人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●神社の造形―蚕ノ社の三角鳥居
維関係の業者が潤うのは金属関係の業者がまず儲かってからと言われる。糸扁よりも金扁の方が金儲けにいいのは、いかにも金属が繊維より重く、また「金儲け」の「金」の文字も入っているからで、今は繊維関係の業種に就いていることは肩身が狭い。



●神社の造形―蚕ノ社の三角鳥居_d0053294_2531011.jpg京都でそうなったのはこの半世紀で、もう昔日のような繊維産業華やかしり頃には戻らない。それどころか、衣服も金属を素材にする時代が来るかもしれない。逆の発想で大砲や軍艦を繊維で造ればどうだろう。それでは戦いにならないが、それでいいではないか。それはともかく、今日は月曜日に出かけた右京中央図書館への往復で撮影した4か所の神社の最後で、「蚕ノ社」だ。嵐電の駅名にもなっているこの神社は京都に移住する前から知っていたが、最初に縁のようなものがあったのは京都に住んで間もない頃で、30数年前のことだ。家内とバスか電車に乗って四条河原町だったと思うが、繁華街に出かけた。その帰り、家内はバッグがないことに気づいた。交番で届け出たかどうか記憶にないが、その日の午後か翌日の午後か忘れたが、女性から電話があった。バッグを拾ったというのだが、中に家内の名前や住所、電話番号を記した手帳が入っていて、それで電話番号を知ったのだ。早速受け取りに行くことにした。幸い、梅津からは近い。三条通りに面した「蚕ノ社」の大きな石の鳥居の前で待ち合わせをすることになった。年配の女性が拾ってくれたのだが、当時筆者らは30歳になっておらず、その女性は40代であったかもしれない。何かお礼をと考えて、菓子折りを持参したと思う。蚕ノ社の大鳥居は、三条通りに面してはいるが、少し斜めに立っていて、参道が三角形の斜辺のような形になって長く見える。ただし、筆者はその鳥居の前をたぶん100回以上は通っているのに、鳥居の奥へ一歩も踏み込んだことがない。右京中央図書館に行くにはその鳥居の前を通るが、いつも気になりながら、参道の奥を一瞥することもした記憶がない。「蚕ノ社」からして養蚕、繊維にまつわる神社であることはわかるし、また筆者は繊維関係の業種に携わっているので、本当は京都に移住した時に真っ先にお詣りするべきであるのに、その気にもならなかったのは、鳥居は目に入るのに、肝心の境内や社がその鳥居の立つ場所からは見えないからであった。これは正しく言えば、見なかったから見えなかったのだが、弁解すると、それほどに参道は長く、境内はずっと奥の木立が生い茂る森であるからだ。神社に関心がなければ、わざわざその森まで行ってみようという気にはなれない。人生にはそういうことが多い。そして結局縁がないままこの世とおさらばしてしまう。だが、その縁というのはちょっとした考えひとつでどうにでもなるもので、行動すればいいだけのことだ。そう思って月曜日は三条通りに面した大鳥居の奥へと進み、突き当りの森を目指した。その参道を通るのは初めてのことだ。その気になれば毎日でも通える距離であるのに、家内のバッグを受け取って30数年も経ってしまった。それはともかく、家内は興味がないので、先に図書館前のスーパーに行くと言って姿を消したので、筆者ひとりで訪れた。昼間であるのに、鬱蒼として人影がない。夜ではかなり恐い境内であろう。昔はどうであったか知らないが、岐阜の美江寺のように蚕に因む面白い形の土鈴を授与するなど、何か人々に買ってもらえて存在を記憶してもらえるようなものがあれば、もっと人が訪れるのではないだろうか。だが、今となってはそういう郷土玩具を作る人もいない。繊維の時代でないのと同様、手作りの時代ではないのだ。話を戻して、バスは通らないが、車が割合走る道に面した木製の鳥居をくぐると、その突き当りに本殿がありそうだ。この木製の鳥居は三条通り沿いの石の大鳥居とは一直性でつながらない。参道を直進して突き当りを少し左に行ったところに境内に入る木の鳥居がある。朱塗りではないが、朱塗りであるのは稲荷系など、決まりがあるのかもしれない。「神社の造形」というのであれば、そういうことをいろいろと調べて書くべきだろうが、筆者はそこまで関心がない。前述のように、以前から心のどこかに引っかかっているのに、縁のないままとなっている神社を、行動を起こして縁を作ろうということで、またその縁はこのブログに取り上げるだけのことで、人生の埋め草みたいなものだ。
●神社の造形―蚕ノ社の三角鳥居_d0053294_2533134.jpg

