穹隆という言葉をゴシック建築の本で昔知った。20代初めの頃だ。英語では穹隆はヴォールトで、ザッパの録音テープ保管庫も天井が丸い穹隆状でヴォールトと呼ばれる。

日本でヴォールトに似た雰囲気の場所と言えば、繁華街のアーケードのある商店街だ。部屋でも天井が高いと広く感じるから、アーケードは穹隆状に造られることが増えて来たのではないだろうか。伏見の大手筋や中京の寺町商店街はそのようになっていると思う。そう言えば昔の住宅メーカーのTVコマーシャルに、巨匠は天井の高い部屋で暮らしたというのがあって、その例としてマーラーを挙げていた。日本では天井が低いので身長も低くなり、それで世界的な巨匠と呼ばれる人を輩出して来なかったのかもしれない。そのことを思って住宅メーカーは天井を高く設計したのでもないが、天井が高いと冷暖房費が嵩む。つまり金持ち向きで、金持ちの心をくすぐって住宅を買ってもらいたいのだ。天井が高いと言えば、穹隆やアーケードなどなくて、蒼穹すなわち青空のままでいいではないか。となればホームレスか。彼らの中から宇宙的な巨匠が出て来るだろう。それはともかく、筆者は商店街を歩くのが好きで、それは小さい頃からよく歩いていたからだが、今は大阪に出るたびに天神橋筋商店街を歩く。古本屋が多く、また食べるところに事欠かないからで、またいかにも大阪という感じがよい。日本一長いと言われる天神橋筋商店街を、筆者は2か月に一度くらいは全部歩く。散歩にはちょうどいい距離で、その商店街の近くに住みたいと思うほどだ。全部歩くとはいえ、最もよく歩くのは南森町より北だ。つまり大阪天満宮のあるところはあまり歩かない。その付近は南森町より北よりさびれた雰囲気で、歩いている人も少ない。最も混雑しているのは天四から天六までで、また南から歩けば天満駅より北は道幅が狭くなって、同じ割合の人が歩いていても混雑しているように感じる。南森町より南は天二、天一で、天一にはアーケードがない。またアーケードも一丁ごとに形が違うようで、穹隆状になっているのは天四から北ではなかったかと思う。天満宮のある天二の天井は丸みを帯びずに三角形であった気がするが、青や緑、赤に塗られた大きな鳥居がその天井の頂点付近に取りつかれていて、天満宮が近いことがわかる。その鳥居の列はグラデーションとなって並んでいるように見え、また「萌葱」などと、わざわざ日本古来の色の名前が書かれていて、知的好奇心をくすぐる。だが、緑や青の鳥居はいいのだろうか。それを見るたびに赤系統の色でまとめた方がいいのではと思ってしまう。赤もいろいろだ。朱色から橙、紅色など、実際にあちこちの神社の鳥居や玉垣に使われている色もさまざまだ。だが、緑や青の鳥居はない。商店街の人たちがアーケードに等間隔に鳥居をぶら下げるアイデアを出したのは、天満宮が近いことを示していいアイデアだが、青や緑は天満宮から何か意見されなかったのであろうか。商店街であるのでカラフルで賑やかな方がいいとも言えるので、いわば飾りの模型の鳥居の色にとやかく言うこともないか。話を戻して、天神橋筋商店街は天神橋から続く天神橋筋という大きな道路から1本西に平行に走っている。天満宮はさらに奥で、大通りを歩いていては商店街も天満宮もどこにあるかわからない。それでは困ると思ったのか、天神橋筋に面して石の大きな鳥居が立っている。それが今日の最初の写真だ。

これはその鳥居の奥が境内で、本殿もあるという目印だが、鳥居の奥つまり東へと進むと、真正面に天満宮はなく、左手にその正面が見える。そのため、この鳥居から参道が始まるとはいえ、参道は本殿に真っ直ぐつながらず、90度曲がる必要がある。それにその曲がる箇所に鳥居がない。境内を取り囲むどこに鳥居があるかと言えば、北端と言えばいいが、境内が正方形や長方形ではなく、かなり凸凹した歪な形で、そのやや北西にある。そこは本殿と一直線に結ばれない場所だ。
去年3月に天満宮での盆梅展を見た時の感想を書いた時にその鳥居の写真は載せたが、写真からはわかりにくい。その石の鳥居とは別に境内の北中央に西向きに朱塗りの鳥居もあるが、大阪天満宮の鳥居はどれも変な位置にある。その代表が最初の写真の鳥居だが、これは大通りに面しているので、宣伝効果は抜群だ。そこがいかにも大阪らしい。それに商店街のアーケードの下に鳥居の大きな模型を等間隔に吊り下げることもしつこいほどの広告ともなっていて、鳥居をくぐると真正面に本殿が見えるという、左右対称の厳めしさを大阪天満宮が持っていないことは、かえって親しみやすいとも言える。昨日の続きを書くと、スーパー・ライフで休憩した後、扇町公園から吐き出されるデモ隊と平行して天神橋筋を南下し、彼らがどこまで行くかを見届けようと考えながら、大鳥居が見えるとその奥に行くことに決めた。そして道路の手前から撮ったのが最初の写真だが、デモ隊がちょうど途切れ気味になって鳥居の前後に写っている。筆者も家内も尿意があったので、天満宮に向かったと言ってよいが、時計を見ると6時近い。もう門は閉まっているかもしれないと思うと、開いていた。中に入ってすぐ振り返って撮ったのが2枚目で、写るのは毎年天神祭りで大勢の人が出入りする正門ではなく、その脇にある門だ。緑のお蔭で背後のビルがあまり見えず、大きな神社らしい雰囲気だ。トイレはこの写真の右端に屋根つきのガレージであったか、大きな広々とした空間の突き当りにあった。そこで用を済まし、先に書いた北西の鳥居から出て、すぐに左に折れて天神橋筋商店街に入った。そう言えば天満宮の東端の道は歩いたことがないが、ほかにも鳥居があるかもしれない。知っているようでいて、いつも同じ道を歩くので、全体像がわからない。そうそう、20代のいつ頃であったか、家内とデートして堀川戎に行ったことがある。どこをどう歩いたのか記憶にないが、昨日書いた龍王大神の社から南東200メートルほどで、そこからさらに南東200が南森町の交差点だ。こう書いておくと、今度は地図がなくてもどうにか場所がわかる。