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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『インド サリーの世界』
天気もよかったので、20日に茨木の万博公園に行って来た。無料観覧日とは知らずに前もってチケットを入手していた。昨日書いた『旅する”エキゾチシズム”』と同じことになってしまった。



●『インド サリーの世界』_d0053294_0245791.jpg毎年この時期には無料観覧日があることを知っているが、23日の文化の日だとばかり思っていた。ま、それでも無料はありがたい。それもあってか、家族連れが万博公園やこの展覧会が開かれた民族学博物館にはたくさんの人が来ていた。インドの染織品の展覧会はたまにあるが、サリーばかりを展示するのは珍しい。おそらく初めてのことだろう。本職の友禅とは直接の関係我なくても、繊維関係の展覧会には必ず出かけることにしている。ただし、本職の友禅の展示会は別だ。友禅作家が友禅だけ見て毎日仕事をしていてもろくな作品は作れない。どんな職業でもそうだが、それに少しでも関係したあらゆることに興味を示し、歴史の古いものもどんどん見なければ、本当に創作と呼べるものなど生み得ない。それを妙に吐き違えて、自分の小さい個性を、拙い技術で表現して芸術だと自惚れている者がたくさんいる。そんな連中が自慢するのは、大きな組織に属して、その会員になっているといった肩書程度であって、それさえあれば人は自分を敬ってくれると勘違いをしている。確かにそんな肩書で人を尊敬する大人もいるが、肩書や資格の実体がどれほどのものかはうすうすみんなわかっている。芸術は最後に残された自由の砦と思うが、そんな芸術の世界でも普通のサラリーマンと同じような縦関係の組織があって、芸術とは全く何の関係もないことで毎日汲々と動き回っている人がある。いやしかし、こんな横槍を入れても、びくともしない連中が芸術の世界を牛耳っている(つもりである)から、言うだけ無駄か。本題に戻ろう。国立国際美術館が移転したので、万博公園に行くことは少なくなった。だが、春と秋の民博の特別展は、他に巡回しない独自の企画ばかりであるので、いつも楽しみにしている。芸術に限らず、いつも生活に密着した面白いテーマを打ち出してくれるのがいい。右に傾きがちな日本にあって、ここだけは国際的でしかも平等感覚が保たれている。こういう博物館が大阪にあることは世界に誇ってよい。この民博が1970年の大阪万博の「太陽の塔」を考えた岡本太郎のアイデアに原点があることを知ると、今さらながらに岡本の偉大さがわかる。『村上善男展』のブログでも書いたように、岡本は日本の古い民俗文化に関心を抱いて、日本のあちこちをカメラを携えて自分の目と手と足で取材した。それが世界を視野に入れたものに発展したのが民博であって、民博を訪れる時に必ず「太陽の塔」を仰ぎ見ることになるのは、どこか神仏を拝むに似た感覚もあって、大いによい。この太陽の塔の内部を以前、民博は人数を限定して見学させたことがある。当然筆者は申し込んだが抽選にもれた。その後どうなっているのか知らないが、内部には岡本が考えた装飾が施され、写真で見る限り、ぜひ一度は見ておきたいものだ。なぜ常時公開が出来ないのか知らないが、「太陽の塔」を先日見たところ、また全体にうす黒くなっていて、10年後には白く塗り替える必要があるだろう。鉄筋コンクリート造りのため、寿命は60年ほどだが、外壁の塗装を丹念に繰り返せば100年以上は持つはずだ。もし建て替えるとなると、今の大阪の財政ではとても不可能だ。結局取り壊しになるだろう。それはまだまだ先の話としても、とにかく「太陽の塔」の内部はいずれ見学したいと思う。
