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●『村上善男展』
逸翁美術館を観た後すぐに池田駅に戻り、梅田に出て今度は尼崎市総合文化センターに行った。着いたのはちょうど4時で、もううす暗かった。



●『村上善男展』_d0053294_2358450.jpg閉館の5時まで1時間しか残っていない。そう思って小走りで行くと、駅前の高層マンションをつなぐ青空の幅広い回廊の一角で、路上生活者のために夕食をサービスしているボランティアが2、3人いた。大きなカップ・ラーメンをひとり1個ずつ無料で提供しているのだ。すでにあちこち座って食べている老いた人々が目立ったが、筆者の前方から同じように小走りでそのラーメン求めてやって来る浮浪者が何人かいた。尼崎の駅前はきれいになってはいるが、以前からいたに違いないこうした人々は、普段はどこで寝起きしているのだろう。そんな人々にたまにしろ一杯のラーメンを提供するのは見上げたことだ。ホームレスが100人いてもせいぜい1万円ほどだが、同じ1万円でもちょっとした割烹料亭に行けばひとり分にもならない。寒い夕暮れ時に外で温かいラーメンをすするのはきっとおいしいことだろうし、こっちもかなり空腹を感じていたので、「ぼくにもください」とテーブルの前に行こうかと冗談で思ったが、そんなことをすれば展覧会が終了してしまう。これも忘れないうちに書いておこう。尼崎は夏の『井上青龍展』以来だが、同展を観た後、阪神尼崎駅の高架下の商店やスーパーの集まった場所をざっと見物した。その時、果実酒やその元になる果実、それに健康食品などの雑貨を売っている店があった。初老の頭の禿げた眼鏡の主がいて、店は雑然としていて、あちこち何だか埃も積もっているような雰囲気のあるところだが、よく見ると大きなビニール袋いっぱいに殻つきの胡桃が売られていた。月末にいつも作っている切り絵のネタに殻つきの胡桃を探していたので、買いたかったが、大きな袋全部ぱ必要ない。それで断念した。だが、その後あちこちで探しているのに見かけない。それで量は多くてもやっぱり尼崎で買おうと思い直し、この展覧会を観るついでにその店に立ち寄ることにした。5時きっかりまで展覧会を観た後、また回廊を歩いて駅前に戻ると、すでに真っ暗で無料ラーメン提供も終わっていた。高架下の記憶にある商店に早速行くと、どこをし探しても見当たらない。まるで狐につままれた気分だ。きっと店をたたみ、代わりに別の店が入ったのだ。あの埃をかぶったような雰囲気では経営は難しかったのだろう。あるいは、主人の体調が思わしくなくてって商売が続けられなくなったかだ。結局、また殻つきの胡桃は幻となった。迷った時は必ず買い求めておくべきであることは痛いほどわかっているのに、いつもミスってしまう。
 さて、村上善男だ。その作品を初めて見た時のことははっきりと記憶している。大阪のINAXギャラリーがオープンした1984年からしばらくした時、タイルのさまざまな展覧会のほかに日本の現代美術家の個展もぽつぽつと開催され始めた。以前『肥田せんせいのなにわ学』でも書いたように、80年代にはよく大阪の友だちと定期的に会って、レコードを貸し合いし、そのついでに画廊をはしごしたものだった。INAXギャラリーが発行している展覧会ブックレットは今ではもうかなりの数になるが、ずっと正方形であるのがよい。このブックレットと同じサイズで現代美術家の6ページのパンフレットが作られ、個展の際に無料で配られていた。「INAX ART NEWS」と題するもので、今調べると、85年11月の1号から90年10月の18号まである。1号は粟津潔、2号は桂ゆき、3号が村上善男だ。筆者が所有している18冊が全部とは思わないが、同ギャラリーはおそらく90年代初頭にこの現代美術家の個展を開催しなくなったのではないだろうか。あまりにも人気がなく、もっと面白い内容の展覧会をという要望もあったかもしれない。実際、今こうして20年ほど経ってもよく記憶しているのは、桂ゆきや村上、そしてタイガー立石や一部では有名な秋山祐徳太子程度で、後はほとんど名前を見ても作品がわからない。だが、東京のINAXギャラリーではまだこの現代美術家シリーズは続いているようで、それが大阪では根づかなかったのは、いかにも大阪の文化度を示すようで残念だ。5年も続いて反応が乏しければもう勝負は決まったようなものだが、大阪ではなかなか現代美術の個展を街中の便利な場所見る機会がないので、INAXにはもっと長い目で見てほしかった気もする。また復活してもいいわけで、一考をお願いしたい思いだ。さて、同ギャラリーでの村上展は86年5月に3週間展示された。あまり大きなスペースではないが、畳2枚分程度の大作がずらりと並んでいた。初めて見るその絵はあまりにも特異あった。