樫か椎か知らないが、どんぐりが阿智神社にたくさん落ちていた。大人の親指の第1関節ほどもある大きなもので、それをいくつか拾ったのにその場に捨てたことは先日書いた。

だが、本殿の時計回りに一巡した後、また元の道を戻って商店街に向かう際、そのどんぐりの場所を通り、また拾った。2個だけポケットに入れ、今それを触ってみた。中の実が感想して縮まったようで、振るとがたがたと響く。これを植えれば樫か椎が育つだろうが、巨木に育てる場所が今は神社くらいしかない。それはいいとして、今日は阿智神社の最後で、残りの写真を使う。最初は城山稲荷の東隣りの菅原神社で、これを撮ったのは奥に張り子の赤い達磨が並んでいるのが見えたからだ。同じものは吉備津神社の一童社にもあった。大阪や京都の天神社では見かけない風習と思うが、受験を目指して片方に目を入れ、受かればもう片方に入れたものをここに持って来るのだろう。手前の両脇には絵馬もたくさん架けてある。絵馬堂もあるが、ここは受験者専用だろう。石の鳥居の上にはまた小石がたくさん並べられているが、足元を見るとそのような色合いの石がないところ、わざわざ持参するのだろう。あまり大きな鳥居でないので、載せるのは難しくなさそうだ。達磨のあるところが暗がりで、それほど祠の前が狭く、鳥居から奥へと進むのが何となく憚られる。筆者はこの写真を撮っただけで、中まで入らなかった。祠の前まで行って賽銭を入れるのは厳かな気分になるだろう。写真のようにその前をトンネル状に囲っているからだが、それは祠が小さいために可能だ。鳥居のすぐ奥に燈籠と狛犬が並び、しかもそれらが祠前の通路ギリギリに迫っていることも、トンネル状の効果を高めている。おまけに、鳥居からぶら下がる横綱も頭に触れそうなほど低く、小さな社ながら雰囲気が他の社と異なる。つまり、訪れた人は間違いにくい。学問の神様を祀るこの神社がこういうように閉じた雰囲気であるのは地元の学生によく知られているのではないか。よく見ると達磨は上段から順に大きなものを置き、また左右対称を守っている。それだけ祠のすぐ前まで行くと厳かな雰囲気なのだろう。この達磨は神社の人たちがそのように置いているのかもしれないが、それにしても行き届いた思いが見える。筆者が鳥居の中央に立ち、また拡大して1枚だけ撮ったのは、そういう思いが伝わったからだ。2枚目は倉敷護国神社で、これは時計でいえば3時の方向、東にある。菅原神社とは鳥居と祠はおそらくほとんど同じだが、その周囲が全く違って、前者が陰ならこっちは陽になっている。陰陽の思想が阿智神社では随所に見られるそうで、それを意識しているかもしれない。同神社のホームページを見ると、本殿の東側にも石組が点在している。磐座や磐境と呼ばれるが、陰陽を構成しているという。本殿西側には鶴亀の石組があって、それと左右対称になるような位置にあって、本殿はこれらの石組に囲まれている。そのために末社がみな小さ目になっているのかもしれない。つまり、不要なものは廃し、合理的にどれもが並んでいるということなのだろう。倉敷護国神社は戦争で亡くなった人たちを祀るはずだが、平面図を見るとこの神社は東の端にあって、少し外れたような位置で、一番新しいかもしれない。

今日の3枚目はどんぐりを拾った付近で見かけた小さな石の祠で、八意思兼神を祀る。阿智町の旧阿智潟神社御祭神と立て看板の説明が読めるが、阿智潟神社にあったものを持って来たということか。真新しい石のようでそのようには見えないが、「潟」とつくからには昔はその土地に神社があったことになりそうだ。あるいは鶴形山の周囲は古代は潟であったから、今この祠が置かれている付近は潟に近かったとも考えられる。野の石仏のような風情があって、小さいが目立った。阿智神社には三〇柱の神を祀るというが、この八意思兼神のような小さな祠がほかにもあるのだろうか。ヤフーで印刷した倉敷駅前の地図には、ほかにも回りたかった神社がいくつか記されているが、美観地区の南端の交差点を東に200メートルほど行くと城山稲荷神社がある。これは訪れていない。阿智神社境内にある同神社の元になるものだろが、鶴形山の麓にあるのに、また山頂に末社を設ける必要があったのだろうか。この城山稲荷から南200メートル以内に久保田神社や生目八幡宮がって、それらも見ればよかったが、空も気になり、また神社の写真を撮るためとは家内に言いづらく、阿智神社で精いっぱいであった。