渋谷に出るつもりでいたが、さすが欲張りで、浅草は柴又にいる時に諦めた。3時半に渋谷のクラブ・クワトロで関係者と待ち合わせで、目黒行きもそうゆっくりとかまえることは無理であった。それでもJR山手線では目黒は渋谷の手前で、ついでに立ち寄るにはつごうがよかった。また地図を見ると、筆者の行きたい場所は駅から遠くない。ひとつは昔から気になっていた目黒雅叙園だ。もう1か所はその南西にある五百羅漢寺で、これは7,8年前に行きたいと思った。その理由の半分は図書館に行くのと同じように、調べもののためだ。確認と言ってもよい。雅叙園については30年ほど前か、雑誌『芸術新潮』に特集があった。その時、もう壊されるかもしれないと書いてあったと思う。それがそのまま残され、また展覧会場として使われていることを知ったのは数年ほど前だ。去年の6月であったと思うが、大阪心斎橋で偶数月の第3週目の日曜日に開催される郷土玩具の会で、京都の女性会員が雅叙園での雛飾り展を見て来たことを報告した。そのことを先月は思い出した。長年気になっている雅叙園に行ってみるにはいい機会だ。雛人形展は今開催中だが、筆者は雛人形にさほど関心はない。見たいのは雅叙園の内部の装飾だ。『芸術新潮』でもカラー写真でそのどこか悪趣味とも言える過剰な装飾の様子をたくさん見せていた。雅叙園に百段の階段があることは知らなかったが、展覧会名には必ず「百段階段」の言葉をつけている。それで雛人形も筆者は百段もの高い飾りかと思っていたが、そうではなく、建物が百段の階段を持っていることがわかった。それは建物としてはとても奇妙だ。京都ではあり得ない。館内に入ってすぐにわかったが、雅叙園は坂の上に細く伸びている。
目黒駅の西側に降り立って、とにかく信号をわたったが、そこではたと方向感覚が完全に麻痺した。京都の碁盤目状の街路に慣れている筆者は、目黒駅からすぐ南西はまるで迷路で、地図をしっかり見てもどこに立っていて、どこが北か全くわからなかった。ちょっとしたパニックになって5分から10分ほど信号をわたった場所で目を白黒とさせ、首を何度も回転させながら、雅叙園はどっちかと決めかねた。家内の顔はすっかり険しくなっている。さっさと道行く人に訊けばいいではないかと言うその声を聞き流していると、左後方に急な下り坂の道が続いている。そしてそこを上って来る人がちらほらいる。筆者の立ち位置から2,30メートルか、雅叙園と書いた小さな方向指示の看板が目についた。それで地図をまた見たが、それでもまだ方向感覚は定まらない。ともかく看板を頼りに下がって行けばあるに違いないのでそうしたが、その坂が京都や大阪にはない急なもので、自転車では絶対に無理だと家内と言い合った。今これを書きながら、その坂に雪が積もれば人は歩くのかどうかと思っている。通勤通学で歩かねばならない人はあるはずで、そうなれば必ず転倒する人がある。そして怪我をするだろう。あるいは急な坂であることを幸いにスノー・ボードで滑る若者もいるかもしれない。目黒駅が高台にあって、その南西部がうんと低いことは、地図ではわからない。その予知しなかったことがとても印象深いが、その坂道があるので、目黒雅叙園の百段階段も発案された。つまり、坂の下に降り立った筆者らは、左手の広々としたところに吸い込まれるようにして進み、自然と雅叙園の入り口に到達したが、そこから今度はまた百段の階段を利用して坂を上ったことになる。館内は撮影禁止のため、今日は展覧会のチケットの写真しか載せられないが、それではさびしいので、歩いた道のりを青線で示したヤフーの地図を載せておく。雅叙園で展覧会を見た後は、五百羅漢寺に行ったが、その方向がまたわからず、雅叙園の出入り口に立っていた70歳くらいの警備員に道を尋ねた。すると、もう少し先の、まだ続いている下り坂を下り切ったところを流れている細い川が目黒川という名前であることを教えてくれた。それは地図に載っている。それで方向がわかった。筆者と家内は柴又からずっと両手に荷物を持ったままで、同じ格好でまた歩いて次は五百羅漢寺だ。家内はいい加減疲れたので、乗り気ではない。それで京都の地元での買い物の時と同じように、家内は筆者の後方50メートルほどを歩いた。ま、その話は明日する。

