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●神社の造形―今宮神社
れと汚れがどう違うかはおおよそ誰でも知っている。黒人の子どもが自分の肌が黒いことで白人から差別されることを知った時、肌をごしごしと洗って白くならないものかと思い悩んだ。



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そんな話を何かで読んだことがあるが、日本では南蛮屏風を見てもわかるように、黒人は白人に奉仕する奴隷で、穢れが多い、つまり不浄で劣った存在と見ることが安土桃山時代からあったのではないか。黒人が高度な文明を築き、白人を奴隷にしていればどうなっていたであろう。白は黒より穢れているとみなされ、白人はみな墨を体に塗って白人であることを隠す。それは黒人が白粉を塗ることより簡単に肌の色を隠せるから、やはり黒人は白人から見下されるべき本質を持っていたと言うことも出来るかもしれない。それはさておき、そういう人種差別は今もある。中国や韓国を罵るレイシストたちは、おそらく穢れの観念に過剰に敏感で、自分たちは穢れがないが、中国人や韓国人はそうではなく、しかもそのことはいつまでも変わらないと思い込んでいる。白人が黒人を蔑視するのと同じだ。だが、同じ肌の黄色人種であるのに、穢れとみなす思いはどこから出て来るのだろう。日本が長らく鎖国を続け、心が内向きになっている、つまり仲間意識があまりに強いからだろう。内と外を分ける意識の強さだ。鬼は外、福は内で、神社の鳥居はそのことをよく表わしている。そして、そこから日本人は福だが、海の向こうは野蛮な鬼という考えが生まれたが、一方では島国では血がどんどん濃くなって劣性民族になって行くから、本能的に外国の血に憧れがある。数十年前まではアメリカ、イギリスが鬼とされたが、戦争に負けてからは180度変わったこともそう考えるとよく理解出来る。今の日本はアメリカのすぐ近くかヨーロッパに国土があればいいと思っているが、すぐ隣りの中国や韓国は鬼であり、敵であるから、今のうちにしっかり軍隊を大きくしておこうというのが政府の考えだ。だが、鬼畜と呼んでからまだ100年も経っていないのに、アメリカのお蔭で日本が空前の反映をし、これからもそうであり続けると考えるのは笑い話だ。昨日書いた堤防の高さの話を思い出す。堤防をどんどん高くすることはアメリカの言うことを聞き続けることとたとえるとよい。100年、あるいは200年は安泰かもしれないが、そのうちドカンととんでもないことが起こって100年、200年で蓄え得た富を一切吐き出すことが起こるかもしれない。福島原発の事故はその最初の兆しと考えてはどうか。日本には馴染まないものをアメリカの言うとおりに設置して、その挙句に半世紀ほどで大災害だ。それは序の口で、もっと怖いことが今後起きるかもしれない。では中国と仲よくすればいいかとなると、それはそれで簡単な問題ではない。結局島国の日本は慎ましやかにやって行くしかなく、そのことが神社という形に表われている気がする。話を戻して、黒人を差別する白人が穢れとは無縁で、いくら洗っても肌が白くならない黒人を絶対的穢れと見る思想こそ穢れているということに、白人はどれほど気づいているだろうか。そんなことは夢にも思わないか。汚れは水で洗えば取り除けるが、穢れは本質的なもの、つまりは心のありようだ。食べて糞をする人間は、誰でも不浄と言える。そう考えると、穢れはそれを意識しているかしないかであって、意識して穢れを排除する人、つまり心を律することを忘れない人が穢れから免れ得る。ネットで平気で差別的な罵詈雑言を書き散らす連中はみな穢れの権化で、筆者はそういう書き込みを見ると反吐が出そうになる。去年だったか、山本太郎議員が天皇に直訴するという「事件」があって、その行為は大きな非難を浴びた。その時、天皇は山本太郎が危険な目に遭わないかと心配の弁を側近に述べたが、筆者はそのことに感動した。さすが天皇、心に穢れがない。こう書けば不謹慎と謗られそうだが、言いたいことは、批判を浴びそうな行為の真意を汲み取って、相手を慮ることの気高さだ。
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 止むに止まれぬ行動というものがある。それを思えば、行動に簡単に白黒がつけられるだろうか。日本が戦争を始めたことは、その止むに止まれないことがあったとされる。そこを日本は外国にわかってほしいと思っているが、外国からすれば戦争は勝ち負けであって、負けた方が悪い。で、日本は今度こそ負けるものかと一部の好戦派は考えているのだろうが、相手国を止むに止まれないところに追い込まず、戦争はどんなことがあっても避けるというのが、大人の国としての態度だろう。そして、そう簡単に相手を毛嫌いして穢れた存在と思わないことだ。そう思うことが穢れの始まりであることを知るべきで、そうでないのであれば、それは勝ち負けをはっきりさせる欧米の悪いところを見習い過ぎたためであって、やはり戦争に負けるということは、ゆっくりゆっくりと国が衰退に向かうことかと思う。戦後の反映が奇跡だと誰もが言うが、歴史は50年や100年で考えてはならない。気づいた時にはもう手遅れになっているということを自覚した方がよい。さて、神社の話だ。建勲神社を出て千本通りの鞍馬口のバス停にたどり着いた。船岡山の北から西へとぐるりと回った格好だが、一昨日書いたように、山の麓に沿った狭い道を歩かなかった。それはどうでもいいが、市バスにまた乗って、今度はひとつ手前の今宮神社前で下りた。そこから北へ向かうと突き当りに神社があるが、筆者は北大路通りからすぐにところに見える赤い大きな鳥居付はバスの車窓からいつも見るし、またごくたまにはその鳥居付近を歩くが、神社の境内に入ったことは一度か二度しかない。それも40年近く前だ。20年ほど前に神社のすぐ東に2軒が向かい合って営業するあぶり餅を食べたことがあるが、その時は境内に入らなかったと思う。今日の最初の写真は北大路通りからすぐの大鳥居で、2枚目はそれをくぐって500メートルほどか、北へ直進したところにある楼門だ。このすぐ前にも市バスは走っていて、7,8年前に通った記憶がある。立派な楼門で、八坂神社のそれより大きいのではないか。この門をくぐって突き当りにあるのが3枚目の写真の本殿で、楼門によく釣り合っている風格がある。今少し調べると、今宮神社は元は船岡山にあった。なるほどと思う。それが現在の地に引っ越した後、長らく山頂はそのままになっていたのだろう。そこに明治になって織田信長を祀ることになり、その社が山頂に移った。ということは、筆者が建勲神社を訪れた後、懲りずにまた市バスに乗って北大路通りを走り、建勲神社前のバス停のひとつ手前で下車したことは、神様にはついでの行為で申し訳ないが、船岡山つながりでは正しい行為とも言えるだろう。府立総合資料館に調べものに行くのに、ふたつの大きな神社を巡っていては、閉館になってしまう可能性が大きい。そう考えた筆者は今宮神社の大鳥居をくぐった後は、なだらかな上り坂を競歩の選手のような速さで歩いた。境内に入り、目につくものを撮影し、そしてまた大鳥居目指して早足で歩いたが、資料館に着いたのは午後4時過ぎで、閉館まで15分ほどしかなかった。それでも目当ての1冊は確認出来たから、筆者のいつものついでの用事はどれも時間がない慌ただしさだ。それはさておいて、明日も今宮神社内の写真を載せる。
●神社の造形―今宮神社_d0053294_1591934.jpg

by uuuzen | 2015-09-17 23:59 | ●神社の造形
●嵐山駅前の変化、その378(... >> << ●神社の造形―織姫社、織田稲荷社

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