トロフィーをもらったのかどうか、本展はコンペティション部門の展示があり、その最優秀賞作品にオーストリアのシュテファン・ティーフェングラベルの作品『User Generated Server Destruction』が選ばれた。

見開きのチラシの最初に彼の顔とその作品の写真が載る。こういったコンペティションはそれなりに評判の高い作家が選ばれるだろう。先日紹介したアレックス・フェアヘーストも何年か前ぬ文化庁から日本の賞をもらっている。どこにも出品したことのない新人がこうした国際コンペで注目を浴びるのはめったにないと思うが、誰もが驚く強烈な作品を出せば話は違うかもしれない。そしてそのように作家に思わせることは、現代美術はますます突飛な見世物的なものになって行くし、主催者は観客動員のためにそうした作品を喜ぶ。見世物は娯楽だが、ハリウッドで制作される映画のように巨額は投入出来ず、グロテスクなものを目指す傾向が強まる。連想するのはお祭りの縁日で見られるお化け屋敷で、その現代版が本展と言ってもあながち間違いではない。結局は楽しみで、その奥に現在性を感じさせ、考えさせる何かが含まれている。今日は2枚の写真を載せるが、最初は展示作品よりも部屋の欄間が面白いので撮った。また廊下を隔てたガラス戸の向こうに見える庭も楽しく、そのガラスが戦後のそれとは違って歪みの多い古いものであることに目が行った。そういうガラスは古道具屋ではどうにか入手出来るが、割ってしまえば交換が難しく、ぜひ大切に扱ってほしい。そう思うと、本展を開催することは本当は好ましくない。ブルース・ビックフォードの作品がわずかに破損したのと同じような、予期せぬことが起こりやすく、展示の準備や後片づけ、あるいは観客の行動によってガラスが割れる場合がある。それはさておき、最初の写真の奥の部屋にどういう作品が展示されていたのか記憶にない。あまり記憶に残らない作品は撮影しなかった。それで2枚目の写真だが、これが前述の最優秀賞作品だ。その題名の意味は「サーヴァーの崩壊を生じさせる利用者」で、写真の右端の窓ガラスに「www.ugsd.net」と書かれた紙が貼ってある。そこにアクセスすればこの作品の意味がわかるということだが、会期が終わっているのでアクセスは出来ない。シュテファンは今後も同じ作品を別の場所で展示するであろうから、その時まで待たねばならないが、パソコンやスマホでそのURLにアクセスすると、写真に写っている金属製の箱状の機械を操作出来るらしい。箱の両側に脚が何対か取りつけられているが、それが動くのだろう。つまり遠隔操作が世界中のどこからでもネットの力を借りて可能ということだ。だが、題名にあるように、それは誰かがその作品を動かすプログラムを書き変えるなど、サーヴァーに侵入して妨害すれば機能しなくなる。ネットは万能のように見えて、それを阻止する力もまた人間が持っていることを示したいのだろう。ネットの世界で起こっていることをそのまま作品で見せようとする点において、本展の「メディアアート」という言葉を体現している。また、こういう作品が一旦作られると、同工異曲のものを誰しも考え、また制作すると思うが、それはより複雑でまた娯楽的な要素を盛ったものになって行くだろう。その予感があるので、本展の題名に「紀元前」という言葉が使われているのかもしれない。本展のコンペ作はほかに9点がチラシに題名と作者名が記される。東北の震災をテーマにしたものもあったが、絵画や彫刻作品とは違って、作品は見ただけでは何を意味するかわからず、また美的要素もないので、忙しい人は立ち止まらず、考えもせずに通り過ぎてしまう。そこがメディアアートの限界とも言え、アレックス・フェアヘーストのように、画面を見ただけでもそこに異様な雰囲気が満ちているものがやはりより注目される。