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●神社の造形―梅津大神宮
所駅からの方が近いのかどうか、とにかく大津市に30年ほど前に引っ越した家族がある。元は梅津段町の交差点から南東に徒歩1,2分のところに住んでいて、夫婦とも四国から京都にやって来た。



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筆者が梅宮大社のすぐ際の染色工房の運営を任された時、友禅の糸目の工程を請け負ってもらえる人を探すために工房の建物の扉の横に貼紙を出した。するとしばらくしてその夫婦の奥さんが面接にやって来て頼むことになったが、2,3年すると近くの三菱に働いていたご主人もやりたいというので、何と会社を辞めてしまった。とても器用な人で、筆者の難しい注文をうまくこなしてくれた。奥さんが貼紙を見たのは今にして思えば不思議だ。工房の近くに大きなスーパーがあったが、段町からそこに買い物に来ていたとして、工房の前の道を通ることはないはずと思えるからだ。たぶんたまたま工房の前を自転車で通りがかる用事があったのだろう。ご主人は三菱で車を組み立てていたが、その仕事に飽き飽きしたらしく、車1台の鉄の価格は1万円もしないから、車産業は儲け過ぎだとよく言っていた。筆者より7,8歳年長だったと思うが、筆者が勤務していた工房だけの注文では生活が苦しいというので、そのうち別のところからも仕事を得たが、それがとても高い賃金で、筆者は驚いた。そのご主人は今まで筆者が安くこき使って来たことを半ば恨んでいるかのような口ぶりで、よほど自分の腕が見込まれて嬉しかったのだろう。だが、当時はバブルで、高価なキモノを売りまくって儲けようとした人が多かった。ご主人が高額で仕事を引き受けていた店の景気がよかったのは3,4年ではなかったか。半ば投機のような形でキモノ作りしていた店で、話を聞くたびに筆者はおかしいと思っていたが、それが当たった。結局倒産し、ご主人はそこのうまみのある仕事を失った。その頃は大津に家を買って引っ越して何年も経っていたうえ、筆者も工房を辞めてもうご主人に仕事を回すことはなくなっていた。工房は筆者が辞めると同時に閉鎖になったが、そうなると筆者の作品作りの糸目の工程でもいいので、仕事をほしいと言われたが、筆者はひとりで全部の工程が出来るし、また糸目は自分で引いた方が納得の行く仕上がりになると思っていたので、たとえ無料であっても頼まなかった。その後どうされたのか知らないが、また新たな仕事を見つけたのではないだろうか。それはそうと、段町近くの家には二、三度お邪魔したことがある。そこと筆者が住んでいた間借りの離れの部屋は徒歩5分ほどだ。その道を筆者はたまに自転車で走る。これまで何度か書いたが、筆者が2年間住んだ離れの建物は家主が死んだのか、大きな家が取り壊され、小さな家が確か5軒建った。筆者が住んでいた建物は細い道路に面した蔵で、それは1軒の新しい家にそっくり変わった。同じような場所に窓があって、まるで昔と変わらない気がする。それは周囲の家が少しも変わっていないからでもある。その家の前、すなわち筆者が寝起きしていた蔵に面する細い道を東に進むと、自転車で2分ほどのところにひっそりとした一画がある。それが神社であることは昔から感じていたが、境内に踏み込むことはなかった。何となくそのことがためらわれるような鬱蒼とした雰囲気があった。その神社から道路をわたって東へ1分ほどのところに先の夫婦の家があった。今は餃子の王将があって、昔より多少賑やかになった感じだ。その目立たない神社に先日行ってみた。スーパーのトモイチからでも自転車で3分ほどだ。梅津大明神というとても立派な名前であることに驚いた。筆者が京都に来て最初の2年間、最も近くにあった神社がそこだが、その間に勤めていた友禅の師匠の工房や、その後筆者が主宰者になった工房は梅宮大社のすぐ近くで、筆者にとって最も馴染みのある神社は同大社だ。嵐山に引っ越してからは松尾大社が近いが、あまり馴染めない。
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 それはさておき、梅津大明神は忘れさられたような雰囲気で、手水舎はあっても水が枯れている。石の鳥居が境内の南北にあるので神社とわかるが、それがなければ誰も足を踏み入れないだろう。また鳥居があってもそうで、誰かがお詣りすることがあるのだろうか。誰がどう管理しているのか、立て看板の類がなく、謎めいている。この神社は昔は桂川沿いにあったのだろう。今もそう言ってよいほど川から近いが、梅津はその名のとおり、港があった。亀岡から筏で運ばれた材木を溜めいたそうで、明治になって工場が建ち始めた。段町と言えばすぐ東南は日新電気で、またその北は三菱の大工場だ。梅津大明神は名前はとても立派であるし、今も本殿があるので、世話する人たちの高齢化によって維持管理が難しくなっているのだろう。それにしてもこのうらぶれた境内に初めてたたずむと、京都にやって来た昔を思い出す。おそらくその頃からほとんど変化のない境内のはずで、神社は時が止まったままのような気にさせる。地元の人も神社の横の空き地で子ども遊ばせたり、また子どもたちがボール遊びをしたりするのは毎日の光景のようで、筆者が写真を撮っている間、そうした楽しげな親子の声がよく聞こえていた。彼らはこの神社の名前すら知らないのではないか。それほどに人気のない境内で、それはそれでそういう場所があることを無意識のうちに感じていることはよい。大人になって何かの拍子に思い出すと、その時から神社というものの存在感を受け留める。人生は大人になってから気づくことが多々ある。もちろん気づかないままのことがはるかに多いが、それは存在しないことと同じで、気にしたり恥じたりする必要はない。ただし、大人になって知ったことでもっと早く出会いがあればよかったと口惜しい場合がある。その時は自分の不勉強に恥じ入り、そして知識が増え、視野が少しは広がったことを喜べばいい。それで、ようやく梅津大明神の境内を訪れて何か知識が増え、視野が広がったかと言えば、この30数年がとても早く過ぎ去ったという実感で、またどうでもいい神社ではあるが、一度は中に入ったことは気がかりがひとつ減ってすっきりした。そして、この神社が今後さらに廃れて、いつか廃絶してしまわないことを願う。隣りの空き地と一緒にすれば大きなグラウンドになって地域住民は歓迎するだろうが、役に立たないような薄暗い神社があることは、歴史の長さを示し、金には換えられない。それにしてもこの神社は梅津が現在どういう町になっているかを表わしているだろう。昔から住む人が、商売がうまく行くなど、経済的に余裕があると、もう少し手入れをされると思うが、前述のように筆者が2年間住んだ何代も続く大きな家も売られて5軒の新築が建つ時代だ。この神社を潰してマンションを建てることになれば、梅津はさらに魅力のない町になる。むしろ稲荷社を建てて朱色の玉垣や鳥居を目立たせるのがいい。
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by uuuzen | 2015-09-19 23:59 | ●神社の造形
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