軸が斜めになっているのは岡山駅も倉敷駅も同じだが、北東から南西へと線路が走っているのは、大きな地図で確認していないが、当然地形の関係だ。

筆者は碁盤目状に道路が縦横に走る京都、そして大阪に慣れているので、街中の幹線鉄道の線路が斜めに走っている街はどうも勘が狂う。岡山駅と倉敷駅の違いは、その大きさはさておいて、駅前の大通りは、岡山は真っ直ぐ東西を走っているのに、倉敷では駅舎と直角に、つまり南東を向いて走っていて、街路も全く碁盤目になっていない。前回倉敷に行った時はどこをどう歩いたのか記憶にないが、その前はバス・ツアーで訪れたように思う。そのため、9月10日に倉敷駅に降り立った時、初めて見る街に思え、また有名な大原美術館がある美観地区への道のりも全く記憶になかった。岡山市と同じようにヤフーで地図を1枚印刷して持参した。駅前はタクシー乗り場があって、真っ直ぐに伸びる元町通りに入るのに、駅を出てすぐに左右どちらかを大きく曲がって進まねばならない。こういう駅前は多い。それどころかどこでもと言ってよい。車本位の社会で、車を利用する人が雨に濡れない玄関前で乗り降り出来る。歩行者はその様子を横目で見ながらうんと遠回りさせられるが、時には地下に潜るか頭上の歩道橋を使う必要がある。それは仕方のないことか。初めて訪れる駅前であれば、必ず右往左往し、50メートルほど進んで音戻りし、そして決めた方向を進むと今度は信号をいくつも待たねばならない。倉敷駅前もそうであった。これが車ならすぐに乗り入れて美観地区まで連れて行ってくれる。何でも金ということだ。そう考えると癪に障るので、えらく遠回りさせられても、それはそれでいい経験と思うことにする。そして倉敷ではそれがあった。駅前から50メートルほど先に信号があり、それをどっちにどうわたっていいか迷った時、目の前にアーケードのある商店街の入り口が見えた。元町通りを直進しても美観地区には行けるが、どうせなら商店街を歩きたい。それでまた信号をわたってその商店街に入ったが、てっきり2,30メートルもないと思っていたのが、美観地区まで続いていた。ただし、その100メートルほど手前でアーケードは途切れた。この商店街は初めて歩いた。それがどうも不思議で、前回やその前に訪れた時は本当にどこをどう歩いたのだろう。そう言えばこれを書く部屋にタイ製の木彫りの象を3個置いているが、それは前々回に買ったと思う。その場所を覚えていないが、美観地区から300メートルほどだったような気がする。だが商店街ではなかった。雑貨屋がぽつんとあって、その店頭に3個が格安で売られていた。小さな象の像はかわいらしい。それで3個とも買った。とてもよく出来たもので、象を知り尽くしている人が彫ったものだ。その店にもう一度行きたいと思いながら、全く場所がわからない。その理由は、倉敷の街路が碁盤目状ではなく、街の軸というものがほとんど出鱈目に崩れているからだ。そして、地図で目立つのは緑色の丘で、そこに阿智神社がある。地図を印刷しながら、倉敷に行くと必ずそこを訪れることに決めた。そしてほかにも鳥居の記号がいくつかあるので、時間があればそれらも回るが、美観地区からは阿智神社だけがせいぜいで、他は少し足を延ばす必要がある。それでも往復800メートルほどで、疲れていなければ問題はない。さて、商店街はさびれてはいないが、人通りは少なかった。全体に上品な店が並び、観光客で潤っているのだろう。新旧の店が入り混じっているのもいい。古くなれば新しくする。それは常識だが、まだまだ大丈夫なのに、すぐに壊して安っぽい見栄えにしてしまうのは困る。かえって昭和時代の貫禄のある方がよい。それはさておき、アーケードを抜けると少し上り坂になり、突然左手に石の鳥居があった。それが阿智神社で、虚を突かれた。すぐに境内に入ろうとしたが、家内は先へと行く。それでとにかく美観地区を訪れ、どこかで休憩してからにしようと決めた。今日の写真は最初がその虚を突かれた直後に撮ったもので、2枚目が帰途に神社に立ち寄り、その最後に撮った。最初の写真の石段を10数段上がったところの踊り場の左が2枚目の戎社で、お爺さんが掃除をしていた。戎なので商売繁盛の神様で、お爺さんは近所の商店主だろう。祠がとても小さく、これでは京都市内にたくさんあるお地蔵さんのそれよりまだ小型だが、また石の欄干の際に建っていて、どこか危なっかしい。写真左に掃除中のお爺さんが少し写っている。祠は周囲の建物からもよく見えるし、また祠の脇の立て看板は祠以上に大きく、阿智神社の端っこにありながらも地元では有名なのだろう。