 行ったことはないが、インドは太陽に近い国の印象がある。日本は国旗がそれこそ太陽そのままだが、年々インドのように暑くなっているとすると、それは日本を初め、経済先進国がどんどんエネルギーを消費して温暖化をもたらしているためもあるから、日の丸とは金の丸のことかなとも思ったりする。それはさておき、手元に1冊の図録を取り出している。『インド宮廷衣装』という展覧会のものだ。1988年春に東京の有楽町アート・フォーラムで開催された。これは観ていないが、図録だけある人に買って送ってもらった。「マハラジャの栄光」という副題がついていて、収録される図版はみな美しい。実際のインド人が着用してポーズを取っている写真も多く、それも見物となっている。当然サリ
ーばかりではなくて、きちんと仕立てられたスカートやコート、上着が多いが、今回の展覧会でもそれらと似た衣装はたくさん出ていたので、あまり大差ない展覧会の印象を受ける。この図録には他の展覧会のチラシを何枚か挟んでいる。これと同じことはよく書いているが、筆者は展覧会チラシをなるべく保存して、図録を買わない場合は、その展覧会のチラシは似た展覧会の図録の間に挟んでおく。こうしておけば、図録を開いた時、その展覧会以降同じようなものがどのように開催されたか一目でわかる。で、チラシの1枚に『大インド展 マハラジャ秘蔵コレクション』というのがある。これは1991年の3月から9月にかけて万博公園のエキスポランドで開催された。半年にわたる会期であったのに訪れなかったのは、エキスポランドという場所のせいだ。だが、同時期に民博で開催された『特別展 大インド展』には訪れた。偏見かもしれないが、エキスポランドでの開催となると、どうしても大道芸的な見世物の雰囲気がまとわりつくし、実際このチラシの裏面には「同時開催 インドの大道芸」とあるから笑わせる。しかし、実は民博でも会期中にインドの大道芸人により操り人形劇が開かれた。それは実に人間味溢れる印象的なものであった。『大インド展』で記憶にあるのはその操り人形芝居だけと言ってよい。つまり、インドの代表的な芸術は大道芸ということになるかもしれないが、これはインドを馬鹿にしているのではない。全くその反対だ。そういうものを失った国こそ、何か大切なものを忘れてしまって悲しいと言いたい。
 今回の『サリーの世界』は『大インド展』以降のインド関係の展覧会と言える。またチラシのことを書くと、1995年1月から2月にかけて、京都の日本画家畠中光亨が20年以上にわたって収集したインドの染織品の展覧会が西宮市大谷記念美術館で開かれている。80年代頃からか、京都や大阪ではインドから輸入した雑貨を取り扱う店が急増し、インド的なるものは日常的に見られることになって、インド関係の展覧会が珍しいものでなくなっている。だが、安物の日常品と、歴史があって由緒も正しい工芸品とでは明らかに質に差があり、公的機関が調査して集めた展示物が並ぶ展覧会は断然風格が違う。特に昔のインド更紗はそうで、先の大谷記念美術館でのインド染織展はそんな代表のひとつだ。また、先週訪れた逸翁美術館が所蔵する呉春を初めとする文人画家の絵の表具には、当時もたらされた更紗が使われていて、それがとても珍しい不思議な調和を感じさせている。同じようなことは現代でも引き継がれ、これも先ごろ何必館で観た『近代芸術家の書展』ではインド更紗をかなり目立たせて使用している作品が何点かあった。そのような深い味のある古更紗は、染め方や染料が現在の安物とはまるで別物であるため、風格の差は歴然としている。だが、現代のインドにおいて、そのような昔どおりの手染めの更紗が大量に作られていることはないだろう。そのあたりのことを今回の展覧会で確認するのも目的で訪れたが、サリーは染色だけに頼ったものではなく、むしろ織りや刺繍を施した立体感のある布地で、しかも手作りにこだわらず、便利なものはどんどん使用して、とにかく華麗で豪華なものになれば何でも使用するのが実情のようであった。あるひとつの手技にこだわって、その極度の洗練の中で美術工芸品を作る方向に向かう日本とは違い、インドのサリーは伝統的染織を引きずりつつも、もっと自由な、ちょうど洋服地と同じような感覚で流行的なものを次々と生み出していることがわかった。それはそうだろう。友禅染は特殊な場所で着る晴れ着にのみ使用する技術と化しているが、サリーは日常着るための大きな長方形の1枚の布地であるので、そこにどのような模様がどのような方法で染められ、あるいは織られていても、美しければそれでかまわない。その点において、特殊な染織技術の面からはあまり見るべきものはない。あくまでも仕上がった布地全体としてどういう効果をかもしているかが重要で、また見所となっている。そして、それは実は友禅以前の日本のキモノも同じであったことを思い出す必要がある。となると、回り回って現在のサリーを見ることは、今後のキモノの生地を考えるうえでもあるヒントを与えているとも言える。