雅叙園では40代から70代までの主婦らしき女性で満員であった。男は1パーセントほどだ。百段階段とは、全部で階段が百との意味で、それが一直線に伸びている。そして上がりは右手に踊り場ごとに部屋がある。だいたい階段は10数段で踊り場を設けることが建築法で決まっている。階段を踏み外して落ちた時、踊り場で倒れることになるが、10数段では大きな怪我は免れる。雅叙園もそのように10数段ごとに右手に部屋があったと思うが、部屋の大きさは一定していないようで、また必ず同じ段数ごとに部屋は設けられていない。手芸展と言えば、刺繍や編み物が相場だが、本展ではカリグラフィもあった。女性が携わりそうな手芸全般で、100号級の大作から比較的小さなものまであって、また部屋ごとにテーマはだいたい決められていた。どうせ暇を持てあましている主婦の趣味と侮るつもりはないが、そういうものが大半であるのは否めない。出品者はそれなりに生徒を抱え、有名な人たちかもしれないが、絵画や書道とは比較にならないほど多種多様な表現であるから、どれがいいのかよくないのかがわかりにくい。珍しく衣桁にかけたキモノがあって、作者らしい女性がその前に立って友人らしき人に説明していたが、染色作品と呼ぶにはあまりにも素人で、しかも初歩的かつ稚拙な技術で、そのことから推して筆者が詳しくない他の分野の作品も似たようなものではないかと思った。だが、こうした展覧会が無駄というのではない。暇があって、また美の表現に従事することは、タバコを吸いながらパチンコ屋で時間と金を使うことよりはるかにいい。筆者の母は若い頃から手芸が得意で、昔流行したレース編みでもかなりの大きな作品をたくさん作ったことがあるし、毛糸の編み物はチョッキやセーターなど、商売出来るほどにたくさん作り、全部知り合いに無料で配って来た。驚くことにそうした趣味を毎日外で働いて来た後、TVを見ながらしていたが、何年もやっていると飽きて来るようで、やがてパチンコもするようになった。それが何年か続いた後、今度は読書に耽り、それも飽きて、今は90近いが何もしていない。ともかく、女性が手仕事の趣味を持つのはごく自然なことで、筆者は母親でそのことを充分に知っているが、そういう無数の女性の中から、作品を人に見てもらいたいと考える人がいて、そうした人たちが本展に出品する。そういう主婦には持って来いの会場で、階段を上りながら、次々に現われる右手の部屋に入ると、雅叙園の見世物である古風な壁画や彫刻を背景に、女性たちの作品がところ狭しと飾られていて、その多様性に目が回る思いがした。筆者は展示作品の陰になっている雅叙園の装飾を見たいのだが、半分ほどは展示作品に隠れて見えない。それで、展覧会が開催されていない時に見た方がいいと思ったが、展覧会なしの期間中の拝観が出来るのかどうか知らない。
階段の左端に何段目かを表示した大きなプレートが貼りつけてあって、その数字は99で終わりであったが、その上の床が100という計算だ。最上階の部屋は鏑木清方がすべての壁面に美人画を中心に描いていて、これが一番の見物のようだ。だが、残念ながら絵具の剥落が目立つ。同じような劣化はどの部屋の飾りにも言える。展示会に使用されるのであるから、なおその危険性が大きい。手芸展や雛飾り展を開催することで得た収入を、雅叙園の維持管理に使っていると思うが、雅叙園の装飾のみでは人は集まりにくいはずで、大切にしなければならない雅叙園の宝物を危険に晒しながらの使用というところに、文化財の保存の困難さが見える。そう言えば、先ほどのTVのニュースで知ったが、京都の出世稲荷社が去年の夏に大原に移転したという。それを知っていれば移転前に写真を撮っておいたのに、もう遅い。宮司によれば、維持するのが限界であったらしい。何でも金の世の中であるから、仕方がない。土地を2億いくらかで売却し、そのお金で引っ越した。出世稲荷はバス停の名前にもなっていたほどで、筆者は昔そのすぐ近くにあった呉服問屋が抱える染色工房に勤務していたことがあるので、この神社の前は何度も通ったことがある。30年ほど前は2週間ごとに中央図書館に本を借りるために通ったが、その時は阪急の四条大宮から千本通りを歩いて北上し、この神社の前を通った。秀吉の時代から由緒ある神社が、現代の金事情であえなく移転することとなって、同じ例は京都では今後増加するだろう。そしてマンションだらけになって、京都らしさが消えて行く。下鴨神社でも似た問題が起こっているし、二条城では松の木を10何本か切ってそこを駐車場にしようという計画に市民は反対している。それにこれは先月訪れて知ったが、御所東の梨木神社の南に和風のマンションが建って、景色が一変していた。京都市内の変化の速度がとても激しくなっていて、筆者は浦島太郎の気分になる。文化庁を京都に持って来るとのニュースもあったが、遅過ぎる。それに、そうなればまたどこかの小さな神社が鉄筋コンクリートの建物に変わるだろう。目黒雅叙園は京都から見れば歴史は浅い。それでもどうにか残す方法を考え、今のところは展覧会ごとに大勢が押し寄せる。雛飾り展は、どの部屋にも雛人形を飾って、雅叙園らしい装飾と調和しているように思うが、京都でも見かけない壮観さだろう。今日の3枚目の写真は明日の予告になるが、五百羅漢寺の隣りで見かけた目黒不動尊への道標だ。