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●葛飾柴又 寅さん記念館、その1
束したのでもないが、家内と東京に行く機会があれば柴又と浅草は訪れたいと思っていた。それなのに、家内は別に柴又には来なくてもよかったなどと言う。ほかに行きたい場所がどこかあるのかと言えばないも同然で、いつも筆者が勝手に行先を決め、家内にとにかく就いて来いと言う。



●葛飾柴又 寅さん記念館、その1_d0053294_02899.jpgたまにどこか行きたいところがあるのかと訊くと、温泉に浸かっていい料理でも食べたいなどと老人のようなことを言う。だが、還暦過ぎれば老人か。筆者は温泉旅行はする気になれない。それで湯快リゾートという、食べ放題飲み放題の格安の1泊のツアーには行く気になれない。気の合う者との7,8人の旅行ならいいかと思うが、話題があまり合わないようなら面白くない。それに飲み放題食べ放題といってももうそんなにたくさん飲んだり食べたり出来ない。無理をすれば病気になる。それはさておき、柴又の帝釈天を見た後はその南東にある山本亭という施設に行くつもりであった。地図を印刷した時にそれがあることを知ったが、早速調べると改装工事で休館中だ。そこは本格的な日本料理でも食べさせるものと思っていたが、先ほどまた調べると、ただ屋敷や庭を見るだけで、また入館料も安く、葛飾区の所有になっている。遺産相続か何かの折りに寄贈を受けたのかもしれない。立派な屋敷と庭園があるのは帝釈天を見た後はちょうどいい見学コースだ。矢切りの渡しを遠目に堤の上から眺めた後、ジグザグの歩道を下ったが、その降り立った場所からそのまま寅さん記念館につながっていることを、後で山田洋次ミュージアムに入ってから気がついた。堤上を歩いている時は筆者も家内もずっと松戸側に首を向けたまま歩いた。せめて少しでも反対を向けば、目の前に寅さん記念館があることに気づいたのに、印刷していった地図も確認せず、とにかくジグザグの歩道から下りて車道を横切り、そのまま南下した。その奥が樹木などがあって何となく記念館らしい雰囲気であったからだ。だが、実際は筆者らのすぐ背後にそれらはあった。筆者らがどこをどう歩いたかを示す地図は明後日に載せるが、帝釈天南東を主に、その四方をおおよそ時計回りに歩いた。またそのことで帝釈天辺りの民家などの雰囲気もわかった。
●葛飾柴又 寅さん記念館、その1_d0053294_0282896.jpg

 ジグザグ歩道から出て車道を越えて南下し、その突き当りを西に進むと、新しい住宅が何軒は両側にあり、そこは私道らしかった。だが、誰も表に出ていないのでそうであっても咎められない。ともかくそそくさとそこを抜け、どこをどう歩いたのかほとんど記憶にないが、山本亭を目指した。するとその方向を示す表示やまた簡略化した付近の地図もあった。目の前に広めの空き地が広がり、山本亭はそれをぐるりと回ったところにあるが、仕方がない。そしてその塀や門の前に来たが、当然休館中だ。筆者は半ば冗談で「ここが開いていたら中で豪華な食事をしたのに」と言うと、家内は「まさかそんなことは絶対にない」と笑って返した。食事が無理ならケーキつきのコーヒーくらいはいいかと思ったが、前述のように、先ほど調べてそこでは飲食の提供はないことがわかった。もったいない話だ。だが、帝釈天参道の店が売り上げ減になると言って反対するだろう。山本亭の前を通り過ぎてしばらく行くと、寅さん記念館の立派な石垣が見えた。その上に「葛飾柴又寅さん記念館」と大書した看板がある。だが、入口はまだ先を行って左に折れたところだ。その道を折れる手前の道の右手に大きな家があって、その表札が山本となっていたことに家内も気づき、そこが山本亭の元の所有者ではないかと言った。そうでなくても親類ではあるだろう。柴又は庶民的な町の代表ということで山田監督は『男はつらいよ』の舞台地とした。だが、立派な山本亭やそのほかの立派な屋敷があれば、完全な下町とは言えないだろう。ただし、そうとも言い切れない。大阪の下町でも、100軒ほどの小さな借家を持っている昔からの地主はどこにでもいるもので、庶民の町でもごく少数の支配階級的な人は住んでいる。そういった人は当然成金ではなく、江戸時代辺りから続いている旧家である場合がほとんどだが、山本亭の元の所有者はそうでもなさそうだ。それはさておき、帝釈天と寅さん記念館はセットになっていると言ってよい。それで記念館に入ると真っ先に帝釈天の二天門のセットが迎えてくれる。その写真は昨日の最後に載せたが、館内は撮影が自由なので、たくさん撮った。それで明日もこの記念館について書くが、そう言いながらまだ今日は何も書いていない。
●葛飾柴又 寅さん記念館、その1_d0053294_028422.jpg

 館にはぽつぽつと人がやって来る。だが、みな年配者で寅さんの映画に馴染んだ人たちだ。若い人はもう寅さんにさほど関心がないのではないか。となるとこの記念館の先行きが危ぶまれる。東京のひとつの区は地方の市ほどに財政が豊かと聞いたことがあるが、この記念館を見るとそれを実感する。敷地や建物の大きさはいくら柴又とはいえ、かなり大きい。ちょっとした美術館や博物館よりも大きく、それが寅さんの映画のセットなどを常設で見せる施設になっているのであるから驚く。大阪中之島には何年か後に近代美術館が建つが、当初の計画を縮小し、小規模の建物になりそうだ。そのこととこの寅さん記念館を比べると、いかに大阪が文化に金を使わない都市であるかがわかる。それも財政赤字のためだが、寅さん記念館が入場者の観覧料金のみで黒字になっているとはとても思えない。京都の嵐山には昔美空ひばり館があったが、10数年で閉館になった。儲からないとなればすぐだ。ひばりのファンが高齢化し、またファンであってもそう何度も訪れることはない。そう言えば今はTVでも美空ひばりの映像や歌声を聴く機会がめっきり減ったが、寅さんも同じようなものだろう。記念館に映画館を併設し、昔の映画をやるとか、あるいは映画祭を定期的に開催するとか、若者がもっとやって来る施設にすればいいと思うが、もう10数年もすればそういう意見がきっと出て来るだろう。そうなると、寅さん関係の展示を縮小することになるが、美空ひばり館のように建物も展示も跡形もなくなくなってしまうよりかはいい。寅さんによって日本中に知られた帝釈天でも、そういつまでも寅さんで人を集めることは出来ない。筆者が書かなくてもとっくに柴又の人たちはどういうことを考えているはずだが、今はともかく寅さん人気でまだ人集めが出来る。それで記念館は最近リニューアルしたようだ。館内は時計回りに一巡出来る。リーフレットによれば16のコーナーに分けられている。1、ファサード。2、『男はつらいよ』の世界。3、撮影スタジオ「柴又帝釈天」。4、撮影スタジオ「くるまや」。5、記念撮影コーナー(有料)。6、撮影スタジオ「朝日印刷所」。今日の4枚の写真はそこまでで、以降のコーナーについては明日書く。
●葛飾柴又 寅さん記念館、その1_d0053294_02903.jpg

by uuuzen | 2016-01-19 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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