襖の下張りに使用するような江戸時代の古い書類を全面にびっしりと貼り詰め、そのうえに星座のように点や直線を引いたもので、絵という感じはしなかった。核になるものがほとんどなく、全体のムードを楽しむというようなところがある。だが、絵はこういう形でもあり得るのだという新鮮な驚きもあった。赤や褐色がかった赤の区画がわずかにあちこちに描かれ、それが和紙に墨書きされた古文書の和紙の色の面とよく調和していた。すぐに思ったことは、古文書の裏表が透けていて、どんな接着剤で貼りつけているかという点だった。何だかローを全体に引いたような、つるりとした透明感があり、特殊な何かでコーティングしているようだ。アクリル絵具の透明なものを塗れば接着もするし、乾燥後に同じようなこってりつやつや画面の照りは得られるだろう。和紙をただ糊で貼りつけただけならば、こうはならないから、何だかモノそのものを絵の中に閉じ込めようとしている意識が強く感じられた。絵ではあっても、平面と言うよりどこか立体的な印象を持った。そして、それからちょうど20年経った。
 現代美術に興味のない人はまず訪れない展覧会だろう。「-北に澄む」という副題にあるように、村上は東北の人だ。大阪から東北は遠い。筆者もまだ茨城以北には一度も行ったことがなく、東北は完全に別の国という思いがある。大体の大阪人はそう思っているのではないだろうか。東北の人は東京にはよく働きに出ても関西に来ることは少ないと思う。そして、九州や四国の人も大阪止まりで、東京にまでは出ないと思いきや、案外大阪などは素通りしてやはり東京へという若者は少なくない。ま、それはどうでもよいが、大阪で東北の画家、しかも難解な現代美術であれば、展覧会を開いてもどんな状況になるかは最初からほとんどわかっている。逸翁美術館ではちらほら入場者が目立ったが、日曜日であるにもかかわらず、会場となった総合文化センターの4、5階は他の客はひとりという状態であった。もっと早い時間帯に訪れた人が多いとも考えられるが、あまりにもがらんとした空気は、何だか観ていても申し訳なく、係員たちのおばさん数人の賃金が捻出出来るのかどうか心配にもなった。井上青龍展と同様に、5階のみと思ってゆっくり観ていたが、4階にも作品があることがわかって慌てて階段を降りた。そのため、4階の展示は大急ぎで済まし、ほとんど時間切れの状態で会場を後にした。4階出口横の売店を覗くと、図録がたくさん積んであった。1500円と安い。それで買った。だが、安いだけではなく、よく観ることの出来なかった4階の展示に関する資料が充実していたのが理由だ。4階の展示は村上の作品ではなく、村上にまつわる他の画家たちの展示で、村上の背景や経歴を知るうえでは欠かせないものとなっていた。また4階にはNHKでTV放送された画家訪問の番組のビデオが上映されていたが、時間がなくてほとんどまともに観なかった。村上はいい声としっかりした口調で話し、また多弁であることだけはわかったが、4階の展示にあった村上の文章はそれを納得させた。村上は分析家、理論家であるというが、それは絵を観れば納得出来る。他に類例のない異質な画面を長年構成し続けるからには、よほど内部にしっかりとした思いやその成長し行く道筋がなくてはならないだろう。また自分の仕事を客観視するためには、他人の作品を分析することも時には必要で、特に東北の画家に関しては仲間意識もあるのか、よく文章を書いている。この東北にこだわる姿は1985年の大阪INAXギャラリーでの個展で中原祐介が書いた文書からもわかるが、筆者も村上即東北という印象でずっと来た。中原の文章によれば、村上は生まれた盛岡から仙台に行って14年半過ごし、82年からは弘前に移ったとある。そして、買って来た図録によれば、2004年にまた盛岡に戻って生活している。東北の芸術家はすぐに棟方志功を思い浮かべるが、そう言えば4階で作品が少々展示されていた萬鉄五郎や、生まれは東京だが盛岡育ちの松本竣介、それに青森の阿部合成、大阪生まれで青森育ちの工藤哲巳といった才能もあって、改めて東北における前衛の血脈を知った。村上の作品だけでは人集めは困難かも知れないという展覧会企画者の思いがあったのかもしれないが、今回はそれら東北にまつわる画家たちの作品、それに何と言っても村上にとっては圧倒的な存在であった岡本太郎との関わりが大きくクローズアップされていて、それだけでも別の展覧会が企画し得たほどだと言ってよい充実ぶりであった。
