ビートルズ時代にポール・マッカートニーは他人名義で曲を書いて自分の実力を試したことがある。それでもヒットしたので自信を得たのだろう。

今日取り上げる「ふたりだけの窓」という映画の主題曲は66年にポールが書いた曲で、日本でもかなりヒットした。筆者はシングル盤を買い、映画にも見に行った。映画は炭鉱町の息子がかわいらしい娘と結婚し、新婚旅行に出かけるが、セックスの経験がなく、うまく初夜を迎えられない。それでぎこちなくなってしまうふたりだが、特に男性が落ち込む。新婚生活は両親の家と同居で、しかも労働者階級であるので、ふたりの寝室の様子はほかの部屋に筒抜けだ。それで夜の生活はなおさら思うようにならないが、周囲の心配、理解に支えながらうまく切り抜けて行くという物語であった。原題の「ザ・ファミリー・ウェイ」は、家族の道すなわち家族になって行く方法といった意味で、この新婚夫婦が本当の夫婦になるということと、ふたりを取り巻く周囲の優しい人たちを指している。それが日本語では「ふたりだけの窓」となるのは、ロマンティックさを売りにしてヒットを狙おうということだ。そしてそれにふさわしい写真がレコードのジャケットに使われた。中学生の時に一度しか見ていないので、記憶がかなり薄らいでいるが、煉瓦造りの同じ形の家がたくさん建ち並び、イギリスでも労働者は貧しいのだなと思った。だが、イギリスは石炭はもう60年代のようには採掘していないのではないだろうか。日本を考えればわかる。ではこの映画に登場する炭鉱夫たちはその後どうなったかと言えば、職を失うしかないし、それで失業率が高まって、70年代にパンク・ロックが登場したと考えればよい。それはさておき、筆者はこの映画を誰と見たのだろう。その記憶も消えているが、映画の印象は、うまくセックス出来ないということが当時の筆者にはそんなものかなと少し意外な気がした。それに何だか滑稽な話で、感動には遠かった。それでもこの主題曲は一度聴けば覚えられるような、いかにもポール・マッカートニーが得意とするメロディアスなもので、筆者は年に一度くらいは何気ない拍子で思い出す。先日もそうであってので、今日取り上げることに決めたが、昔買ったシングル盤はクラスで好きであった女子にあげてしまった。今ではネット・オークションで見つけられるが、割合高値になっているようだ。ビートルズのレコードよりかははるかに売れた枚数が少なかったからでもあるだろう。ジャケットはカラーで、日本では67年、『サージェント・ペッパー』の直前の発売ではなかったかと思う。また、ビートルズのレコードを発売する東芝音楽工業ではなく、ローリング・ストーンズと同じロンドン・レーベルだ。サウンドトラック盤はたいていそのように別のレコード会社から出た。
この曲に関して当時から筆者が不満であったのは、ビートルズの曲でお馴染みのABA形式のBの部分がないことだ。それだけポールは気軽に、手を抜いたのだなと思った。ポールは前年のビートルズの「恋を抱きしめよう」でもサビの部分はジョン・レノンに書いてもらった。この曲もあまりいいサビが思い浮かばなかったのだろう。ではレノンに助けを求めてもいいのに、ポールに注文が来たのでひとりで書いたというのが実情だろう。また、ひとりで作曲したところに、後のビートルズの解散のかすかな兆しが見えるかのようだ。サビがないのは物足りないが、筆者は散歩中にこの曲を思い出して口ずさむと、自分でそれを考える。当然いいものが出来ないが、そこを何とかポールがやり遂げていたならば、この曲はもっと有名になったのではないか。それに歌詞をつけてよかった。ひょっとずればポールは歌詞を書いたかもしれないが、それはこの映画とは関係がないものに思える。さて、20年ほど前、京都三条の十字屋の中古CDセールで、『Paul McCartney The Family Way』と題する地味な1枚を買った。先ほど久しぶりにそれを全部聴いたが、昔のサウンドトラック盤と同じヴァージョンは入っていない。CDのジャケットをよく見ると、「VARIATIONS CONCERTANTES OPUS 1」と書いてある。これは「変奏組曲 作品1」とでも訳すのがいいのか、主題をクラシック・ギターと弦楽四重奏で演奏したもので、全9曲から成る。だが、前述のようにサビのない曲であるので、変奏するにしても変化に乏しく、この9曲だけでは1枚のCDにするのは間が持たない。そこで後半は別の音楽家3人の曲を収めてある。録音は1994年で、91年に『リヴァプール・オラトリオ』を書いたポールにプロデューサーのマイケル・ラヴァーディエリが本作を作ることを提案した結果、実現した。

ジャケットが黒地に金の文字だけの印刷で、あまりに地味でビートルズ・ファンにはどれだけ当時知られたかは怪しい。ジャケット中央のマークは円に一匹の精子が通り抜けている図に見え、これは『ふたりだけの窓』の若い夫婦がようやくうまくセックス出来るようになったことを意味しているのかどうか、あまり趣味はよくない。その下の方にも同じ精子が横方向に描かれ、これは単なる行の区切りの曲線とは言えない。話を戻すと、この映画のサウンドトラック・アルバムは当時発売されたのだろうか。そこまでは筆者も考えなかった。なぜそのことを今思うかと言えば、映画音楽を依頼されたポールは、短い主題のみを作曲したのかどうかだ。場面に応じた音楽はほかにもあったかもしれない。そういう曲も同時に作曲していたならば、アルバムが発売されたかもしれない。主題を楽器の組み合わせで数種のヴァージョンを作ることは映画音楽ではごく普通に行なわれる。ポールがそうした楽譜を全部書いたかと言えば、違う。その作業はジョージ・マーティンが当時担当した。そこでこのCDの最初の9曲を聴くと、短いもので1分54秒、長いもので3分15秒で、どの曲も同じ主題を使いながら、違うメロディもわずかに含む。サビではなく、前奏と言うべきもので、それもポールが書いたのか、あるいはこのアルバムのための書き下ろしか、それはジョージ・マーティンが書いたオーケストレーションを聴いてみないことにはわからないが、このアルバムの解説にギタリストのカール・オウバットが書くように、コンサート用の作品として新しいアレンジを施したとある。それで最初の9曲が終わった後の他人の曲はまるで「ふたりだけの窓」に使用されていたかのように雰囲気がよく似ていて、アルバムとしてはまとまりがよい。これは本作で終始ギターを弾くカール・オウバットの才能による。