4つ星といったところかもしれない。本展のウルトラ・フューチャーにブルース・ビックフォードと、アメリカの女性写真家のヴィヴィアン・マイヤーが選ばれ、ふたりについで9名のスーパー・フューチャーされた芸術家がいる。

その中のひとりに出口王仁三郎がいる。本展を最初にネットで知った時、なぜ今頃王仁三郎かと思った。ヴィヴィアン・マイヤーが物故者であるので、不思議ではないと言えるが、ま、本展の副題「The Medium of the Spirit」(精神の媒介)からすれば、王仁三郎はとてもふさわしい選出と言える。また本展では王仁三郎の大本教に関する部分よりも芸術家としての作品や行為を見せようというのだろう。また、なぜ高松で王仁三郎かと思うが、確か四国、その中でも丸亀には大本教の信者が多いと昔聞いたことがある。そうそう、筆者は王仁三郎の妻であるすみこが作った抹茶用の茶碗を昔買ったことがあるが、売り手は丸亀の人であった。本展で王仁三郎を紹介することに決めたのは、高松出身で本展を企画した宇川直宏の発案と思うが、王仁三郎のどこにどのように関心を持っているのかは知らない。王仁三郎は今でも一部の人が知る存在で、また知っている人、多少関心のある人でも著書を読む人は少ないのではないか。それに王仁三郎の書や絵画、有名な楽焼の茶碗を見る機会はほとんどない。10数年前に一度大本教の歴代の教祖の作品を集めた展覧会があったが、それ切りで、今後もなかなか開かれないだろう。なので、本展でのわずかな紹介はめったにない機会として貴重であった。展示に使われたのは床つきの8畳の間で、床には羅漢だろうか、なかなか堂々とした人物を描いた水墨画、そしてその隣りの違い棚には王仁三郎が七福神などに変装した写真が数点、そして反対側にはTVモニターが王仁三郎が七福神になって移動するお祭りの様子を捉えた戦前のフィルムが映し出されていた。それは有名なもので、何かで読んだことがあるが、傷などが修復され、とてもきれいな映像となっていたので、大本教がデジタル・リマスターして売っているものかもしれない。王仁三郎のそうした態度は奇行と言ってよいが、めでたいことをするのであるし、またどこか人を食ったその態度はおおらかさをまず感じさせる。それは今でも同じではないだろうか。新興宗教と言えば今では真っ先にいかがわしさを感じ、拒否反応を示す人が多いと思うが、大本教は国から徹底的に弾圧されて本部の建物も壊されたのに、今でもそれなりの信者を得て存在していることは、王仁三郎、そしてそれを継いで来た歴代の教祖が人格者であったからでもあるだろう。また、筆者のそういう見方こそ、新興宗教にすぐに騙されるタイプと言う人がいることをよく知っているが、仏教もキリスト教も最初は新興宗教であったし、また宗教すべてがよけいなもので、この世からなくしてしまえという意見を持つ人は信じなければいいだけの話で、信仰の自由にとやかく言うことはない。

