鰯雲とも言う昨夜の空であったが、鰯雲は秋の季語という。10日に行って来た岡山市の思い出、もう20日ほど経つが、写真を使っての投稿を決めていたこともあって、どうにかまだどうでもいい記憶をたどって書くことが出来る。

ヤフーで印刷した地図で訪れることを決めていた岡山市駅前の神社は今日が最後だが、写真でわかるように、とても小さな社で、建物に挟まれて居心地が悪そうだ。地図に載っていない神社が立派で、載っている神社が予想外に貧弱で、地図は当てにならない。道通(どうつう)神社は初めてだが、岡山を初めとして山陽には多いらしい。蛇を祀るらしいが、名前のとおり道を通ることの安全を司る神で、今風に言えば交通安全だ。この神社の前は駅前の大通りだが、駅前の桃太郎の像からは500メートルほど北で、駅の外れのややさびしいところだ。先日も書いたが、JRの線路は碁盤目状の街路を斜めに断ち切っている。線路が敷かれる前はどのような土地であったのだろう。駅の東に城があり、西には行ったことがないが、だいたいJRの駅は、名古屋もそうだが、表と裏がはっきりと明暗に分かれている。京都もそうで、北は観光客が溢れるが、南の八条口は観光で見るべきものが皆無と言ってよい。伏見まで行くとまた別だが、駅というものは町を表と裏に二分するようだ。今日の道通神社が岡山駅の表側、しかも線路に面していることは、社の前の大通りは昔から多くの人が行き来したのだろう。参勤交代に歩く道であったかもしれない。そうだとすると、駅の裏手がどのような地区なのか気になるが、そういうことを確かめるためにわざわざ遠方に出かける人はまずいないだろう。誰もが訪れる観光地と違って、庶民が生活する地区を歩くと、帰宅して何日間は、家の外を出るとすぐにその地区があるような気分に陥る。それは何百キロも離れたところをそうとは感じさせないことであるから、自分の行動範囲が一気に拡大した気分になれるが、そのような旅を毎日続けて行くと、自分が住む狭い地域からほとんど出ないまま生活することと比べて、どのように思いが違って来るだろう。これは旅を多くする人とそうでない人との考えの違いという問題に置き換えることも出来るが、未知の場所に多く行く人生の方がいいに決まっていると考える人が多いので、旅行産業が盛んになって来た。だが、毎日別の街に行かねばならない身分というのは、それはそれで辛いもので、芸術行為の取材のためでもなければ、たまには自宅でくつろぎたいと思う人がほとんどだろう。筆者は半分以上は暇つぶしで岡山に行ったが、田舎にある吉備津神社と岡山駅前の小さな社を巡ったことのどちらも面白い体験で、どちらか片方では物足りなかった。そのことは名古屋市内に行った時もそうで、そう考えると、神社の存在は新たな面白さを気づかせてくれたと言える。また、これは間接的か直接的か知らないが、今年3月下旬に千葉からザッパ・ファンの大平さんが京都にやって来て、一緒に市内の各地を訪れたことがひとつのきっかけにもなっている。彼は神社巡りをひとつの趣味にしているそうで、そのことを市内を移動しながら聴いて、なるほどそういうこともあるかと思った。そのことを真似したのでもないが、有名な神社がたくさんある京都に住んでいるのに、あまり意識して来なかったことに気づいた。で、今後大平さんのようにどこかへ旅すると、その地元の神社を回るかと言えば、たぶんそうはしない。というのは、毎日こうして「神社の造形」と題して投稿しているのは、連続ということを前提にしている。ただしそれはムーンゴッタや駅前の変化など、どうしてその日に載せる話題は別だ。もう連続2か月投稿していることになるが、予定ではたぶん3か月は続かないかもしれない。本当は続けたいが、それにはひとつの理由がある。それは連続投稿が途切れた時に書く。さて、遠方に出ての神社巡りは、岡山の次に倉敷に出た。そこでもいくつか神社を回ったので、次回はそれらについて投稿するが、この連続投稿は巡った神社順を守っている。