残りになっている投稿を年内にどうにかしておこうと考える。今年もそれなりに多くの展覧会心に出かけたが、ここ半年はほとんど投稿しなかった。それで今日はその心残りを払拭するために「その1」として、半年前に書こうと思いながらそのままになっていたことを取り上げる。

今年は大坂の陣から400年で、大阪ではいろんな催しがあった。代わって来年は蕪村の生誕300年で、その展覧会なども開かれると思うが、現在のところそのチラシは見かけない。同じ年生まれの若冲と違って、蕪村は絵と発句で有名で、その分、一般からはとっつきにくい存在と思われているのかもしれない。それはさておき、NHKの来年の大河ドラマは真田幸村やその周りの人物を取り上げる内容であったと思うが、区切りの年としての大坂の陣400年は全国的に有名であるらしい。それで大阪に多くの観光客が訪れるかと言えば、大坂の陣に関心のある人は少ないのではないか。『大坂の陣400年 特別展 大坂』の展示で最も面白かったのは、今日使う写真にあるように、発掘された土人形だ。これらは比較的新しいものもあるが、最も古いものでは秀吉が建てた大坂城の跡から出て来た。土人形としては特筆すべき古いものだ。今日それらの土人形の展示写真を使う気になったのは、年末であるから蔵ざらえのつもりもあるが、それとは別に先日高槻の今城塚古墳に行って来て復元された埴輪群を見たことの理由が大きい。つまり、土人形の日本における最も古い埴輪の写真を先日投稿した結果、半年前に投稿しようと思いながらそのままになっていた写真を思い出したのだ。そこで今日は埴輪との関連で何か書くのかと言えば全くそんなことはない。もうひとつ今日の投稿の大きな理由がある。それは郷土玩具だ。

筆者は大阪と京都のふたつの郷土玩具の会にいちおう入っているが、今年は7月以降はどちらにも行かなかった。その理由はひとつではない。このふたつの会は、前者が偶数月、後者が奇数月と決まっていて、どちらにも参加している人は数人いて、彼らは毎月郷土玩具の集まりに顔を出すことになる。月一度はそんなに負担ではないし、趣味を同じくする人たちと顔を合わせるのが好きな人にとっては少ないとも言える。筆者は京都住まいなので大阪よりも京都の会に出席する方が時間的にも経済的にも便利だが、最初に入ったのは大阪だ。またそちらの方が参加者数は数倍多く、より賑やかで楽しい。だが、毎月郷土玩具のために出かけるのは大変で、どちらか片方に絞りたいが、京都の会は京都の人がとても少なく、それで筆者が重視される格好になっている。それはありがたいことだが、筆者は郷土玩具全般にさして関心がなく、もっと自由に出入り出来る身分でありたい。それをまだ言い出せないでいるが、今年は8月以降から忙しくなり、郷土玩具のために出かける気分的な余裕がなかった。それで大阪も京都も会を欠席しているが、大阪の会は会報誌があり、それが送られて来るのでどのような会合であったかはよくわかる。京都の会はそれがなく、みんながどのようなことで集まり、どのような盛り上がりであったかの詳しいことはさっぱりわからない。会報誌がない状態の集まりはいわば同好会だ。筆者は同好の士とは必ずしも言えず、大阪か京都かとなると、会員数が多く、目立たなくて済む大阪に気が向く。気楽であるからだ。