本展では王仁三郎の一種のパフォーマンスを現在の芸術家のそれと併置してみようとの思いがあるのだろう。王仁三郎によって大本教が急速に大きくなったのは、それだけ媒体をうまく使う才能に長けていたと言える。それは人心を把握することがうまかったということだが、さらに言い換えれば人に惚れさせる才能があった、また王仁三郎に人間的魅力があったということだ。不思議なもので、人間はみな同じと言ってよい反面、大勢の人から好かれる人とそうでない人がある。新興宗教の祖となるには、大勢の人を惹きつけるオーラがまず必要だ。王仁三郎は今でもその力を放っているというべきで、そのことを本展では水墨画や変装写真、そして映像で紹介する。ということは、そういったメディアを残すべきということになる。王仁三郎の作品や写真がなければそのオーラは伝わりにくかった。だが、このことはメディアアートの脆弱性を意味してもいる。先日書いたように、メディアアートはパソコンやスマホなどの機器を使うことが多い。紙や布と絵具、あるいは木や石の塊だけあれば絵画や彫刻が作られるとの考えは今後も廃れることはないが、写真や映像、そしてそれらを瞬時に世界中に拡散させるネット社会の到来により、表現の手段が増え、広がった。そしてそこに精神性をどれだけ込め得るかと本展は考察しようということだが、そこに王仁三郎が新しく見えて来るとの考えがある。だが、披雲閣の床の間に飾られる王仁三郎の掛軸は、本展では唯一古来の絵画の展示方法に則ったものであり、またそれだけにどの作品にもない特異性を放っているように見えた。これは芸術作品に古いも新しいもないことを意味すると同時に、やはり展示に最もふさわしい場所というものがあり、それを育んで完成させた日本文化の底力を改めて感じさせる。つまり、本展は江戸時代の屋敷内の部屋に現代芸術作品を展示してその異空間性の驚きを楽しむという面が強いが、会期が終われば屋敷は元の静けさを取り戻し、強烈であったはずの作品は跡かたもなくなる。それでいいのだが、ではメディアアート作品の落ち着くべき展示場所というものがあるのかどうかだ。美術館しかほとんど思い浮かばないが、美術館に寄生虫のようにくっついて存在するしかない作品というのもに筆者はあまり現実感を覚えない。それは単なる一時の見世物に過ぎず、「ああ面白かった」で終わる。一方、掛軸は自宅でも大きな美術館の壁面でもよい。そのコンパクトさは芸術行為と関係のないことと思ってはならない。そういう決まりの中で最大の効果を上げようと画家が腐心し続けて来たことが絵画の歴史でもある。その約束事は芸術の本質にとってはよけいなもので、もっと自由であるべきとの考えによって、たとえばメディアアートが生まれて来たが、何の約束事もない中で作家は何を目指して進むかは難しいし、またそうして作った作品が作家の思いどおりに他者に受け留めてもらえるかどうかはきわめて心もとないだろう。それでも一旦動き始めたことは止まることがない。それに本展での王仁三郎の取り上げは、いかに新しメディアが登場しようと、過去の遺産を無視することは出来ないことを知ってのことで、筆者が本展を見に行こうと思ったことの理由の大きなひとつは王仁三郎が作家として選ばれていたからだ。それはさておき、本展の王仁三郎の掛軸は誰の所有だろう。200万か300万ほどはするはずで、保険をかけたか。

今日の4枚目の写真はたぶんスーパー・フューチャーのひとりexiii「handiii」だと思う。これは女性の衣服を全部人間の手指を拡大プリントした生地で作るもので、やはりグロテスクという言葉で形容出来る。どの衣装も当然肉色なので、着用すれば肉襦袢を着ているように見えるだろう。なぜ人体のそういった部分を奇妙な形に組み合わせ、そして切り取って使うのかだが、手に包み込まれている感覚になるとの発想かもしれない。手の温かみ、愛がほしいといったところか。スーパー・フューチャーの残りの作品はほとんど記憶にないが、この手指をプリントし、またそれをなぞって裁断して縫い合わせた衣服が展示されている部屋には、ヴィヴィアン・マイヤーの写真があった。彼女についてはドキュメンタリー映画が作られている。筆者がそのチラシを見たのは数か月前であった。生前に15万枚もの写真を録りながら、1枚も発表せずに死んだ女性で、2007年にある青年はオークションでそのネガを入手し、ブログに載せたことで作品が注目を浴びることになった。どれも白黒写真で、50年代から60年代のものが多いのだろう。有名になりたいといった思いのないままに作品を作り続ける人は案外多い。芸術家は自己顕示欲の強い人が多いし、またそうでなければ作品に強い個性が宿りにくいかもしれない。だが、そういった個性の表現をさして考えず、ただ好きであるから表現し続けるという行為にかえって圧倒的な個性が宿る。写真という媒体でどういうスピリッツを示し得るか、そのことを考えた時、生きている間に1枚も発表しなかったことは、そのスピリッツを別の角度から複雑で謎めいたものにしている。写真はもはや新しいメディアではないが、まだまだ人を驚嘆させられるものであるということだ。ヴィヴィアンの展示室のひとつ手前だったと思うが、細長い部屋の障子に本物の蟻の動きが犬くらいの大きさに拡大されて影絵のように映し出されていた作品があった。その裏側からも眺められるようになっていたが、作品の意図がよくわからなかった。また、TVモニターにユリ・ゲラーのようにスプーンを曲げてその柄を折り取ってしまう行為を映し、そのモニターの前で何百本ものそうした使い物にならなくなったスプーンが散りばめられている部屋もあった。スプーン曲げの行為は人間の特異な精神のなせる技で、王仁三郎とつながりながら、本展の趣旨に合うとの考えだろう。だが、スプーン曲げはこつがあるようで、筆者も昔すっと曲げることが出来た。それに、そういう才能をほかのところに発揮出来るかと言えば、ユリ・ゲラーの例からもわかるように、さして業績がない。なので、柄がもぎ取られた大量のスプーンはただもったいないと筆者には思えた。明日は本展の最終回の投稿とする。