たくさん雪が降ってスキー場が胸を撫で下ろしたが、一方でスキー場に向かうバスが事故を起こして若者がたくさん死んだ。筆者はと言えば、今朝は珍しく9時に起きて駐輪場の屋根の雪下ろしをした。
去年の今頃だったか、その屋根が雪の重みで倒壊し、業者に頼んで新しく作ってもらった。その時、雪が20センチほど積もるとまた同じことが起こると言われた。それを昨夜は思い出していた。静まりかえった真夜中に雪の気配を感じながら寝たが、予想どおり雪が降った。駐輪場の屋根には10センチほど積もっていて、まだ降りそうなので家内と一緒に長い箒で雪下ろしをした。午後からは晴れて雪も止んだので、また梅津まで歩き、注文している名刺の版下を確認しに行った。完全に満足しているわけではないが、あまり細かいことを言うのも悪いので、ゴー・サインを出した。2日後には出来るだろう。さて、その印刷屋の内部の映画セットの写真を昨日の投稿の最後に載せた。『男はつらいよ』ではその印刷屋は菓子屋のくるまやの裏手にあったと思うが、寅さん記念館では大船で使っていたセットを移設したそうで、また本物の活版印刷機を置いていて、簡単な印刷も出来るとリーフレットに書いてある。そう言えば一昨日梅津の印刷屋の主と1時間ほど話した時、活版印刷の話題になった。TVで紹介されたことがあるが、今でも名刺程度の小さなものを活版印刷するところがある。廃業した印刷屋から機械を譲り受け、また指導も受けて若者が経営しているのだが、そういう店がいつまでも営業可能かと言えばそうではない。活字は消耗品で、長く使うと明朝体では角が摩耗する。それで活字を専門に鋳造する店があったが、もうそれがない。台湾の田舎にでも行けば使えるものがまだあるかもしれないと梅津の印刷屋の主は言ったが、ここ20年ほどの間で急速に印刷の世界が変わり、もう活版印刷のあの紙に文字の凹みが出来る味わいは得られなくなった。そのことを中村とうようが嘆いていたが、便利になることは何かを失うことで、また一旦失うと取り戻すことがきわめて困難なものは多い。話は変わるが、今年の正月に家内の実家で家内の兄の娘の夫である医師Yと話をした時、パソコンのOSの話題を出した。筆者はウィンドウズのヴィスタを使っていて、もうそろそろそれは使わない方がいいと忠言されたことを言った。Yは新しいOSが発売されるとすぐにそれに買い替えていると言う。山中にひとりで住んでいるのではない限り、時代の流れに会わせて新しいものに対応すべきとの考えからだ。それは彼の仕事上からも必要であるからだろう。
山中にひとりで住んでいるという表現がとても印象深かったが、筆者はその話題については突っ込むことはなかった。都会は大勢の人が暮らすがたまに餓死者が発見される。山中でひとりで暮らしているのと同じような状態であるからだ。つまり、現代の大都会には、山中で他人と関係せずに暮らす人と同じような状態にある人がいる。それはさておき、筆者はケータイ電話を持たず、どちらかと言えば都会に住みながら山中の孤独な人のようだと言える。ただし、自分ではそうは思っていない。これは、人は生き方を選べるからで、また考え方もいろいろということだ。筆者は自由業つまり無職同然で、それは一方では個性が大事と思っている。個性とは自分独自の考えや生き方だ。強いて他人と同調するつもりはないといった頑なな態度とは違う。何が必要でそうでないかを自分で決める態度だ。今刷ってもらっている名刺には当然ケータイの電話番号はないが、家の固定電話のそれはある。それに電子メールのアドレスも追加したので、ケータイを持たなくても筆者に連絡を取りたい人はその名刺の情報で事足りる。ケータイがないのは自分が不便かもしれないだけの話で、また自分では不便とも思っていないのは、その便利さを知らないからだ。ではそれが不幸かと言えばそうではない。ケータイのなかった時代の人たちはみな不幸という理屈はどう考えてもおかしい。むしろ、それがなかった時代の人の方がもっと人生を楽しく過ごしていたかもしれない。