 会場1階は「インド・ファッションの現在」、2階は「インドの布の広がりと多様性」という構成で、1階にはインドのデザイナーの布地がたくさん展示されていた。これがとても面白かった。前述の『インド宮廷衣装』の図録には「無縫製から縫製の衣服へ-インドにおける衣服の変遷」と題するインド人による文章がある。その最初の方を少し引用する。「インド衣服の真髄は動きとドレープに有るが、サリーはその代表であることは言うまでもない。インド全土のほぼ3分の2の地域で着られており、そのスタイルは800種類以上にのぼる。さらに、それを着用する婦人独自の演出がそれぞれのバリエーションに加味されており、それによって彼女に属する社会階級や立場、さらにそれに劣らず大切な彼女の好みが伝えられる。農村から宮廷にいたるまで、サリーのひとつひとつは明確なメッセージであり、膨大なインドの社会的経済的歴史のキャンバスにおけるそれぞれのドキュメントといえよう。構造、色、装飾によってさらにバリエーションが加えられ、通り一遍の研究ではつかみきれないものがある。そのひとつひとつの要素は、シンボルと歴史と綿密にかかわりながら機能しており、互いに切り離して考えることは不可能である…」。一方、今回の展示にあった説明をかいつまむと、サリーが今日の形になったのは近代(1880年代)以降のことで、通商の広がり、新素材や染織技術、インド内外の情報伝達の拡大、植民地下という状況のもとで、インド社会に浸透した西欧の影響や新興エリートの中間層のライフ・スタイルが重なって、南アジアで広く見られた女性の非縫製着衣をもとに作られた。その後20世紀初頭における新しい家族の形態の出現とサリーの関係、さらに洋風の流行と「非西欧服」の発見という経過を辿り、1940年代は「ファッションとナショナル・ドレス」という言葉に表現出来る動きがあって、サリーはインド女性のプライドを反映する着衣となった。さまざまなサリーがそのままで、あるいはマネキンに着せられて、暗い展示室にスポットライトを浴びて輝いて見えていたが、これは使用されている金糸や銀糸を際立たせる効果があった。サリーに特有の金銀糸刺繍はザルドジ(zardosi)と言われる。これを、インド西部の遊牧民の民族衣装のスタイルや色使いを模したドレスに施すことによって、洗練されたエスニック・モードを作り出した。また、絹や綿の糸を芯にしてその周りに螺旋状に銀糸を巻き、さらに金箔を被せた金箔金糸をザリ(zari)と呼ぶが、経糸に細い絹糸を使い、緯糸にザリを使用したティッシュ・サリーと呼ばれるもある。これはきらきらと繊細に輝き、エキゾチシズムをかき立てる。織り出されている模様にしても、やや模様化してはいるが、絵画的な人物の顔を大きく表現したものもあって、見る角度によって玉虫のように金色に浮き出ていた。デザイナーが特別にデザインしたこうした生地は、普段見慣れている洋服地とは全く異なる世界が、インドでは今も盛んに開発されている事実を改めてつきつけた。そしてそんな生地がどこで買えるのか、それがとても気になった。会場出口の売店にはサリーを着た日本人女性が盛んに客に試着させて売るのに熱心であったが、ほしいと思うものはなかった。インドでも特別豪華なティッシュ・サリーは限定的な場所でしか買えないのかもしれない。何でもどこでも買える日本と同じと思ってはならないだろう。おそるべしインド、眩暈を誘うインドを再確認した。太陽の輝く国インドの中を実際に覗くことがあるかどうか。
by uuuzen | 2005-11-26 23:58 | ●展覧会SOON評SO ON
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