信用にならないのが記憶力で、覚えているとしても微妙に想像力が働いて実際とは違っていることがある。写真を撮っているとそれを見れば撮った時のことを思い出しやすいが、それも限度がある。
たくさん撮り過ぎると、何年か経ってみるとさして覚えていないことがあることに気づく。それはそうと、神社の造形しリーズは区切りがいいので少し休むことにして、今年の夏以降撮りためた写真を使っての投稿をしばらく続ける。今日はその最初で、9月10日に家内と出かけた倉敷の美観地区だ。岡山でフルーツ・パフェを食べるのが目的で、安物ではあったがとりあえずそれを食べたので、当分岡山には行かないだろう。倉敷の美観地区もきれいなのはきれいだが、絵はがきのような町で、筆者はその裏通りを歩いて時の記憶の方が鮮明だ。そこは普通の人たちが住むところで、観光客は踏み込まない。そういう場所がいい。そうそう。先日わが家からムーギョに行く際、わが家から200メートルほどの小川沿いの道でレンタ・サイクルに乗った西洋人の3人連れに出会った。松尾方面からやって来たのだが、バス通りから1本東の地元住民しか歩かないような狭い道に入り込み、北進すれば阪急嵐山駅前に出られることをおそらくスマホで調べた地図で知っているはずなのに、目の前の道が急に狭まり、車が通れないような路地になったことに慌てたのだ。ちょうどそこに筆者が通りがかった。それでひとりは駅はどこかを訊いて来たので、このまま真っ直ぐに行くように言った。そういった外国人観光客を最近はよくその道で見かける。苔寺は予約が必要であるから鈴虫寺に行くのかもしれないが、その寺も日本語がわからなければ住職の話は理解出来ず、楽しめない。それでも自転車に乗って知らないところを走ることは絵はがきのような嵐山を眺めるよりかえっていいかもしれない。観光地に隣接して日本の普通の生活がある。それをわずかに垣間見るだけでも観光地の見所と合わせると日本への理解が進む。ま、そう思う筆者なので、どこへ出かけても筆者は割合裏通りに入る。
今日は4枚の写真を載せるが、これらは全く同じ場所に立って体の向きだけ90度ずつ変えて撮ったものだ。それと同じことは筆者は10数年前のフィレンツェでやったことがある。午前中にホテルから歩いて地元の人たちが利用するスーパーを訪れた。その帰り、とある四辻に立って、その4方向を眺めた写真を撮った。当時はグーグルのストリート・ヴューはなかったが、今ならそれと同じ場所を簡単にパソコンで見ることが出来る。そのフィレンツェでの撮影を思いだしながら今日の4枚を撮ったが、それは狭い商店街をJR倉敷駅からずっと歩きながら、突如広い四辻に出たからだ。そして今日の最初の写真が前方だが、そこはまるで明治か大正時代の雰囲気で、電線が見えないことに感心した。地図で調べると、左手の大きな建物は倉敷市役所の社会教育施設倉敷公民館となっている。右手は中国銀行で、今も使われている。車は当然走るが、ほとんど見かけない。これが京都なら市バスからダンプ・カーまで走りまくって美観どころではない。町並みで観光客を呼ぶにはこの倉敷の美観地区ほどの手入れや、また車の流れ、さらには店舗の規制をしなければならないが、京都では無理だ。そして、京都のその雑然とした雰囲気に慣れてしまうと、倉敷のこの静けさが人工的なわざとらしいものに思えるから不思議だ。と書けば、筆者はいったいどちらを贔屓にするのかと言われるが、絵はがきのようでいて、生活が機能している倉敷の美観地区はなくてはならないものであるし、人口が圧倒的に多く、観光地と生活地域がモザイクのように隣り合っている京都市内もどうにか新旧の折り合いをつけながらやって来ているということで、まあどっちもどっちだ。そして、先に書いたように、普通の人の生活区域を歩くことが好きな筆者は、倉敷の美観地区は肩が凝りそうだ。そこはいつまでいても観光客でしかあり得ない思いを感じさせられるだろう。それがいやなので、一歩裏手に踏み込むことを好む。その点、京都ではわざわざそういうことをしなくても、一般人の生活区域と寺社や観光地が対等で並び合っている。つまり、倉敷の美観地区のように囲われた特別の区域というものがない。
2枚目の写真は右を向いた。駅前から美観地区へと続く商店街は南東に向かう。そのため、最初の写真は前方すなわち南東方面で、2枚目は南西だ。細い道の向こうに大原美術館が見える。筆者がこの辻に立って4方向を撮影したのは、そこに立つのが初めてであったからだが、今回で美観地区の全部を歩いたかと言えばそうではない。2,3年前か、TVでこの美観地区の特集があって、その時の映像に驚いた。半分は知らない道であったからだ。今回そこを歩くつもりもあったが、どこかわからない。それにパフェを食べた後は神社の撮影がまず先であった。3枚目の写真は歩いて来た方向だ。遠くに電柱があるが、その向こうはアーケードの商店街で、美観地区には含まれない。右端に写る男女は4枚目の左端に写っている。彼らが筆者の立ち位置まで来る間に、筆者は90度右を向いて4枚目を撮った。奥にトンネルが見えるが、地図によればさほど長くない。突き抜けると小学校に出る。山は阿智神社で、写真の右端よりまだ右手に本殿がある。この写真のトンネルの際に階段があるようで、それを上れば神社まで近道かもしれない。筆者らは3枚目の写真の奥の登り口を右に進んで、その後4枚目の写真の稜線を右手に進んだ。美観地区は道路が碁盤目状ではなく、四辻は珍しい。また今日の写真の四辻は、4枚目の写真からわかるように、道路がかなり広く、それも美観地区ではそこだけだ。社会教育施設倉敷公民館を建てる際に道路の幅を広げたのだろう。ということは、倉敷も少しずつ昔とは変わって来ていることになる。消防や防災の面からそれは仕方のないことだ。