人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●当分の間、去年の空白日に投稿します。最新の投稿は右欄メニュー最上部「最新投稿を表示する」かここをクリックしてください。

●神社の造形―義照稲荷神社、稲荷命婦元宮
として何代目なのか知らないが、今年の国勢調査を宣伝するキャラクターのひとりにタレントに転身した織田信長の末裔がいる。TVを見ている人なら誰でも知っている芸能人を使おうということだ。



●神社の造形―義照稲荷神社、稲荷命婦元宮_d0053294_2102013.jpg

他に高田順次と藤原紀香が選ばれているが、5年前は芸能人をキャンペーンに起用したであろうか。そのことがもう記憶にない。どうでもいいことはすぐに忘れるということだ。それはさておき、8月28日は刈谷と名古屋を訪れたが、刈谷で展覧会を見た後は岐阜に出ようかと思いながら、熱田神宮を訪れることにして名古屋にした。岐阜は3年ほど前に家内と訪れたが、信長の金色の等身大の像が駅舎前の広場に立っている。それも地面ではなく、数メートルほどの高さのある台座の上で、岐阜城など、市内を見つめている恰好だ。その像が立つ台の高さが信長の偉大さを示していると言ってよいが、岐阜市民は信長のことをどう思っているのだろう。TVではあまりそういうことを番組にしていないのではないか。それはそうと岐阜で思い出した。全くどうでもいいことだが、数日前にTVでよく似た光景を見たので書いておく。JR岐阜駅前から徒歩2,3分か、スーパーがある。そこに以前家内と入ったところ、人参の袋詰め放題セールをしていた。透明なビニール袋で、せいぜい5,6本も入ればいっぱいになるが、70歳くらいの大柄の女性は5,6本詰めた後、隙間に人参を挟み込み、それをどんどん高くして、1メートル以上にしていた。たぶん100本以上だろう。その詰め込み作業を真面目かつ真剣にしていたが、ちょっとしたバランスでその人参の楔の塔は崩れる。袋に詰め放題ということは、袋から基本的にはみ出てはまずいと筆者は受け取るが、その女性はとにかく自分ひとりで抱えられるのであれば、袋からいくらはみ出ていようが袋内部の人参とつながっていればいいという考えだ。レジまでの10メートルほどをその女性がどのようにそれを運び、レジ係にどのように言われたかは知らない。いくら詰め放題とはいえ、100本もの人参をどうするのだろう。筆者には理解出来ない。そう思っていると、先日のTV番組でどこかの洋菓子屋であったか、同じような袋に詰め放題セールをしていた。すると、どの客も先の人参のように、高さ1メートル数十センチまで順に細長い菓子を交互に突き刺していた。レジではそれでもかまわないと言う。たいていの人はそうして数千円分を詰め込んでいたが、店にすれば大赤字だ。それはいいとして、岐阜駅前近くのスーパーでの人参の詰め放題セールは、100本ほど使って塔を作ることは許されるのだろう。理解出来ない筆者が理解されないわけで、世の中は図々しくやるのがあたりまえとなっているようだ。それでもひとりで100本も持って帰ると、後で来る客は残りが少ない。早い者勝ちとの考えもあるが、欲張らずに後の人のことも考えるべきではないか。成金が嫌われるのは欲張って金を儲けたからで、なりふりかまわないやり方は傍目にいいものではない。だが、そのなりふりかまわない行動は基準があるだろうか。それに基準から外れていては批判されるべきか。また批判されたとして、それはよくないことか。筆者が理解出来ないと数年前に思った岐阜スーパー人参事件は、数日前の菓子詰め放題の映像からは、逆に筆者の考えが世間からずれていることがわかった。物事は両面から見るべきということだろう。これは織田信長を念頭に置いて書いている。さて、前置きが長くなったが、名古屋に行った翌日、つまり8月29日は府立総合資料館にひとりで調べものに出かけた。市バスが北大路通りを走り始めた時、船岡山の建勲神社を訪れることにした。資料館が閉まるまでにはまだ1時間少々あったからだ。
