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●『イエラ・マリ展―字のない絵本の世界―』
ランディ展が兵庫県立美術館で始まっている。来年2月までなので年が明けてから見に行こうかと思っているが、昔見たことがあり、その時に買った分厚い図録をろくに見ていないこともあって、何かのついでがあれば行こうかという消極的な考えだ。



●『イエラ・マリ展―字のない絵本の世界―』_d0053294_0414849.jpg日本は高度成長した後、海外の多くの巨匠の絵画を持って来て展示しているので、もう珍しいものはほとんどないだろう。あってもそれは海外へ運べないものだ。それで筆者のように60年以上生きている者は、たいていの展覧会は珍しくない。それどころか、クレーやムンクという人気どころは毎年のように開催されるから、もう感激がかなり薄まっている。その点、今日紹介するイエラ・マリは驚いた。日本は絵本文化が頂点に達していると言ってよい爛熟ぶりで、絵本好きならイエラ・マリの原画展は見たいと思うはずだが、今回はその期待に応えたものだろう。だが、会場は刈谷市美術館で、筆者は訪れたことがない。会期は筆者の誕生日までで、それまでの間に行こうと決め、8月28日に家内と訪れた。JRの刈谷駅は名古屋から近い。それで行く気になった。静岡より、あるいは静岡から東方なら諦めた。刈谷の次に大阪か京都、滋賀辺りに巡回するかと思ってネットを調べると、そうではなかった。そうであれば行かねばならない。日本で初のイエラ・マリ展のはずだが、なぜ刈谷でかと言えば、この美術館には若い母親がたくさん訪れ、親子で遊ぶにはいい環境となっている。筆者らが訪れた時も、2,3歳の子を抱えた母親が何人か来ていた。展示室の隣りには絵本がたくさん於いてある休憩室と言うか、遊び室があって、狭い自宅で子どもを遊ばせるよりかははるかによい。図書館がすぐ近くにあり、親子たちはそこで児童書を借りるのだろう。そのついでに美術館で絵本展をやっていればついでに訪れるのだろうが、それは刈谷には若い夫婦が多いことを意味しているのではないか。そういうことを調べてはいないが、老人が目立つまちという感じはなかった。また新旧の建物が混在しているのはどこでも同じだが、刈谷は何となく住みやすそうな雰囲気があった。駅から徒歩15分ほどのところに美術館があり、建物は小さいが、周囲は静かでまた茶室の庭が隣接していて、その様子にも新旧の混ざり具合がある。
●『イエラ・マリ展―字のない絵本の世界―』_d0053294_0252144.jpg

 イエラ・マリは文字のない絵本で有名だ。筆者が彼女の名と作品の一部のページを知ったのは雑誌『芸術新潮』だ。それがいつのことであったか記憶にないが、70年代半ばではなかったかと思う。76年か77年、遅くても78年だ。紹介されていたのは『あかいふうせん』だ。緑色の地に赤い大きな風船を描いた表紙で、言葉がないのでどの国の人でも楽しめるし、また自由に想像を広げることが出来る。この絵本は彼女の代表作だ。これをまず買って、次々と入手出来る絵本も買い、5、6冊は所有する。それらは隣家に置いてあり、今日はその写真を載せることは出来ないが、もう2、30年は中を見ていない。『あかいふうせん』は確か筆者が最初に買った絵本だ。あるいはシルヴァスタインの『おおきな木』であったかもしれない。気になったので調べると、『おおきな木』は1976年の出版で、筆者はこれを大阪梅田の紀伊国屋でほとんど出た当時に買った。ベストセラーになっているのを知り、それで買ったのだが、なかなか泣かせる内容ながら、かなり残酷でまたドライな人間を描いていて、子ども向きの絵本ではない。子どもを持つ親がこっそり読んで心で泣くという類の本で、また絵本というには絵は黒の線描のみでイエラ・マリの絵本のような香り高い芸術性はない。イエラ・マリの絵本は輪廻をテーマにしたものが多いので、彼女は生涯に10冊程度しか絵本を出さなかったが、それは無理のない話で、それほどに1冊ずつの完成度が高く、そういうものを出した後にはもう何も語るものがない状態になったと思われる。