名画、名園を楽しむには最もよい季節で、何度も京都を訪れたことのある人でもまた足を運ばせようという考えなのかどうか、今年も非公開文化財特別公開があった。

最近学生時代の恩師から春のそれを目当てにいくつかの寺院を回ったとのお電話があった。恥ずかしいことに筆者は春秋と、それが毎年開催されていることをよく知っているにもかかわらず、ぜひとも見たいという場所がなく、まともにそれらの公開に触れたことがない。だが、今回は違った。今月上旬、NHKのTVで京都のニュースを紹介する番組を見ていたところ、30日から信行寺で若冲の天井絵が初公開されると知った。すぐにカレンダーに印を入れた。そして今日家内と訪れた。信行寺の前は岡崎に行く時は必ずと言ってよいほど通りがかる。そのたびに塀越しに見える本堂に天井画があることを思った。石峰寺の若冲忌で知り合ったMさんによれば、檀家であれば自由に見られるとのことだが、それは当然だろう。それにしても、天井絵までおそらく20メートルかそこらの近さをよく歩くというのに、それが一般公開されないことは、いったいどういう理由からかと、ここ10年は訝って来た。それが若冲生誕300年もあってか、今秋ようやく公開の運びとなった。案の定大勢の人で、あまりの人に境内や本堂が汚されても困るとの理由でこれまで非公開であったのならば、今回の公開は矛盾を感じる。いつ訪れても見られる状態であれば、今回のように100人以上を20分ごとに交代して見せずに済む。それに天井絵であり、手が触れられず、息を吹きかけられることもない。それでも今回の大人気によって、信行寺は割合見られやすくするための何らかの方策を考えるのではないか。何より収入も魅力だろう。この非公開文化財特別公開は昔は一か所500円であったが、今日の最初の写真の立て看板からわかるように800円だ。1000人で80万で、今日は天気がよく、たぶん2000か3000人は訪れたであろう。もっとかもしれない。これは寺にとっても大きな収入になるし、また何より宣伝になる。若冲ファンは必見で、庭で列をなして待っている間、そばの人たちの話を聞いていると、関東から来ていることがわかり、この寺だけが目的ではないにしても、今回の非公開文化財特別公開の目玉であることが想像出来た。

境内はもちろん、本堂や天井絵も撮影禁止で、筆者は入る前に最初の写真を撮り、境内を出た後、仁王門通り沿いの柵の隙間から2枚目を撮った。正面が本堂で、その内部の手前つまり外陣全体に天井絵がある。本堂は北向きで、天井絵は南端となるが、筆者らが見た時は西日が強く、天井絵の西端辺りがたまに光が当たってよく見えた。とはいえ、視力がよくない人は何をどう描いているかは漠然とわかるだけで、昔発売された画集で見た方がよくわかる。落款ある1枚は北東端で、そこは手前の庭から最も遠く、また西日からもそうなので、ほとんど真っ暗でよくわからなかった。住持は眼鏡をかけた50歳くらいの人で、向日葵や牡丹、仙人掌など、目立つ花がどこにあるかをぴょんぴょんと座る群衆をかき分けながら進み、天井を指してくれた。それをみんなが追いながらほほーうと声を上げる。また説明は美学を学んでいる学生アルバイトだろう。眼鏡をかけた女性がテープレコーダーのように淀みなく話していたが、取り立てて耳新しいことはなかった。筆者が見たかったのは、天井絵のその円内の絵よりも、その外側の紺色の地塗りだ。それが画集ではかなり黒く見え、隅と藍を混ぜているのか、それとも高価な顔料かという疑問があった。西日で幸いはっきりと照らされる瞬間が何度もあって、生々しくその地塗りが見えたが、絵によってその紺色の濃度がかなり違っていることがわかった。黒に近いものから、ほとんど紺色というものまでさまざまで、しかも紺色はほんのり緑がかっている。きらめきがないので岩絵具ではないだろう。というのは、その地塗りの面積はかなり広く、円内の面積とさして変わらない。それが全部の絵にあるわけで、その莫大と言ってよい面積を最も高価と言ってよい岩絵具で塗り潰すのは、まず経済的にあり得ないし、大量の確保も不可能であったと思う。また、若冲は岩絵具の青をごくわずかにしか使っておらず、そのことからしてもこの天井絵の円の外側はもっと安価な絵具に頼ったはずだ。それを調べるには本当は数枚程度を天井から外して確認しなければならないが、それは大金を寄付する檀家でも無理ではないか。ともかく、長年実物を見たかったその黒に近い紺色の最も淡い目の色を目にしっかり焼きつけることが出来た。一色の絵具ではなく、墨を混ぜて暗くしているのは間違いないと考える。そしてそれを若冲が行なったかどうかだが、筆者はそうではなく、この天井絵が市場に売りに出された時、見つけて買った信行寺の檀家が修復時に円の外側を誰かに塗らせたと推定する。つまり、それほどに傷んでいたが、絵には手を加えることは許されないからそのままとし、せめてその外側だけでもすっきろとさせようとし、また傷その他を隠すために黒に近い紺とした。