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●神社の造形―安井金刀比羅宮の参道
るという言葉を使うことはもうめったにない。先日TVで50代の男性が「天皇陛下が声をかけてくれた」と言っているのを見て驚いた。



●神社の造形―安井金刀比羅宮の参道_d0053294_20232489.jpg会社の上司でもないのであるから、尊敬語も敬語も使う必要はないという考えか言えば、もともとそういう言葉を普段から使うことがないのだろう。人間に対してそうなれば、物に対してはもっとだ。そして自分がよければそれでよいという考えや行動につながって行くが、そういう常識の欠如はどこに原因があるだろう。それを教える家庭や学校が崩壊して来ているからとも言えるが、その原因はあるだろう。そしてそのように次々と原因を探って行くと、どこかで堂々巡りになって、原因が関係し合っていることに気づくのではないか。親や学校が悪いと糾弾しても、悪いことが反面教師になることも往々にしてあるので、よい環境からよい人格やよい行為が生まれて来ると安直に考えない方がよい。それはさておき、今日は9月14日に訪れた安井金刀比羅宮の写真を載せる。この神社の前の東大路通りをバスで通りながら気になっていたのに、境内を訪れたことがなかった。9月14日はMIHO MUSEUMの内覧会があった。京都駅前に戻って来た時、まだ陽が沈むには多少時間もあったので、長年気になっていたこの神社を訪れることにした。京都ブームは昔から変わらないが、近年外国人観光客の急増のために、市内の有名な場所はどこも外国語が飛び交っている。安井金刀比羅宮もそうだ。最近TVで芸能人が訪れているのを見たし、またこの神社は縁切りで有名で、そのための大きな碑の全面に御札が貼られている様子は本殿よりも知られている。縁切りは人間だけではなく、自分の悪弊を断ちたい時にも御利益があるとされるが、縁切りだけでは参拝者は少ないから、その逆の縁結びにもその碑をくぐるとよいと宣伝され、今はそっちが目的で訪れる若い女性がほとんどであろう。筆者らが訪れた時は中国や韓国の女性が丸い穴をくぐりながらはしゃいでいて、そのように何か体験が出来るということで外国のガイドブックに紹介されているのだろう。最低100円を箱に入れて御札を1枚手に取り、そこに願い事を書いて穴くぐりを往復するが、地面にひれ伏しながら穴をくぐる行為は、神様に願う際のへりくだりとしてはうまく考えられている。その碑は今日の2枚目の左手に写っている。これのみを拡大して撮ったが、それを使うかどうか、またこの神社についての投稿を今日だけにするのか明日もすべきかと、今も決めかねている。今日の3枚は最初に撮ったもので、撮った全部の中から選んでいないことは、明日もこの神社について書こうと思う気持ちが大きいからかもしれない。話は前後するが、筆者にとってこの神社の存在はバスの中から見る東大路通りに面した石の鳥居であるのに、それを撮らなかった。真正面から撮るには通りの向こう側に行かねばならないからで、帰りに撮ろうと思いながらそうしなかった。それで鳥居をくぐって石畳を西に進むと、最初の写真のように、ビルの壁が北に沿い、またラヴ・ホテルがあってびっくりした。カップルが訪れることが少なくないから、それなりに繁盛しているのだろう。参道から見えるその看板は全く目障りかと言えば、この清水界隈はラヴ・ホテルが目立ち、そういうものだと思って見るので違和感がさほどなく、それもこの神社の特色と思えばいい。今日の2枚目の撮影位置の反対を向くと3枚目と思ってよい。鳥居は三つあって、境内の北、東、南に面している。
●神社の造形―安井金刀比羅宮の参道_d0053294_20234468.jpg

 安井という地名は太秦にある。この神社の名前が以前から何に由来するのか不思議であったが、さきほどホームページを見ると、太秦の安井にあった寺が応仁の乱で荒廃し、現在の地に移したことが始まりと言う。太秦安井は民家が密集した下町地域だ。それが応仁の乱の頃はどうであったのかと想像すると、今とあまり変わらなかったのではないか。土地の空気は建物が全部新しくなってもそう変わるものではない。それで、太秦安井の現在の雰囲気とこの安井金刀比羅宮の周辺の雰囲気はどこか似たところがあるように感じる。とはいえ、筆者はこの神社の西端の鳥居の向こうには出ずに、今日の3枚目の写真に見える境内の南端の鳥居から出てまた東大路通りに戻ったので、神社周辺の街並みはよく知らない。この境内は旗地と言えばよいか、東大路通りの、つまり東の鳥居から入ると、参道の突き当りを右すなわち北に折れて左手に本堂がある。3枚目の写真からわかるように、参道の南側は樹木で一般道と隔てられていて、半分は神社らしい風情で、もう半分はラヴ・ホテルが沿う世俗だ。太秦安井にラヴ・ホテルはないと思うが、悪縁を断ち切るというのは、そういう縁に悩む女性がたくさん訪れた歴史があるからだろうが付近に茶屋に務める女性が多かったからではないか。その茶屋のひとつが商売替えでラヴ・ホテルを経営するようになった気がする。先の話の続きを書けば、太秦安井にあった寺がなぜこの神社に鳴ったかと言えば、ホームページにはその寺の鎮守として、崇徳天皇、讃岐の金刀比羅宮の大物主神、そして源頼政公を祀ったとある。崇徳天皇は讃岐に流され、その亡霊は上田秋成の『雨月物語』の最初「白峯」に出て来る。出て来るなどと書くと、バチが当たりそうだが、亡霊であっても尊敬語が必要だろうか。明治維新の後、寺を廃して「安井神社」とし、その後「安井金比羅宮」と改めたのは、崇徳天皇との関わりを思い起こすにはよい。また金刀比羅と言えば海の仕事に従事する人たちの信仰を集めるが、海から遠い京都市内ではそういう人はほとんど訪れないだろう。それで悪縁を断って良縁を結ぶということに舵を取って来たのかもしれない。ま、今日は本殿に至るまでの参道ということにして、もう1回か2回投稿する。
●神社の造形―安井金刀比羅宮の参道_d0053294_20235719.jpg

by uuuzen | 2015-10-10 23:59 | ●神社の造形
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