大阪と京都はすぐ隣り合っているのに、多くの点で差があることは大阪や京都に住まなくてもだいだい知られている。郷土玩具の会で言えば、最初は京都で発足したという。それが大阪住まいの人たちが独立して別の会を作った。そして今ではそれが会報誌を出すほどに成長しているのに、京都は今年春の時点で数人しか集まらないという状態で、もう解散しようというところにまで行った。それがある人の尽力によって若者が数人加わり、元気を取り戻した。筆者は若者ではないが、その新参者のひとりだ。元からいる人から誘われたからで、その人に義理立てする必要もないが、まあ、適当に覗いてみようかという気分で参加した。そういう安易とも言える考えの者でも、わずかな会員しかいないので大歓迎だが、筆者を誘った人は、これから京都の会を引っ張って行くような人物になってほしいとの思いがあり、そのことが筆者には重荷になっている。その理由は、郷土玩具すべての関心がないことと、またそれはすべての郷土玩具を評価していないからだ。そこは難しい問題だ。芸術という言葉を持ち出すと郷土玩具愛好家と考えが対立する。筆者は郷土玩具よりはるかに良質と思っている芸術作品に憧れが強い。そういう天才的な芸術作品から日本の郷土玩具を見ると、その言葉どおり、全くのおもちゃであって、芸術としての厳しさ、神々しさを何ら感じないものが多い。もちろん、筆者の眼にかなったものは手元に置きたいし、またそういうものとの出会いを多少はあるかもしれないと思って会に出かけるが、そういうものとの遭遇はきわめて稀だ。あるいは皆無と言ってよい。大阪も京都も一言すれば同好会であって、収集の数を誇る人が主になっていて、そういう人たちは万単位の数を所有するが、それはだいたい半世紀以上の収集歴であるから、当然と言える。万単位の郷土玩具を保存するには家が別に1軒必要だ。筆者はそこまで郷土玩具に夢中になるつもりはないし、また何でもかんでも集めるという心がわからない。ごく良質のもの、自分の眼にかなったわずかなもので充分で、それでも多過ぎると思っている。これは郷土玩具、特に伏見人形に目覚めたのが50歳過ぎてからという、郷土玩具愛好家の中では例外的に遅い目覚めであるからだろう。万単位の数を持つ人は、10代で関心を持った場合がほとんどで、全生涯をその収集に費やして来たと言える。そういう人からすれば、美術館に飾られる名画よりも郷土玩具がいいと思うのはあたりまえだろう。

どちらの郷土玩具の会に行っても、筆者の眼にかなう「立派」な玩具にほぼ出会えないことはおおよそ知っているし、珍しい玩具を誰かが持って来ても、珍しいと思うだけで、それが芸術とは感じない。郷土玩具愛好家にすればどの郷土玩具も芸術だろうが、作られてせいぜい数十年しか経っていない、また今の価格に換算しても1000円程度のおもちゃに、芸術性が宿ることは難しいのではないか。これは芸術とは何かの問題に関係する話に尽きるとも言えるが、手作りの素朴なものが何でも芸術と言われると、筆者は決してそうではないと反論したい。芸術はもっともっと厳しい世界だ。そのことは長年郷土玩具を収集している人もよくわかっている。京都の会に毎回やって来る80代の医師は、数万点を所有し、それを没後に郷土の町に寄贈することにしているが、今春の会でその人が言った言葉の中に、「郷土玩具が芸術作品とは違ってあくまでもおもちゃです。せいぜい200円か300円程度で買えるものです」があった。全くそのとおりだ。その安さゆえに健康であり、またそれ相応の美しさがあることは柳宗悦が言った。そして、柳は世間で言う芸術を否定し、郷土玩具を含む民衆の造形作品を美として称えた。それはわからないことでもないが、そう決めつけてしまうと、何が技術的に優れているのかといったことが曖昧になってしまう。200円や300円なりの美があれば、何万円もする美もある。また郷土玩具でも数がきわめて少ないものは、100万円近い価格で取り引きされることもあって、物の値段はほしい人が勝手につけることもあるから、郷土玩具と巨匠の絵画とは優劣はないことになるが、一般的な話となると、量産された郷土玩具はいつの時代でも復元が可能な拙いものであって、そうしたものと天才の絵画を同列に置くことは出来ない。何が言いたいかと言えば、郷土玩具の会で郷土玩具の話をすることは、筆者にはさして面白くないということだ。それよりもっと芸術のことを話題にしたい。それが残念なことに、美術の巨匠やその作品に関心、また造詣の深い郷土玩具愛好家は筆者の知る限りではいない。それで大阪や京都の郷土玩具の会への出席も、仕事の多忙さがなくても何となくうきうきと心を躍らせる誘惑を掻き立てない。たとえば、筆者が今年はその多忙の中にザッパの本を書いたが、郷土玩具の会にやって来る人たちはザッパの名前すら聞いたことがないだろう。それを言えば、郷土玩具の会の人たちも郷土玩具以外の趣味を持っていて、それは郷土玩具の会ではあえて表に出さずに会を楽しんでいるはずで、郷土玩具の会というのは、その名前のとおり、郷土玩具を仲介とした人の集まりであって、郷土玩具にさして関心のない人は楽しめない。そして、楽しくないのであれば無理に出かける必要はなく、実際大阪では会員が数百いるが、会合にやって来るのはせいぜい20名ほどで、大半は会報誌を読むことで充分と思っている。また遠方のため、大阪に行くことが出来ない人も多いだろう。