禅的と言うか、イタリアの若い女性がどのようにしてそのような輪廻の思想を持った絵本を作ったのか不思議に思うが、案外日本の禅思想を若い頃にかじったのかもしれない。文字がないので、禁欲的な印象が強い絵本になるが、イエラの場合は他のイタリアの絵本作家と違って、本質的に禁欲に馴染んでいたような生活であったように思える。それは『あかいふうせん』からでもわかるが、『木のうた』や『りんごとちょう』、『にわとりとたまご』ではもっとそうだ。特に『にわとりとたまご』は鶏の親の黄色の足の描き方などがとてもリアルで、小さな子どもは恐怖を覚えるかもしれないが、写実に徹して、日本の絵本のように安易なデフォルメを採用しない。そういう科学的な眼差しは『木のうた』や『りんごとちょう』でもよく見られるが、どちらも季節が巡ってまた元の季節になるという輪廻の思想の表現では同じだ。またこの輪廻だが、そういうおおげさなものではなく、どこから繙いてもかまわないというルーズリーフで綴じた本を想定した時に思い浮かんだものだろう。日本では背を固めた本が流通しているが、イエラの初期には同じ絵本でもルーズリーフ形式のものがあったことが本展でわかった。だが、どこから見てもかまわないという形式を思い浮かべたところに、輪廻に関心が深かったと言うことも出来る。
●『イエラ・マリ展―字のない絵本の世界―』_d0053294_0254027.jpg

 数歳の子に輪廻を言ってもなかなか実感出来ないであろうから、イエラの絵本も大人向きと言える。それで『芸術新潮』で紹介されたのかもしれない。筆者が当時『芸術新潮』を読んでいなければイエラの絵本に早々と出会うことがなかったが、一方で絵本であるので子ども向きで最初から関心がないとばかりに見逃さなかった筆者であったので出会いがあった。これは先入観を持つなということと、侮るなという戒めの参考になる。それはさておき、『あかいふうせん』の表紙の緑と赤、それにページを繰って現われる白地は、イタリアの国旗の色合いで、さすがイタリアのセンスはいいと当時思ったが、本展のチラシによると、彼女はデザインの発信地となった5,60年代の経済成長期のミラノで制作を始め、いわば当時のイタリアの最先端のデザインの才能を持ったひとりであったことになる。何が素晴らしいかと言えば、今ではパソコンで簡単に描けるかもしれない線だ。『あかいふうせん』では赤のベタ地以外に細い均一な太さの黒い線が大きな魅力と存在感を発揮している。その美しさは日本で言えば白描絵巻に見えるものと同質で、筆者はそれがとても好きだ。そういう繊細な線描と大きな赤い色面が同居するページが見開きで次々に現われるが、それはイメージの遊びで、連想ゲームを思えばよい。ふうせんが花になり、傘になって行くが、そこには輪廻の思想はなく、シュルレアリスムと言えばおおげさだが、それに近いイメージの連想が続き、ページを繰るごとににやにやとさせられる。そしてこの絵本の驚くべきところは、最後のページだ。それまではどのページも見開きで視線は同じと言ってよいのに、最後のページでは空から地面を見下ろし、雨傘を差した子どもが描かれる。これは、全体に人の視線で描かれた光景であったのが、最後にその視線が霊のように舞い上がり、そして地表に歩く人物の傘を真上から見下ろすので、絵本を見る者は自分が宙に浮いたように感じる。その最後の大きな変化も輪廻の思想とは関係がなく、もっと自由な空想のはばたきがある。つまり解放感だ。イエラの他の絵本では輪廻が強調され、絵本がその中で閉じていて息苦しさのようなものが漂っている。それに比べて『あかいふうせん』は風に乗って飛んで行く風船さながらに、ふわふわとして捉えどころがなく、そのことが解放感となって絵本に多くの隙間を生んでいる。その隙間に鑑賞者は自由に遊べるのだが、そういう絵本は日本では前例があるのだろうか。
