eメールと言っていたものを今はメールと縮めても通じる。それほどに郵便が不要になって来てということだろう。遅れていた年賀状ももう全部届く頃だが、メールなら瞬時に届くから、なお郵便より便利で、年賀状の年々売れ行きが悪くなっているのも納得が行く。

この調子では1円切っての前島密は半世紀後にはもうほとんど誰も知らない人物になっているかもしれない。筆者は60数年も生きている古い人間であるので、郵便には愛着がある。ただし、近年の郵便局は別だ。記念切手も全くの商品と化し、なりふりかまわない矢継ぎ早の発売だ。それでもう記念切手を買わなくなっているが、そうなれば悪循環で、郵便局はさらに儲けようと新たに記念切手を売り出す。メールなら無料で送れるのに、郵便だと紙も切手も、それに手書きする面倒も必要で、郵便に有利な分はほとんどないと言える。だが、メールするにはパソコンかケータイ電話が欠かせない。つまり道具を買わねばならない。それに無料と思っても毎月それなりに金額を支払っている。また、メールは手軽だが、それゆえの味わいのなさがあることは誰でも知っている。形となって残るはがきや手紙に抵抗のある人が今後はますます増加するかもしれないが、誰しも送るのは嫌でももらうのは好きだろう。それで、郵便は今後もなくならないはずだが、それは人間がはがきや手紙と同じように物質であるからだ。画像だけでは満足出来ない本質が人間には具わっている。ただし、そう考えるのは旧世代の筆者であるからで、今の10、20代はそうは思わないかもしれない。だが、そういう人は筆者には画像のような二次元のうすっぺらい存在に思える。

さて、本展は「メディアアート」と題されるが、これはどういう意味か。メディアは媒体だが、媒体芸術から何を思うだろう。メディアはTVや新聞、それにネットなど、何かを報せる手段だ。それが芸術というのは、その広く知らせる手段を手法とするものを思えばよい。ということは、たとえば筆者のこのブログでも芸術になり得るし、またブログを芸術の発表の場ではなく、そのまま芸術と思って何かを発表している人は少なくないだろう。たとえば、撮って来た写真を発表することもそうだ。画廊を借りて紙に焼いた写真を展示するのではなく、そのままパソコンやスマホの画面で見せる。それも作品発表の一形態で、ブログというメディアを芸術の有力な手法として使うことが出来る。筆者もそのことは10年ほど前から承知で、それで切り絵のホームページを作ったと言ってよい。そこで載せている切り絵は、印刷すれば本にすることも出来るが、本では表現出来ない動画GIFなどを使った作品もあり、主体は本ではなくパソコンの画面と思っている。そのように、本では不可能な表現が新しいメディアにはある。そこに着目する作家を本展では紹介しようということなのだろう。またそういう新しいメディアの新しい機能を積極的に使うのはいつの時代でも若者であるから、本展は主に若者の鑑賞者を見据えたものとして企画されたと言ってよい。だが、一昨日触れたステラークのように、パソコンやネットが登場する以前に芸術行為をしていた作家が混じり、新しいメディアによる芸術とはいえ、いわゆる旧世代に属する先駆的な仕事をした作家に敬意を表する場ともなっている。チラシの冒頭に「ULTRA FEATURE」としてブルース・ビックフォードが近影とともに取り上げられているが、ではブルースの仕事がメディアアートかと言えば、ストップ・モーション・アニメという、CGに比べると原始的とも言える古い手法による。ではなぜブルースを特別に招いたかと言えば、ようやくその存在がザッパ・ファン以外にも広く認められて来ているからだろう。あるいは、本展を契機に広く認めさせようということだが、ブルースの作品はDVDというメディアによって誰もが知り得るので、メディアアートに属すと企画者は考えたのだろう。では、DVDを見ればブルースの作品がわかるのに、なぜその制作に使われた粘土細工を展示する必要があるのか。それはDVDを楽しむ、また理解する手立てとなるとの企画者の思いだろうが、ブルースはアニメーターであるから、アニメこそが作品で、それを作るのに使用した立体は映画で言えばセットと同じで、別に見なくてもいいもと言っていい。だが、見る機会があるならば見ておいた方がいい。それにブルースが存命で、会場に来ているのであればなおさらだ。そういう機会はきわめて稀だが、筆者が出かけた最終日にはもういなかった。明日もブルースについて書く。