昂じて行ったその先は下るしかないが、耳に聴こえない高音になるまでメロディが繰り返されるたびに少しずつ上昇して行くのはどうだろう。
その一歩手前でフェイドアウトして終わる曲はあるのではないだろうか。今日はライチャス・ブラザーズの大ヒット曲を取り上げる。この曲をラジオでよく聴いたのは小学生の何年生であったろう。ビートルズが登場する前であった記憶があるが、今調べると、オリジナルは1953年で、プラターズが60年に歌っている。ひょっとすればそれを聴いたのかもしれない。ラジオからでもとても広がりのある曲であることはわかったが、その雄大な響きの中に物悲しい様子が子ども心ながらに秋の風情を感じさせた。とてもよく覚えているのは、日曜日の昼下がり、隣りの数歳年長のお兄さんが新しい自転車を買ってもらったので、試しに筆者を後部に乗せて気の向くままどこかへ連れて行ってあげようと言われた。60年代前半のオリンピック前であった。なので大阪市内とはいえ、まだ現在のように車はたくさん走っていない。自転車のふたり乗りを注意されることもなかった。東へ6,7キロほど走り、それで引き返して来たが、背の高い兄さんで、背後に座っている筆者は前からは風が当たらない。晩秋ではあったので、それなりに寒く、帰宅して奥の6畳の部屋に入ると、母が友人と談笑していて、膝に布団をかけていた。その時、ラジオから今日取り上げる「ひき潮」が流れていた。知っている曲であったので、気に留めたのだが、この曲を聴くといつもその頃のことを思い出す。それは夢を与えるという楽しいことかと言えば、確かにそうだが、何しろ遠いアメリカの曲で、当時の日本とはまるで何の共通点もない気がして、それがよけいにさびしい思いにさせた。というのは、ラジオから流れる音楽は洋楽だけとは限らず、三橋美智也など、あまりに日本的な歌謡曲も頻繁に聴いていたからで、今この年齢になると、当時のそういった歌謡曲もそれはそれで時代を映す鏡で、懐かしい。また同じように「ひき潮」も懐かしいが、それを言えば、当時からその雰囲気があった。これはうまく説明出来ないが、小学生の筆者は高らかに男性が歌い上げるこの曲は何となく古臭いと感じていた。先に書いたようにオリジナルは53年であるというから、その思いは当たっていた。またビートルズと比べてもそうで、今聴いてもビートルズより5年以上前の曲に思える。ということは、筆者はもっと激しいリズム・アンド・ブルースが好きであったのだろう。きれいな声でしっとりと歌う曲は、もっと大人のもので、つまりは回顧趣味のある人のものと思えた。だが、当然筆者も大人になるし、今はもう老境に入りかけているので、この曲をもっと冷静に、そして昔より正しく、偏見なしで聴くことが出来るが、曲から感じる「感動」は、小学生の時に聴いたのと同じだ。それは不思議と言えばそうだが、当然と言えばまたそうで、音楽はとにかく不思議なもので、筆者にとってはなくてはならないものだ。
ライチャス・ブラザーズと言えば「ひき潮」と反射的に思い出すが、手元にあるCDを久しぶりに聴くと、どの曲もよい。ウォーカー・ブラザーズの先輩と言えばわかりやすいが、ライチャスはふたりであるので、より強力と言える。ただし、スコット・ウォーカーのような渋くて甘い声ではないし、また男前度はスコットが格段に上で、今の若い人に聴き比べをさせると、スコットの方に人気があるのではないか。ライチャスのこれもよく知られる「ふられた気持」は、それこそスコットが歌えばいいような曲だが、カヴァーしているのだろうか。この「ふられた気持」は、作曲者名に「スペクター」とあって、これはフィル・スペクターであろうが、当時フィルはどれだけ儲けていたのかと思わせられるほど、その音作りはもてはやされていた。「ひき潮」の広がりのある音もフィルのサウンドではないだろうか。調べるのが面倒なのでこのまま書くが、名プロデューサーのおかげでライチャスの人気が世界的なものになったと言ってよい。では、バラードばかりがライチャスの持ち味かと言えば、けっこうロックンロールを歌っていて、それは当時の要請でもあったからだろう。プレスリーその他、白人が黒人のようにリズム・アンド・ブルースを歌うというのが期待され、その風潮の上にビートルズも出て来られた。であるので、ライチャスのレパートリーは、「ひき潮」に代表されるような弦楽器を背景に朗々と歌い上げる曲とロックンロールとに二分出来て、前者に馴染むとどうしても後者は違和感があるが、それはまだ聴き足りないからで、前者においてもふたりは激しくシャウトしていて、本質は変わらない。違うのは編曲と楽器編成と言えばよく、またフィル・スペクター・サウンドの影響が大きい。レイ・チャールズで有名な「ホワッド・アイ・セイ」や「ジョージア・オン・マイ・マインド」を聴くと、まるで黒人のようで、また実に素晴らしい歌いぶりで、ライチャスの人気が高かった理由がわかる。それでも代表作となると、やはり「ひき潮」や「アンチェインド・メロディ」、「ふられた気持」だろう。
「ひき潮」の日本のシングル盤がほしいと思ったのは10数年前だが、ネット・オークションで一時探したこともあったが、安物のCDで満足した。筆者の望みは手軽に「ひき潮」が聴けて、また他の曲も楽しめるとよいというもので、またCDを何枚も買うほどのファンではないので、ベスト・アルバム的なものになる。手元のCDはどこで買ったのか忘れたが、バッタ物だ。「ひき潮」は、メロディがどんどん高音になって行き、そしてすっと下るが、それは題名をよく表わしている。上がったものは下がる必要があり、人の声はある高さ以上までは出ない。とはいえ、「ひき潮」はなかなかカラオケで素人が歌いこなせるような曲ではなく、最も高い音をきれいに出せる人がごくわずかではないか。そういうことを子ども心にも思ったが、それよりも筆者がこの曲でいつも思い出したのは、もう夜になりかけの海だ。当時そういう景色を見たことがなかったのに、「ひき潮」という題名と、雄大な曲調に想像力が刺激されたのだろう。中学生になってビートルズを聴くようになってからは、「ひき潮」がラジオから流れて来たことはなかったように思うが、それは前述したウォーカー・ブラザーズが登場して来て、簡単に言えば株を奪ってしまったからであろう。また、ビートルズは自作自演があたりまえという時代を築き、美声で歌がうまいというミュージシャンは居場所がなくなって行った。とはいえ、60年代、70年代でも歌一本で人気を博した歌手はいたから、結局は人気者になるには時流にかなった魅力が欠かせない。今調べると、ライチャスの人気は66年頃までで、74年に再結成してヒット曲があったようだが、それ以降は表舞台には出なかった。それでもかつての大ヒット曲で各地を回って生活には困らないはずで、その点は日本と同じに違いない。66年頃までというのは、明らかにビートルズを初めとした新しいロックの登場で、小学生の筆者が「ひき潮」をラジオでたまに聴きながら、いい曲であることは確かだが、もっと生き生きした派手な曲がいいと思ったことは時代の空気を感じ取っていたことになる。それでも、筆者にとっては重い思い出の曲で、いよいよ秋たけなわとなって来る今の季節にはふと聴きたくなり、当分の間はCDをかけ続ける。「ふられた気持」を聴いている時の愉悦はまた格別で、ああ、筆者もついにレトロ趣味に浸る年齢になったかと思う。