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●神社の造形―倉敷の阿智神社の拝殿と絵馬殿
亥(北北西)の方向かどうかわからないが、阿智神社の長い石段を上ると真正面に拝殿があり、自然と足は左手に向かう。すると本殿の左手が目の前に広がるのでそこに踏み込んで行くようになる。



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その目の前に広がる場所の写真は明日載せるが、そこを抜けて本殿の周囲を時計回りに進むと、また拝殿前の広場に出て来る。本殿に向かって右手は左手よりかなり狭いように感じたが、阿智神社のホームページを見ると、逆に本殿の右手の方が広い。これは不思議だが、左手は崖が近く、また眼下に街が広がって見えるので、狭いところでも広く感じるのだろう。それはともかく、本殿の左手が西で、戌亥の方角はその左手先になるが、その方角は「生成発展、豊穣と深く関わる信仰の場」となっているそうだ。そのために筆者も自然とそこに惹かれて踏み入り、そこを抜けて本殿の周囲を時計回りに歩いたのかもしれない。この何気ない雰囲気は大事だ。理屈ではなく、感じるということは信仰の根本だろう。そういう何気なく何かを感じる霊的な場所が大昔からあって、そういうところに社が造られて来た。それはともかく、阿智神社は渡来人が種々の技術を携えてこの地に住んだことを明治時代に称えて現在の社名になった。明治までは「妙見宮」と称されて来たが、渡来人の阿知一族を称えるようになったのは、政府が日韓併合を目論んだことと関係があるだろう。それにしても「妙見宮」に戻さずに、阿智神社のままにしているのは、日韓の関係を思うならばいいことだろう。渡来人は京都に多く住んだが、瀬戸内海の各地にも住みついたようだ。阿知一族と名前がわかっているのはまだ新しい渡来人で、日本に国の意識がなかった紀元前に断続的に来ているはずだ。そのほかに南方からわたって来た人たちもたくさんいて、混血を繰り返して今に至っていると考えられる。大きな島の集まりであるから、あちこちの海辺から、現在で言うボート・ピープルのような人も舟でやって来放題であった。さて、今日の最初の写真は拝殿の正面だ。奥の左右に、向こうにある本殿の瓦屋根が少し覗いている。一昨日の三枚目の写真は拝殿の前に至る前に上る長い石段が写る。それは厄除段と呼ばれ、三十三段あって、意味があるらしい。拝殿は間口が大きく、本殿を見るには拝殿の横を通って奥へと進むが、本当はそのようにして本殿を見るものではないのかもしれない。本殿の横や裏手に小さな社が並ぶので、そこにお詣りをするには本殿に尻を向ける必要があって、拝殿が本殿を隠すように建つ意味もあまりないように思えるが、本殿の周りにある社を主に見る場合は本殿の存在をひとまず無視し、本殿を拝む時は、その前に建つ拝殿においてという、二重の仕組みがある。これは日本の神様の一種のご都合主義で、本音と建て前と言い代えてもいい。ひとつの大きな神社の中にサブ的に社をたくさん抱える場合は仕方のないことだ。また多くの神をひとつの境内に祀ることは、いかにも日本が海のかなたの各地からやって来た人々で造られて来たことに関係しているように思える。これは考え方によっては「みんな仲よく」で、日本があまり排他的になることはまずいのではないか。とはいえ、国の概念が強固になって来ると、つまり国境が明確に引かれると、内は外を敵とみなして容易に受け入れない。
●神社の造形―倉敷の阿智神社の拝殿と絵馬殿_d0053294_216420.jpg

 一昨日の最初の写真の左上には建物が写っているが、これは今日の3枚目の絵馬殿で、崖に建って清水寺の舞台を思い出させる。写真からわかるように休憩所に最適で、街が一望出来る。倉敷の中心地にこのような場所があるとは全く意外であった。寒い日は凍えるが、風の心地よい季節はのんびりするのによい。写真に写るように、カップルが語らっていて、筆者は中に入って天井に珍しいものがあったのでそれだけを撮ってすぐに外に出た。その珍しいものはいつか載せる機会があると思う。絵馬殿ではあっても絵馬は建物の外に架けられ、またさほど多くない。「絵馬殿」と白く書く扁額は少し小さ目で、その両側におそらく絵馬殿の改修か何かに使う費用を寄付した人たちの名札がずらりと並ぶ。それは絵馬より多い。そのようにみんなで協力してこの絵馬殿を保存しているとすれば、倉敷の誇りということで、好ましく、また微笑ましい。名札の列の下に横向きに「正会員」と記した札もあって、一定の金額を出す会員たちが神社を守っているのだろう。それは地元住民だけとは限らず、他府県に住んでいてもこの神社を忘れない人も含むだろう。出入り口の柱に「警察官立寄所」の札がかかっているが、それだけ多くの人が訪れ、また木造なので、火事になれば大変との思いだ。京都市内にはこういう高台は船岡山くらいしか思い浮かばないが、近くに住む人にとってはそういう山の存在は自然があっていい。山が見えない街もあるが、そういうところに住めば霊的なものを感じる能力が減退して行くのではないか。霊で飯は食べられないが、聖なるものを感じられないのはさびしい。聖なるものを日々思うから自分の聖なる存在に近づくかと言えば、それは個人によりけりだ。筆者はあちこちの神社を見ることで聖なるものに接近したがっているのではなく、聖なる存在がどういう形をとって表わされているかに関心があるだけと言ってよい。小さな山だが、そのてっぺんに神社があると、ひとは多少はしんどい思いをして社に至る。それはよりありがたみを感じさせるにはよい方法で、また人は高いところから下界を見るのが好きであるから、得した気分にもなれる。何より、樹木が多くて自然を感じるのがよい。
●神社の造形―倉敷の阿智神社の拝殿と絵馬殿_d0053294_2162885.jpg

by uuuzen | 2015-10-05 23:59 | ●神社の造形
●嵐山駅前の変化、その379(... >> << ●神社の造形―倉敷の阿智神社の...

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