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●矢切の渡し
きそうで届かないのが川の向こうだ。見えているのに橋か船がなくてはそこに到達出来ない。もっとも渇水期の桂川では歩いてわたれる場所はいくらでもあるし、泳ぎの得意な人は衣服を脱げばよい。



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今日は梅津の昔から馴染みの印刷屋に名刺を注文するために歩いて出かけた。もう35年ほど前から知っている。店主は高齢だが元気で、まだ狭い店内に機械を2台置いて仕事をしている。1時間ほども話をしたが、筆者の気に入る名刺の紙がなかなかない。そこで最初に作ってもらったのは琥珀という名前の紙でうっすらとベージュがかっていた。ちょうどこのブログの壁紙のような色合いだ。二度目に刷ってもらう時、店主は間違って真っ白なケント紙を使った。それで確かそれは無料でもらった気がする。そのケント紙の100枚の名刺の最後が先月22日の渋谷のクラブ・クワトロで出会った10人ほどに配った時になくなった。正しく言えば、3人ほどにはわたすことが出来なかった。それで早速また作る気になったが、表側は同じデザインでいいが、裏側は大幅に変えた。郵便番号が3桁から7桁に増えたし、電子メールのアドレスも必要だ。それで思い切って裏は横向きにした。琥珀色に近い紙はあるが、どれも手触りが今ひとつで、しかも薄い。1時間ほど粘ったところ、店主はもう20年ほどは確認していない紙包の山を崩し始め、どうにか筆者の気に入る紙を探し出した。それで満足ではないが、最もましで、妥協した形だ。ほかの店へ行けばもっと種類があるかもしれないが、京都に出て来て最初に作った名刺屋であり、また店主の人のよさは格別で、ほかの店に行く気はない。そこで100枚なら税込みで3000円、200なら4800円と言われた。筆者の年齢でこれから死ぬまで200枚は使い切れないだろう。それほど多くの人に出会わない。それで100枚にしようかと思うが、もしそれがなくなった時、高齢のその店主はこの世にいないか、あるいは仕事を辞めているだろう。そう考えると200枚にしておこうかと思うが、100枚にしたいのは、それがなくなった後にデザインをまたわずかに変える気になっているかもと想像するからだ。それはさておき、梅津に行くには松尾橋をわたる。今日は下の流れを見てびっくりした。国交省は去年川底の土砂を浚渫したが、その後の雨によって、あちこち土砂の堆積状況が変わり、松尾橋上流では水は左岸ぎりぎりに流れ、松尾橋の橋脚を過ぎてすぐ、ほとんど橋の真下でその流れが直角に変わって右岸に沿い始める。つまり、橋の上から見下ろすと、川は橋と同じ東西を流れている。そんな川はきわめて珍しいだろう。
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 立派な橋を架けるには大金がかかる。松尾橋は昭和28年だったか、戦後に架けられた。それまでは渡し船であったか、あるいは小さな木製の橋であったのだろう。江戸時代の地図などを見ると、渡し船も橋もない。梅津は洪水の被害の遭いやすい田畑で、民家はとても少なく、橋の必要はほとんどなかった。橋を架ける費用と、橋の効果によって得られる利益を天秤にかけ、後者が大きいとなると橋を架けようかと考えられる。その理屈で言えば、東北の大震災後、気仙沼近くにスーパー堤防が築かれたのは、ほとんど無駄と言うべきだろう。政治家は自分の懐は全く傷まないから、自分がまた議員に当選することなら、どんなに理屈に合わないことでもやる。思想も節操もない連中が政治家だ。それにスーパー堤防は地元の土建屋を儲けさせ、経済を活性化させるのは最適な方法としたり顔で言うだろう。口先で物事を言うことが商売であるから、どのような屁理屈でもお手のものだ。それはいいとして、松尾橋の真下で川が直角に流れて橋の向きと同じになっているのは、橋の上流と下流とで管理の状況が違うという理由かもしれない。つまり、下流は下流、上流は上流で勝手にやるので、そのつなぎ目の松尾橋付近でどのように流れが奇妙になってもお互い知ったことではないとの考えか。さて、今日は先月23日に訪れた柴又帝釈天の続きで、その東すぐのところにある江戸川だ。「矢切の渡し」は歌謡曲をほとんど聴かない筆者でも知っているが、それが柴又にあるとは知らなかった。ヤフーで柴又の地図を印刷した時に気づいたが、その時、帝釈天を訪れた後は江戸川の堤に上ってみようと思った。そうして撮ったのが今日の1,2枚目の写真だが、蕪村の生家跡を見に行った時、その大きな石碑の前に立った時と同じような気分になった。広い川が目の前に流れていて、向こう岸は別世界だ。橋があればすぐだが、矢切の渡しはそれがないので今も船で向こう岸を往復出来る。東京ではもうここにしかその渡しは残っていないそうだ。川の向こうが松戸市だが、地図を見ると渡し船が着く場所の付近は何もない。上陸して何百メートルも田畑が続き、つまり向こうに渡っても交通の便が悪い。そのようなところなので、橋を架けずに渡しのままなのだろう。また、矢切は向こう側の地名で、それで納得した。柴又側からは「柴又の渡し」と言うべきなのに、なぜ田畑しかないような矢切の方の名前がついたのだろう。これは柴又から向こう岸に行く人がなく、向こうからもっぱら柴又に来る人が昔から多かったからであろう。松戸が現在どのような街になっているのか知らないが、大きな江戸川を挟んであっちとこっちとでは何もかもかなり違うのだろう。松尾橋を挟んで西京区と右京区とが違うのと同じだ。それほどに大きな川は世界を隔てる。矢切の渡しを見下ろす堤をしばし歩きながら、想像していたのとは違って土手上がアスファルトできれいに舗装されていることが意外であった。昔の映画に出て来るように地道のままかと思っていたからだ。それを言えば葛飾区の人は怒るだろう。「いったいどれくらい昔のことを思ってるんだ?」 もう半世紀ほど前に今のような状態になったのであろうが、アスファルトにする理由がわからない。歩いたりジョギングをしたりするのに便利なようにとの理由だろうが、筆者は背後からバイクか車でも走って来るのかと不安であった。その土手を下りるとすぐに交通量がそれなりに多い車道がある。土手に上った場所から200メートルほど下流に進むとジグザグの階段があった。そこを下りたが、目の前が寅さん記念館であるのにそれに気づかず、さらに下流側に向かって歩き、住宅地に迷い込んだ。明日は続きを話すが、今日の3枚目の写真は寅さん記念館の中で最初に撮った。
●矢切の渡し_d0053294_2357083.jpg

by uuuzen | 2016-01-18 23:59 | ●新・嵐山だより
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