 今回の展覧会は4つのセクションに分けられていて、その1は村上展、2は5階の奥の部屋での「二科会と岡本太郎」、3は4階の「日本再発見-岡本太郎と岩手」、4は同じく4階の「東北のアヴァンギャルド考」だ。『二科黄金の時代展』で書いたように、大阪高島屋の同展の会場の最後は岡本太郎の作品がかけてあった。二科の歴史に詳しくないのでその時は知らなかったが、二科には戦前から九室と呼ばれる前衛の象徴である展示室があった。村上が二科に初入選したのは1953年で、2年後に早くも岡本太郎と出会いがある。1955年の二科の第40回展は、戦後から二科を引っ張って来た東郷青児の独裁体制に対して有力幹部たちが批判を表明して脱退し、運営の再編が行なわれた結果、岡本は新たな試みを行なうことにした。九室を自分の目にかなった画家の作品を並べることにし、マスコミからは太郎部屋とその時は呼ばれたりしたが、岡本は村上の作品も選んだのだ。この九室は批判を浴び、太郎部屋は1年で消えたが、今回はセンクショ2がその再現が行なわれた。全作品ではないが、作品の力によってその区画はまるで別世界の空気が濃厚に流れていた。岡本のどう表現していいかわからない途轍もない形と色の作品は、今観るとかなり古臭い感じがあるのに、どこか時代を越えている大きさは確かにある。センション3は、雑誌「芸術新潮」の連載「芸術風土記」において、岡本が日本の各地を訪れて写真と文章を寄せるシリーズ企画のひとつとして、村上の提案によって岡本が岩手行きを決めたことの紹介だ。この岡本のカメラマンとして、あるいはそれを通じての芸術再発見は近年ますますよく知られているし、それこそ岡本の天才ぶりを改めて認識することの理由のひとつにもなっているほどだが、村上がよく知る東北の祭りやそのほかの文化を岡本はまた違った受け止め方をして紹介した。そこが村上にとっては新鮮でもあった。センクション4は先ほど少し書いたように、東北に因む画家たちの紹介コーナーだ。萬の作品は「仁丹」「雲のある自画像」「丘のみち」の3点が出ていて、いずれもよく知られるもので意外なところで意外な作品に出会えた喜びがあった。阿部や工藤の作品は何度か観たもので新鮮味はなかった。
 さて、肝心の村上の作品についてだ。INAXギャラリーで並んでいた作品とよく似たものがずらりとあったが、この20年間にどのように作風が変化したかに興味があった。だが、ほとんどこの20年は変化がなかったと言ってよい。古文書を貼りつけて点と点を線で結ぶ星座のような図を画面いっぱいに描き、どこかに赤や茶色を塗るかあるいはそういった色合いのオブジェを貼りつけている。図録を見ると、INAXギャラリーにあった作品はない。それのみか、80年代の作品はただ1点しか展示されていない。これはしかるべきところに所蔵されているためであろう。そこから推察するのは、村上はこの20年は古文書を貼りつけた作品を大量に描き続けていることだ。だが20年もの間、全然変化しなかったのではない。少しずつ微妙に作風には変化があって、その差を見るのは楽しい。古文書を貼りつける仕事は82年から始まっているが、そこに至るまでの村上は作風をかなり変化させて来ている。今回は5つの時期に分けて展示されていた。1、シュルレアリスム期、2、綾取りシリーズ(1953-59年)、3、注射針シリーズと計測シリーズ(1960-68)、4、気象シリーズと貨車シリーズ(1968-81)、5、釘打ちシリーズ(1982-)だ。釘打ちシリーズは、古文書を貼った画面に釘を打ったように銀色の直径8ミリ程度の丸を描く点に着目した呼び方だが、小さい頃に地面に釘を投げて突き指し、そこから斜線を引いて陣取り遊びをしたことの思いが、このシリーズの発想の根底にはあるようだ。注射針シリーズは注射針をそのまま大量に画面に貼りつけたもので、一体どこからこれほどの使用済の針を調達したのかと思わせられるほど大量であった。その注射針も釘とはイメージが共通しているが、それを言えば村上の仕事は最初の作品からずっとほとんど同じ赤と黒を基調にしており、時代に応じてそれなりに作風に変化はあるが、作家内部の核は驚くほど一貫し続けていることかわかる。それが確認出来ただけでも、ざっとではあるが今回訪れた意義は充分にあった。20年前に観て以来、ようやく村上の全貌が明らかになったわけだが、赤と黒の対立で象徴される村上のその変わらぬ核というものこそ、東北人の内部にある熱情の反映かも知れない。そしてその赤はうすっぺらな赤ではなく、こういう言い方は古いかもしれないが、どの作品の赤も少しずつ色合いが違っていながら、どれも日本ならではの赤で、そこには赤から連想されるすべてのものがある気がする。蛇足で言うならば、村上の絵は和にも洋にも似合うセンスを持っている。そうそう、1965年の「作品’65-X」は、1965年制作で、そこにはビートルズのオデオン盤の「カンサスシティ」が貼りつけられていた。村上は日本に紹介されて間もないビートルズを聴いていたのだろう。
by uuuzen | 2005-11-20 23:52 | ●展覧会SOON評SO ON
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