 「蚕ノ社」と呼ばれているが、木嶋神社と呼ぶのが本当らしい。そのことを境内の立て看板で知った。また、養蚕の神様の祠は拝殿の奥の祠の右隣りにある小さ目の祠で、それはすぐにわかる。今日の最初の写真がそれで、やや遠目にも石碑が見え、そこに「縮縮緬仲間」と彫ってある、西陣の組合で、文化年間のもので、さほど古いものではない。「縮縮緬」という表記は初めて見たが、これは「ちりちりめん」と読むのだろう。「縮」の字がひとつ多いが、江戸時代はそのようにも表現したのであろう。確かに縮緬は表面がちりちりと縮れている。それでも「縮」という画数の多い漢字をふたつ並べて書くのは商売上問題がある。そのため、普段は「縮緬」で通したであろう。この石碑のように改まった時は「縮縮緬」と書いたのかもしれないが、今では却ってふざけているように見える。それはいいとして、この石碑の前に立って玉垣の奥を除くと、真正面に祠がある。それを撮ったのが今日の2枚目で、そのすぐ前には立つことが出来ないので、厳かな雰囲気が立ち込めている。燈籠が灯っているが、真昼でも薄暗いからで、それほどにおそらくほとんど1000年もっと前のままにこの祠の周辺は保たれているのだろう。祠は何度も建て替えられているはずだが、同じ場所であるから、この祠は時間が止まったままのような雰囲気を発散している。先に小さ目と書いたが、左に見えるのは本殿で、それに付随する形で建つ。つまり主人公ではないが、いつの間にかこの祠がこの神社の代名詞になった。蚕の神様となれば、これは大陸から養蚕や機織りの技術を伝えた秦氏の集団となるが、「秦」は「機」と同じ発音で、機織りと読ませるのは秦氏がその技術をもたらしたためかと勝手な想像をする。京都が繊維業で潤うのは秦氏の渡来よりはるかに後のことで、西陣の技術が飛躍的に高まったのは300年ほど前だろう。そして最も京都が繊維で儲けたのは昭和時代で、それが平成になってからは壊滅的と言ってよいほど、業者は激減した。もう和服は誰も着ないも同然だが、近年若者が浴衣を着て京都の街を歩くようになっているので、キモノが絶滅したとは言えないが、往年の頃に比べることが出来ないほどに生産高は落ちている。もはや日本は繊維の時代ではなく、それは世界的に見て第3諸国の産業となっている。そのうち、そういう後進国も重工業が儲かることに気づき、繊維産業に見切りをつけるはずで、そうなればたとえば100年先、もう地球上に繊維で食べて行こうとする国がないだろう。そうなれば、繊維は金属並みに高価になり、日本は繊維を見直し、それで自動車を製造するかもしれない。布で出来た車ならミシンで縫えるので、それこそ真の意味での自家用車をどの家でも手作りすることになる。話を戻して、まだ日本が重工業に携わらない江戸時代、この神社は繊維業者が参拝して潤ったであろうが、その繊維業者が激減したとなると、「蚕ノ社」という名称も変えた方がいいということになりはしまいか。金属の神様を祀って、「金の社」と改名すれば、日本の重工業の会社がこぞってお詣りしてくれるかもしれない。蚕は永遠と思っていると、時代は変わり、今では蚕で絹が作られることや、また縮緬がどういう布地か知らない若者は多いのではないか。さて、この神社で最も有名なものは、三柱鳥居と呼ばれる変わった形の鳥居で、真上から見ると三角形をしている。境内の北西角にあって、目立たない。その写真は誰しもどこかで見たことがあるはずで、あまりに有名なので、筆者はわざわざ見るためにこの神社を訪れなくても、その形が頭に入っている。今回初めてその実物を見て写真に撮ったが、予想どおりであった。ただし、本当はこの鳥居は池か小川か、水の中に立っているらしい。筆者が訪れた時は水は干上がっていて、これは近くに温泉施設が出来るなどして、水流が変わったためもあるだろう。鳥居の下の中央に石を積み上げ、そのてっぺんに御幣を突き立ててある。この鳥居についてはよくわかっていないらしく、いろんな意見を書いている人がいるが、神社でもわからないものがほかの人がわかるはずがない。元は何か意味を持って造ったものだが、三角形に組まれることは、その中心が神聖な場所で、また各鳥居の方角も何らかの意味があるだろう。先の蚕の神様の祠の前に近づけないのと同様、この奇妙な鳥居の前に立つことも出来ない。写真の最下段に少し写っているが、竹の柵で遮られている。頑丈なものでは決してないので、それより向こうへ立ち入ることは簡単だが、そこまですれば罰が当たるとの思いを誰しも持っている。それほどに、柵や鳥居という仕切りは効果があって、その向こうに入るには身をまず清めてからという思いにさせる。そうであるから、筆者は写真を撮ることも何となく憚られた。カメラが発明される1000年以上前からこの神社はある。となれば、神様は写真を嫌うのではないか。そう思いながら、ブログに載せるためを思って10枚近く撮った。今日はそのうち3枚を使うが、残りはいつ投稿するか全く考えていない。
●神社の造形―蚕ノ社の三角鳥居_d0053294_2534326.jpg

by uuuzen | 2015-08-28 23:59 | ●神社の造形
●神社の造形―太秦の春日神社の... >> << ●嵐山駅前の変化、その375(...

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?