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●神社の造形―吉備津神社
や牡蠣が身体についているとされるが、それは顔にもということだろう。海に住む磯良という神様がいるそうだが、上田秋成の『雨月物語』の中の一篇「吉備津の釜」は磯良という名前の若い女性を神主の娘として登場させる。



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吉備津神社のある近くの物語という設定で、豪農の息子が女遊びが激しいので、父は神主の娘と結婚させようとする。その前に同神社の鳴釜の神事で占うと、凶と出るが、両親はそれを無視して子ども同士を結婚させると、豪農の息子はやがて外に女を作って妻のもとに戻らない。ここまではよくある話だろう。両親が無理やり結婚させたのであるから仕方がないところがある。磯良という名前にしているところに、神主の娘は顔に大きな腫物でも出来ていたか、あるいは美しくはなかったのだろう。秋成は非の打ちどころのない女性と書くが、それは妻としての役目を完璧にこなすという意味で、今でもそうだが、そのことで妻は賛辞を与えられる。だが、夫婦の仲はわからない。周囲から立派とみなされていた磯良でも、夫は気に入らないところがあったのだろう。あるいは生来の浮気癖だが、そこはこの小説の読み手の判断に委ねられている。豪農の息子と暮らしていた女は死に、その後豪農の息子も死んでしまうが、占いどおりに行動しなかった、また浮気したから罰が当たったという読み方が出来るが、今ではこの物語の設定はあまり通用しないかもしれない。それはともかく、名古屋に行ったので、同じく日帰り出来る場所ということで岡山に行って来た。天気がずっと優れなかったが、ようやく晴れ、しかも依頼された仕事の目途があらかたついた翌日の10日だ。岡山の美術館はいい企画展をしていないので諦め、吉備津神社に行くことと、以前から気になっている岡山で有名なフルーツ・パフェを食べることを目的とした。前回岡山に行った時は適当なパフェの店を探すことが出来なかった。気がかりになっていることをなるべく思い切ってひとつずつこなして行こうと思っているが、金のかからない日帰りとなると、行先は限られる。今回は南の和歌山、しかも速玉神社や熊野大社を思ったが、それは日帰りのバス・ツアーでなければ無理だ。また、そういうツアーがいつでもやっているかどうかわからない。先日宇治の妹の家に行った時、速玉神社で買って来たお守りがいくつかあった。最近行って来たらしいが、もちろん自家用車だ。筆者は車の免許がないので、旅となると電車しか思い浮かばない、数年前まではパック・ツアーに家内とあちこち出かけたが、効率よく各地を回れるのはいいが、自分が行きたいと思う、またもう少し時間を過ごしたいといったことが無理で、結局ほとんど印象に残らない。それは観光地ばかり巡るからでもある。個人で行くと、目的地に着くまでの間に庶民の歩く道や家の前を通過する。それは観光目的から言えば無駄だが、その無駄が混じっていることが面白い。つまり、道中が楽しい。ところが今ではそういう考えはもう時代遅れだろう。東京と大阪を1時間でつなぐリニア新幹線が出来ようとしている時代で、点と点を無駄なく移動することを人間は求めている。その過程は眠っているも同然で、意味がないとされる。内田百閒の『阿呆列車』の旅とは正反対だ。
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 今回も家内にはどこへ行くかは言わなかった。岡山に行くことだけは伝えたが、神社に行くと言うときっと反対する。筆者にすれば気晴らしの旅ではあるが、地図を印刷してなるべくほかの神社も回ることにした。いわば散歩の遠距離版で、恰好も京都市内を歩くのと変わらない。吉備津神社についてはほとんど調べず、また秋成の小説とつながりがあるから見ておきたいというのでもなかった。西に向かって行くとすればどこがいいと家内に訊くと、高松で食べた早朝のうどんがとてもおいしかったのでもう一度食べたいと言った。その店の名前は覚えていないが、場所はわかる。そしてGOOGLEのストリート・ヴューで調べると、高松駅前近くはかなり様子が変わっていて、筆者が覚えている一画はなかった。うどん屋は同じ場所にあるにはあるが、店のかまえがすっかり変わり、また屋号もどうも違う。7,8年も経てば何でもそうだろう。それに高松は筆者らが訪れて以降、商店街がかなり立派になり、TVでその特集を何度か見た。その商店街は大阪の天神橋筋商店街を抜いて今は日本一の長さを誇るらしいが、大須商店街のように寺や神社が近くに多いだろうか。どうもそうとは思えない。つまり、新しい商店街で、そうなるとあまり興味はない。筆者が好きなのは、古い歴史と新しいそれとの交わりで、その点で天神橋筋商店街や曾根崎商店街は合格で、また大阪独特の猥雑な雰囲気もよい。TVで見ると高松の商店街は洒落た店が連なるようで、そういうところにはあまり面白くない。それで今回は高松に行かなかった。吉備津神社は山陽地方では最大の神社らしいが、岡山駅から吉備線に乗り換えて数駅先で、さほど時間を要しない。駅から神社までは1キロほどあるが、それくらいなら充分に歩ける。ま、2,3キロまでなら歩くが、それは天気によりけりで、また電車の時間もある。1時間に1本程度ではほかを回る時間がなくなる。さて、デジカメのスマート・メディアは20枚ほどしか撮影出来ないので、別の1枚を探し当てた。すると150枚ほど撮影出来ることがわかった。そえほどたくさん撮ることはないが、後悔しないだけ撮ることは出来る。そして結果を言えば、吉備津神社だけでもたくさん撮って来たので、本当は今日1回のみでは全部載せられないが、一神社一投稿とひとまず決めているので、今日は4枚だけ使う。残りは機会があればということにしておくが、それが訪れるかどうかはわからない。