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 本展の図録に解説を書いていた日本の絵本作家の絵本が館内の絵本をたくさん置いたコーナーにあったので手に取った。一瞥しただけでイエラそっくりで、がっかりさせられたが、イエラの絵本の様式は模倣しやすいものだが、模倣してもイエラの個性までは真似出来ない。つまり、日本のその絵本作家の作品は、イエラを尊敬するあまり、いろいろと分析してどうにかイエラの様式を咀嚼し、それを創造力の糧としたがっているのかわかるが、イエラの絵本をいくら模倣してもイエラを超えられるはずがない。そういう簡単なことがわからない作家はいつの時代でもごまんといるが、筆者にはみな醜悪で未熟に見える。悪く言えばその作家はイエラを出汁にして名声と金を得ていることになり、醜悪と感じるのは当然だろう。世界的な名声を得ることは天賦の才であって、その才能を尊敬するあまり、模倣を続ける人物はどこまで行っても凡才に留まる。また、日本では世界的に誇り得る絵本の才能がないかと言えばそうではない。前に取り上げたことのある瀬川康男は独特の個性と日本的な情緒によって、どの国の絵本作家も真似出来ない風格を持っている。話を戻して、その絵本コーナーにあった絵本の大半を手に取ったところ、いくつかとても面白いものがあったが、どれも海外の作家のもので、日本のものはなかった。近年はめったに本屋に行かず、また図書館に行っても本棚を眺め回すことがないので、どういう本が人気なのか、またどういう絵本作家が台頭して来ているのか知らないが、筆者が知らないだけでそれなりに実力のある者が出て来ているのだろう。そして、そういう新人にとってイエラの絵本はどういう意味を持っているのかと思うが、先に書いたようにイエラの絵本は『芸術新潮』で紹介されるほどに大人向きで、しかも文字がないので小説のようには楽しめず、人気は一部の人にしかないのではないか。それでも刈谷市で展覧会が開かれるほどには知られていて、またなぜ刈谷かと言えば、東京や京阪神で開催するほどには日本では知られていないからかもしれない。つまり、刈谷で開いても東京で開くのと同じ程度の来場者の数しか見込めないとの判断だ。それは筆者がわざわざ刈谷まで本展だけを見るために訪れたことからも言えそうだ。また、今なぜイエラ展かと言えば、彼女は2014年に亡くなった。その遺作展という形で、また彼女が死んだので展覧会が開きやすくなったのかもしれない。
 本展で知ったが、彼女は1980年頃から多くを語らずに隠遁生活に入ったそうだ。だが、それは意外ではない。『あかいふうせん』は別だが、他の絵本は先に書いたように何かを悟り切ったような見方が支配している。美しい線や色合いは保たれるが、絵本全体が神の摂理を通して描いたもののようで、どこか近寄り難い。そこが筆者には魅力で、人気者になってマス・メディアに顔を露出する才能よりはるかに好ましいが、それでは日本では本の売り上げに響くだろう。どんな方法でもいいので、顔と名前を売り、誰もが知るようになって商品も売れるし、またそうなってこそ一流とみなす考えが日本では常識となっている。そのため、現実は2,3流どころが一流の顔をして、玉よりも石の方が目立つことになっているが、そういう騒々しい日本の状態からすればイエラの絵本はひっそりと、また完璧な形で咲く小さな花のようで、彼女が多くを語らずに隠遁生活をしたことは絵から想像される人柄と全く重なる。チラシによると生涯に8冊の絵本だ。それらはどれもアマゾンで入手出来るし、今後も絶版になることは当分ないだろう。本展は原画をたくさん展示したが、それらは想像していたとおりのもので、意外性がなかった。そして絵本はそれらの原画を忠実に再現していて、グラフィック・デザイナーとしては仕事冥利に尽きた人生ではなかったか。彼女の顔は本展で初めて知ったが、あまり鮮明でない、また小さな写真1枚で、そこからも人前に出たがらない性質がうかがえる。美人ではないが、眼鏡をかけた思索的な表情で、イタリアの芸術家の列に連なる才能として長らく記憶されるだろう。イエラ展は今後形を変えて東京や京阪神で開催されるような気もするが、彼女だけの原画だけではかなり地味で、また点数もさほど多くないので他の絵本作家と抱き合わせになるかもしれない。
by uuuzen | 2015-12-22 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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