●神社の造形―義照稲荷神社、稲荷命婦元宮_d0053294_211613.jpg 船岡山には子どもの頃に従姉に連れて行ってもらったことがある。母親の実家がその近くにあり、そこに伯父の家族が住んでいた。前にも書いたことがあると思うが、部屋に水彩画が額に入れて飾ってあって、それは従姉の描いたものであった。子ども心にそれがなかなか洒落て見えたが、どの辺りを描いたかと言えば北大路通りに面した船岡山への登り口付近であったと思う。伯父の子どもは男がひとりでその下に女が5人いたが、船岡山に連れて行ってくれたのは一番上の従姉で、筆者より7,8歳上だと思う。今は関東に住んでいるが、筆者がその家でTVを見ていると、その従姉は妹らに筆者のTVを見る顔がいかにも賢そうであると感心していたことがある。当時筆者は小学生の3、4年生だったが、記憶は色褪せない。船岡山に建勲神社があることはその頃に教えてもらったが、従姉はその社を見せに連れて行ってはくれず、船岡山の頂上の休憩所のようなところまでであった。そして、その付近ではたまに首を吊る人がいると、筆者を怖がらせたが、確かにそのようなさびしい場所だ。これはカップルがこっそりとデートするのにいい場所とも言えるし、そのように使っている高校生は少なくないだろう。筆者が船岡山に登ったのは3,4回で、その最後は家内と一緒であった。それはもう40年近い昔のことだ。その時でも建勲神社には行かなかった。また公園からその社までどういう道をたどればいいかわからなかったし、また神社に関心がなかった。それが急に訪れる気になったのは最近の投稿が神社シリーズになっているからでもある。この機会に気になりながら訪れていない神社、しかも簡単に行くことの出来るところを踏破しようということだ。しかも何かのついでであって、これを神様が知ると御利益を与えてくれないだろう。何事もついではよくないと筆者の母親はうるさく言うが、人生はみなついでみたいなものではないか。話を戻して、市バスは北大路通りの今宮神社前で下りようと思いながら、ひとつ先の建勲神社前が近いかと思い直した。北大路通りを南にわたると道が斜めについて南に向かっている。その先に鳥居があるはずと思いながら、300メートルほどは歩いたか、ようやくそれが見えた。その道は船岡東通りと呼ぶが、おそらく初めて歩いた。紫野らしい住宅地だ。鳥居の前に作業の車が止まっていた。今日の最初の写真の右下隅にそれが写っているが、4,5人の年配の作業員は樹木の伐採に来ていたようで、鳥居をくぐった左手で3時の休憩をしていた。写真の鳥居は台湾の檜を使って作ったもので、日本では同じような太い檜は入手出来ないと説明書きにあった。白木のままであるから、寿命は石よりも短い。腐蝕すればまた建て替える必要があるが、太い木材が手に入らねば石で代用するのだろうか。それはさておき、鳥居の奥に見える朱色の鳥居をまず目指し、それを潜って階段を上った。かなり急な階段で、降りるのは恐いだろう。筆者は元の場所に降りずに、祠の前から続く道を利用して建勲神社に回った。祠を離れると下で休憩している作業員の談笑の声がよく聞こえたが、筆者が見下ろしていることには気づかなかったであろう。それはさておき、2枚目の写真はその急な階段で、最初の写真にも見えている大きな木が鳥居を圧倒していた。名札にシラカシとあって、樫の仲間だ。樹齢数百年は間違いないが、信長の時代まで遡るか。3枚目の写真は階段を上り切って右手で、大小ふたつの祠が並ぶ。大きい方は義照稲荷神社というが、義照は誰かの名前と思うが、これが調べてもよくわからない。稲荷であるので伏見稲荷と何らかの関係があるだろうが、建勲神社のサイトではやはり秦氏が造ったものと書かれる。狐の石像が金網で厳重に囲ってあるのは、悪戯防止だろうか。近くには小学校があり、子どもたちの遊び場になっているはずで、筆者はこの社のすぐ近くで元気のよい小学生の男女数名を見かけた。3枚目の写真の奥に見える小さな祠は稲荷命婦元宮と呼ぶが、伏見稲荷大社にも命婦(みょうぶ)社があって、その親神の狐を祀るとのことだ。となれば伏見稲荷の命婦社はこの元宮の裔となるが、肝心の伏見稲荷大社とはどういう関係なのだろう。稲荷山は外国人観光客を初め、大量の人が訪れて全国的に有名であるのに、この船岡山はとてもひっそりとしていて、いかにも霊的だ。そのことは今日の3枚の写真からも伝わると思う。
●神社の造形―義照稲荷神社、稲荷命婦元宮_d0053294_2111955.jpg

by uuuzen | 2015-09-14 23:59 | ●神社の造形
●神社の造形―連理稲荷大明神 >> << ●神社の造形―建勲神社

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2025 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?