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 吉備津神社の参道は松並木で、その真横に自動車専用の道路がある。参道とその道路の両脇は田んぼで、眺めがよい。丘の上にあって石段をたくさん上るかというと、さほどでもない。秋成は訪れていないはずだが、神や神社に関心があったので、吉備津神社の有名さは当然知り、また絵図でどういう社かについての知識もあったに違いない。だが、実際に本殿を見るのと想像するのとでは、江戸時代では今よりもっと差があった。吉備津神社の本殿は国宝で、吉備津造りと呼び、ほかに例がないらしい。入母屋造りがふたつ並んでいて、その比翼連理性がとても美しい。石段を上って行くと拝殿があるが、そこから左に出て境内の広々としたところに出ると、拝殿を横から眺めることになるが、そうして撮ったのが今日の3枚目だ。2枚を横つなぎにしてパノラマにしているが、右が拝殿、左が比翼入母屋の本殿だ。拝殿で拝むと、本殿がそのように奥に長いことが全くわからないから、左横の境内に出た時に驚く。写真右端は受付、授与所で、お守りなどを巫女が売っていた。また軒下には多くの仮面を並べた額が飾られていて、その写真も撮ったが、今日は載せない。最初の写真は手洗舎から拝殿に向かう石段で、階段を上ったところに白壁と丹塗りの門がある。これがなかなか立派で、また色合いがとてもいい。稲荷社のように派手な朱色ではなく、褐色味を帯びている。拝殿と本殿はそのような色はついていないので、なおさらこの門は印象深い。2枚目はこの門の中からさらに石段上を見たところで、奥に太い横綱が見える。そこが拝殿で、その左に30メートルほど移動して撮ったのが3枚目だ。そしてその立ち位置から反対を向くと、山が迫っていて小さな滝が池に注いでいる。池には大きな鯉がたくさん泳いでいたが、水はやや濁っているようで、泡がたくさん浮いていた。写真のてっぺんに庇が見えるが、これは3枚目の写真右端の受付の建物のもので、それほどに長い。電車を降りたのは筆者ら以外に5,6名の若い女性たちで、韓国語を話していた。旅行者で、吉備津神社まで来るのはガイドブックにどのように紹介されているのだろう。
●神社の造形―吉備津神社_d0053294_243285.jpg 岡山に戻る電車はほぼ1時間後で、それを逃すとさらに同じくらい待つ必要がある。駅から神社の往復は30分ほどだが、となると境内に留まれるのは30分となる。それで写真だけ撮ったと言ってよいが、本殿を見下ろす高台に別の社がありそうで、そこに行った。その写真は明日載せるが、筆者らが見たのは境内の東半分だ。西の麓に別の大きな神社があることは参道を歩いている時からわかったが、そこまで回る時間がなかった。また3枚目の写真で言えば、本殿のすぐ向こう側、本殿に沿って下りの長い廻廊があった。その最初の地点から見下ろしながらその先が気になったが、どこまで下りて行くのかわからず、また電車の時間が気になって、写真を1枚撮っただけであった。その回廊は長谷寺を思い出させたが、今吉備津神社のホームページを見ると、廻廊から庭園が見える。それに、えびす宮などの小さな社が点在している。次の機会となれば、たぶんそんな機会は作らないかもしれない。この神社を再訪するなら、ひとつ手前の駅から見えた別の大きな神社に行くか、もっと先にある神社に行くだろう。手前に神社は、駅前に大きな鳥居が見えた。吉備津彦神社とのことで、吉備津神社と紛らわしい。大きな神社がすぐ近くに隣り合うような形であるのは珍しいが、これも今知ったが、レンタ・サイクルでこの短い吉備線の沿線に点在する神社を回ることが出来るらしい。そう言えばそのような山沿いの道があったようだ。岡山駅から吉備線に乗ると、最初の風景は福井から東尋坊に向かう電車の風景を思わせた。まるで市電のようで、また沿線沿いの家屋は新旧が混ざっていて楽しい。それが少しずつ田畑が増え、やがて山沿いに走る。吉備津駅は無人改札で、またそれがひとつしかない。そのため、帰りはどのようにして線路の向こうの駅舎に行けばよいかと思ったが、ひとつしかない改札から入って総社行きのプラットフォームから線路を横切って向こうに出る。これがわからない人はないかもしれないが、筆者は最初は気を利かせ過ぎて、参道が始まる地点から線路の向こう側に行き、住宅地の中を駅に向かったかもしれない。それでは改札がなく、また慌ててひとつしかない改札に回ったが、それでたぶん15分は取られ、電車に乗り遅れた。改札がひとつしかない駅はたぶん初めてで、またこの駅はとても小さく、吉備津神社の風格とは似合わない。正月の初詣客はみな車を利用するのだろう。それで松並木の立派な参道の真横にモット幅の広い車道がある。筆者は参道を往復しながらその車道がなければもっと風情があっていいのにと思ったが、それでは神社が困るだろう。多くの人に来てもらうには今は車用の道路が欠かせない。そうそう、吉備津駅の改札近くに一軒の家が新築中で、半分以上出来ていたが、木造風のデザインを取り入れた現在風で、どこかの大手の住宅メーカーの建物のように画一的な感じがなかったのがよい。一般の住宅はますます国宝の本殿とはどこも共通点のないデザインとなって行くが、そうなればよけいに神社の重要性を人々は思い知るだろう。韓国には寺は多いが、神と言えば教会で、しかもそのデザインはみな歴史がせいぜい半世紀でしかもデザイン的に見るべきものはない。そう思うと、日本に神社があることは、世界のどこにもない独特な景色を持っていると言うべきだ。韓国からの観光客が吉備津神社を訪れて感じるのもそのことであろう。
by uuuzen | 2015-09-20 23:59 | ●神社の造形
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