鎧は兜と同じことだが、兜は甲、冑とも書いてややこしい。同じ意味の言葉でもこのようにいくつかの表現があることを思えば、神社もいろいろであって当然だ。

神社は大きく三つの系統に分けられると何かで読んだことがあるが、確か稲荷と八幡と護国であったと思う。護国神社は多くない。戦いで死んだ英霊を祀るので、たくさんあっては困るし、またその生々しさから祀られている人と個人的に縁のない人はわざわざ訪れる必要はないだろう。京都にも護国神社はあるが、それについては後日書く。また京都には護王神社が御所のすぐ西にあって、何となくそこには行く気になれないでいる。それは郷土玩具の会のMさんから聞いた話が恐かったからで、それを思い出すと恐いもの見たさで一度は訪れようという気になる。2年ほど前か、同神社の前を歩きながら、境内に入らなかった。なぜかしら陰気な雰囲気がしたからで、そのためにその後Mさんから同神社にまつわる話を聞いた時に、筆者の第一印象が何となく当たっている気がした。Mさんの話によると、たぶん昭和40年代にその境内には絵馬がたくさん架けてあったが、今はどうなのか。そのことを確かめるために訪れようと思っている。京都の市バスに乗っていると、あちこちで神社に気づく。その気になれば1日で10は回れる。一度そのようにしてこのブログで取り上げていない神社をまとめて撮影しに出かけようと思うが、そのためだけに出かけるつもりはなく、何かメインの用事があって、そのついでと決めている。それはこのブログが筆者にとって生活のメインではなく、全くのついでであるからだ。だが、遅ればせながらも毎日書くことは、ついででも厳格なものと言えなくもない。厳格で思い出すのは、神社を撮影する時、鳥居の中央に立って真正面から捉えることだ。それは左右対称になる理屈で、厳格な印象を与えるが、面白味に欠ける。だが、そうであっても神社に詣でることは真正面から鳥居をくぐるから、筆者の写真はこれから境内に入るという思いによるものと理解してほしい。だが、その一方で思うことは、ネットでどの神社の写真も見つけられるし、またそうした写真はほとんどが鳥居前の中央に立って左右対称に写すから、筆者がここで載せる写真はいわば全くの無駄というものだ。それで違う角度からと思わないでもないが、そうして撮ったのが昨日の2枚目で、鳥居は写っていないが、鳥居前の町の雰囲気はわかる。また、何度も書くように筆者のデジカメの記憶媒体は写真が20枚ほどしか収められず、ある神社の写真を1枚か2枚だけ撮るしかない状態であるとすれば、最初に考えるのはやはり鳥居前の中央に立って真正面から撮影することだ。これは人間の証明写真と同じで、神社を証明するのに当然の撮影角度と言える。それでもどの神社でも真正面から撮影すると、そういう写真がたくさん集まるとどれがどれかわからず、退屈でもある。これはどの神社も同じような鳥居があって、その造形に共通点が多いからで、神社というものは多様でありながら、どれも似ていて、そこがまた人間的だ。さて、今日は岡山駅前近くの、つまり駅から離れてもせいぜい500メートルの神社第2弾で、金刀比羅神社だが、本家が香川にあって遠くないので、岡山にその末社があるのは全く珍しくない。とはいえ、写真からわかるように、町中のものとしてはなかなか立派で、手入れもよく行き届いているようだ。宝珠を載せた石の玉垣の柱が石の鳥居の柱を挟む恰好に建ち、また鳥居の奥には人の背丈より高い狛犬がこちらを向いて睨みを利かせていて、その厳格なたたずまいに一瞬中に入ることがためらわれる。家内はさっさと先に歩いて行くので、筆者の最初の写真を撮ってすぐに後を追いかけようと思ったが、左手に回ると小さな祠が三つ並んでいる。それが気になって境内に入ったが、そうして撮った写真は明日載せる。今日の2枚目は神社の左手、方角で言えば北面を見ているが、赤い鳥居がきわめて細く、金属のパイプであるようだ。それを確認するためにも境内に入った。また写真からわかるように、玉垣は新しく、おそらくここ10年以内に一新されたのだろう。玉垣に寄進者の名前が彫られていて、それだけこの神社は地元住民に大切にされていると見えるが、最初の写真に見えように本殿の扉には貼紙があって、そこに何かの会合があることが書かれていた。自治会館のような役目をしているのだろう。またそういう用途に使えるほどに建物はそこそこ大きい。最初の写真では鳥居の脇に古い家が迫っているが、2階の窓から境内を見下ろす様子を想像すると、その部屋で寝起きするのは何となく神様に守られているような気になりそうで、こういう町角の神社は鎧甲を脱いだ庶民感覚があってよい。