先の活版印刷で言えば、ケータイが登場したことで失ったものがいろいろとあるとの考えだ。筆者は山中の孤独な人に憧れているのかもしれない。いや、ひとりの時間がほしいだけで、じっくりと関心事に取り組みたいのだ。そのこととパソコンのOSを最新のものにしたり、ケータイを持ったりすることとどう関係があるのかと言われそうだが、筆者の頭の中では物事の優先順位があり、パソコンのOSやケータイは順位がうんと低いだけの話だ。誰しもどうでもいいことと重要なことがある。筆者にとっての重要なことはパソコンのOSやケータイといった道具ではない。さて、前置きが長くなったが、寅さん記念館の後編だ。昨夜の続きを書くと、館内の展示は7、「くるまや」模型。8、選択映像コーナー。9、「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です」コーナー。10、思い出に残るなつかしの駅舎。11、帝釈人車鉄道への旅。12、寅さんが愛した鈍行列車の旅。13、資料展示コーナー。14、「寅さん」そっくりの埴輪(複製)/寅さん星になる。15、「男はつらいよエンディングコーナー」。16、光庭となっていて、16は中庭で、全ロケ地が焼きつけタイルで地図上に表示されている。
山田洋次監督が昭和時代にはまだいた寅さんのような社会からのはみ出し者の香具師を主人公として映画を撮ったのは、俳優や監督といった職業がそれと大差ないと思ってのことかもしれない。香具師は今でもいるが、何年か前かに露天商の若者は自殺率が高いと何かで読んだことがある。寅さんのような誰からも束縛されないような生き方は、経済的には困窮することが目に見えている。いい学校を出ていい会社に入るというのが、昭和時代の大きな目標で、それは今も変わっていないどころか、もう絶対視されているから、人のよい寅さんが現実にいたとしても、たいていの人は蔑むだろう。「ああいう人と付き合ってはいけません。社会の落伍者ですから」と、母親も学校の先生も言うはずだ。だが、それは寅さんもわかっているだろう。話が変わるが、ザッパが「黄色の雪は食べるな」の歌詞で、母親が子どもにお金の無駄使いは止めてショーに行くなと叫ぶ下りがある。それは音楽などにうつつを抜かすなという、母親の子どもに対する忠告で、ザッパはそのことに同意していると思う。筆者がザッパに会った時、息子にザッパの音楽を聴かせていますと言うと、駄目だと言われた。ザッパは自分が社会の大多数を占めるサラリーマンとは全然違う人種であることを自覚し、またそのことをよいとはさして思っていなかったのだろう。ザッパを寅さんと同じと言えないにしても、自由人であることは同じだ。誰の奴隷にもならない。SMAPが会社の奴隷であるという記事を昨日ネットで読んだが、ザッパはマネージャーを必要とせず、また自分の会社でレコードを作って売った。それは規模は違うが、露天商とあまり変わらない。そして、寅さんもザッパも自分を恥じながらまた自負もあった。その恥の思いは優しさで、それでエスキモーの母が子ども対して「無駄使いせずにショーにも行くな」と言う世間的に見てまともな歌詞が生まれる。山田洋次が寅さんを主人公にしたのも同じだ。サラリーマンが主人公の映画もあるが、それでは夢を多く盛ることは無理だ。誰もが寅さんのような生き方は出来ないし、またすべきでない。寅さんのような、あるいはザッパのような人は山中の孤独な人のようにごくごくわずかでいい。そして、そういう社会の少数派を許容する時代がまともであることを山田洋次は言いたいのだ。昔流行った言葉にアウトローがあるが、今は悪い意味で使われることの方が多いのではないか。だが、表向き行儀がよく、品性もよいと思われている者が、人の見ていないところで甘い利益を得ようとする。『男はつらいよ』がこれからの若者に見られなくなって行くとすれば、それに代わる新たなものが人気を得るからだが、そこに『男がつらいよ』で山田監督が言いたかった重要なことが忘れ去られているとすれば、日本は日本らしいよさを失っているのではないか。