話を『大坂の陣400年 特別展 大坂』に戻すと、大阪も京都も郷土玩具の会の人たちはこの展覧会を見た様子はない。京都では郷土玩具に関係する話をひとりずつ順番に語ることになっているが、たとえば筆者がこの展覧会で江戸時代かそれ以前の土人形を見たと報告しても、おそらく誰も聴き耳を立てない。それは、郷土玩具とはあくまでもほとんどが戦後に作られたものという思いがあるからで、買えないものは興味の対象にならないからだ。発掘品は本来個人には手が届かない。入手出来たとすれば、それは盗掘品が回り回って骨董商が扱うようになったもので、いかがわしさがつきまとう。その挙句、贋作だと思うこともある。そしてそんなものに興味を抱くより、戦後の郷土玩具で状態のよい、そして数が少なくて珍しいものを集めようと考える。また、そこにはそれなりの市場価値重視の姿勢がある。先に書いたように、数がごく少ないものは、たとえば江戸時代のそれなりに有名な画家の絵の100倍以上の価格で取り引きされ、郷土玩具が単なる玩具で200円や300円で流通するものと思うことは大きな間違いだ。そこに筆者は郷土玩具ではなしに、それを集める人の一種の投機性を見て嫌な気分になる。純粋にその素朴の造形を楽しむのではなく、しっかりと手放す時の価値を見定めているのだ。であるから、発掘された何百年も前の土人形には関心がない。手に入らないものに興味を持ってもどうしようもないからだが、真に造形性に関心があるならば、郷土玩具の先祖である埴輪や、江戸時代の土人形に注目すべきではないか。だが、それは研究の範囲を広げ過ぎることであって、戦後拡大化した郷土玩具ブームとは直接の関係はないと思う人がほとんどだ。

同好会はいろんな関心の幅を持った人が集まるべきだが、お互いの関心の差を聴き合う仲になるには年月が必要だ。1年に6回しか会わないではそれは難しい。また、高齢になると、そういう交際は面倒になりがちだ。そこで郷土玩具の研究も実際はいくらでもテーマがあるはずなのに、まず現物がせいぜい戦後のものが中心となり、近視眼的なことに留まりやすい。あるいは自分が所有する珍品自慢、収集の数自慢だ。コレクターとはだいたいどの分野でもそういうものだ。あくまでもコレクションが本位であって、それを元にした研究は二の次だ。そして筆者はいろいろと郷土玩具で知りたいことがあるが、それは伝わる現物がほぼ皆無であることもあって、研究の端緒がつかめない。それで最も正統的な態度と言えばいいが、気に入った人形をひとりでじっくりと眺めて心を楽しませる。その思いを郷土玩具愛好家と共有するのも楽しいが、本当はひとりで味わってこそいいのであって、その人形とのたまたまの出会いを喜べばもうそれだけでその人形の役目は充分だ。『大坂の陣400年 特別展 大坂』展に並んだ土人形は今の伏見人形に同じものがあるなど、興味深い研究テーマがいくつも見えている。その一方、これらの小さな人形を当時触れた人たちは跡形もなくこの世から消えていることの不思議を思い、そのかたわらで自分の好きな人形を思い出すと、人間が埴輪を作り、そして伏見人形を作ったことの意味がわかる気がする。郷土玩具は素材がたくさんあるが、筆者が好きなものは土人形が多い。今日の写真のものもみな素焼きで、紙や木、布を使ったのはどれも土の中で朽ちてしまった。それはさておき、来年から大阪と京都の郷土玩具の会への出席をどうしようかと思案している。引き続いて多忙になるので、よほどのことがない限り出られないと思うが、一方では出ても仕方がないかとの思いもくすぶっている。