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●神社の造形―三吉稲荷大明神と中里八幡大菩薩
と狐は日本では人を騙す動物の代表として有名であるのに、狐は稲荷神社の象徴として人から拝まれるのに、狸はそのような神格化はない。



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京都に狸山不動院があって、筆者は訪れたことはないが、狸を祀っている神社ではないだろう。狸が棲息する山であったのでその名前がついたのだと思うが、狸は昔はどこにでもいたが、そこは特に多かったか。狐のように神の象徴にならなかった狸だが、その代わりに信楽焼きの狸の置物によって、狐以上に庶民には馴染んでいる。信楽の狸の置物は京都ではたぶん人口より多い。大阪や神戸では少なくなるが、信楽を抱える滋賀ではどうか。たぶん京都ほどでもないだろう。では京都でなぜ狸の置物が玄関脇に置かれるようになったか。これは無茶な想像だが、京都では稲荷の社が多く、狸が劣性になってはかわいそうと考えられ、神社に像が飾れることはないが、在野の存在として狐と同格として認めようということになって来たのではないか。鳥居の奥に鎮座する狐と違って、滑稽な表情で道行く人の目につく狸の焼物は、稲荷の神ではないのに、それと同じほど何となく家内安全には役だってもらえるような気にさせる。そうでなければ狸の置物が現在ほど京都中に広まらなかったと思う。狐、狸よりもっと卑近な動物で、今はペットとして日本中で圧倒的な人気を誇る犬と猫は、後者は招き猫として商売繁盛の像として今なお健在であるのに、犬はそうではない。これはなぜか。招き猫のような様式化がなぜされなかったのであろう。そこを狙って、招き犬ではないが、何か人の目につきやすい造形を編み出せば、犬のその像は一気に人気を獲得するように思う。一方、犬は安産であるので、昔から安産のお守りとしてそれなりに人形が作られて来ている。それが最近目立たないのは、やはり少子化のためか。つまり、今は犬は猫よりかなり分が悪い。そこで犬も商売繁盛の象徴とすれば、まずその像は招き猫の隣りに飾られるはずだが、狭い店では招き猫でも邪魔で、そこにもうひとつ犬の像を置くとなると、面倒でかなわない。そのため、招き犬をいう猫のパクリは歓迎されないので、番犬のイメージから店の玄関脇とすると、今度は信楽の狸の焼物と喧嘩する。つまり、犬は家の中では猫に負け、外では狸に適わず、出番がない。また、猫はもともと在野のイメージがあるが、犬が野犬となると、これは今では保健所が存在を許さない。それは犬は猫と違って人を噛むという恐怖を与えるからで、日本では犬は飼うものということで思いが一致して来た。つまり、狐や狸、猫のように像を作って祀り上げる必要がなく、生きたままをそばに置く。これは狐や狸、猫よりも犬が歓迎されていること示し、犬を様式化して誰からも愛される像を創造する必要はないのだ。もしそういう像が信楽の狸ほどに目立つようなことになれば、それは犬にとって受難の時代で、また人間が生き物を飼わなくなって自然をより忘れて行き、破滅に向かうことが加速化するだろう。キリストはあのような死に方をしたので、人々は祟りがあっては困るという思いから祀り上げることになった。聖徳太子も同じとされるが、神格化、英雄化される者は、生前は虐待を受けたり、不遇であったりしたかだ。モーツァルトはどこに葬られたかわからないほどに、最期は粗末な扱いを受けた。それもあって、今の名声がある。人間は後ろめたさを抱く動物で、それを解消するために懺悔し、いいことをしようとする。それが憐れな存在を祀り上げることだ。そしてそれを拝む。「どうか許してほしい。祟りを与えないでくれ」と祈って、後ろめたさを忘れようとする。つまり、稲荷神社は狐を殺し続けて来たことの懺悔の思いから現在のように増えた。これは稲荷神社の数以上に狐が殺されたことと同義で、狐がいなくなった代わりに神社の祠に小さなその像が置かれる。信楽の狸も同じ意味合いを持つかもしれない。
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 京都市内は田畑が減少して駐車場になり、やがてそこに建物が出来る。そのことはわが自治連合会を見てもわかる。もう田畑はごくわずかだ。たぶん30年後には皆無になる。そしてその頃には2階建ての木造住宅が4,5階建てのマンションに変わっている。何度も書くように、日本は土建国家で、絶えず何かを壊して建設し続けることで経済が回っている。アメリカのように武器を作ってどこかで戦争がないことには金儲け出来ない国よりましかもしれないが、あまりにも建築物を造り過ぎる。一度建物が出来たところは、元の野山に戻るだろうか。人が住まない家は朽ち果てるのが早いが、廃墟になった後に整地し、そこを田畑にするという人がいるだろうか。さて、右京中央図書館に一昨日DVDを返却に行く途中、大映通りを自転車で走った。三条通りはバスが通るというのに、道幅が狭く、いつもひやひやするので、大映通りを通ることが二回に一度はある。車の通りが少なく、また道の両側に店があって楽しい。ある映画俳優が2,3年前、大映通りの西端近くにあった食堂が閉店することをとても惜しがっていた。そこでよく昼飯を食べたらしい。数十年も利用し続けて来た店となると、家族のようなもので、閉店はさびしいだろう。そのように俳優がよく利用する商店街であったが、有名な食堂が消えるというのは、それだけ利用客が減ったからで、京都太秦の撮影所が威力を失ったからだ。日本映画の黄金時代はとっくの昔に過ぎ、かといってTVも面白くないから、プロが作る映像が面白くなくなって来たと言える。撮影所がなくなるか縮小したが、大映通りはそれなりに生きている。映画産業相手ではなく、地元住民に密着した商売をやれば、大儲けは出来なくてもどうにか食べて行けるということで、庶民感覚が溢れる場所となっている。大映通りには映画『大魔神』の大きな像がスーパーの前に立っていて、まるで大映通りの守り神のようになっているが、今後ますますそうなるだろう。それはいわば滅びた京都の映画産業の象徴で、稲荷の狐の像と同じだ。その大魔神の像から200メートルほど西か、目立たないみたらし団子を売る店の斜め前に神社がある。それに気づいたのは20年ほど前か。とても小さな境内で、石の鳥居をくぐってすぐ左手に大きな黒御影石の碑がある。牧野省三を顕彰するもので、京都の映画産業に因む神社かと思わせられる。というのは、玉垣のどの柱にも高名な俳優の名が彫られていて、今日の3枚目で言えば中央手前は「大河内伝次郎」とある。もっとも、牧野といい、大河内といい、戦前に活躍した人物で、京都の映画の黄金時代を築いたとはいえ、『大魔神』を知る人にはあまりに遠い昔で馴染みがない。顕彰の石碑はまだ新しく見えるが、玉垣に彫られる名前は風化が目立つ。それはさておき、背後に民家が迫るこのせせこましい神社だが、ふたつの祠が仲よく並ぶ。左が三吉稲荷大明神、右が中里八幡大菩薩だが、稲荷はいいとして、菩薩は仏教なので半分は寺かと思うと、八幡の神は神仏習合で八幡菩薩と言われるそうで、神社の中に神宮寺が作られたとのことだ。それはさておき、なぜ映画関係者がこのふたつの祠に関係するのかと言えば、京都に映画の撮影所が続々と出来た時、太秦のこの辺り一体は竹藪で、小さな祠がふたつあったそうだ。撮影所を設置するにはまず更地にするが、その際、狐や狸が居場所を失って人目によくついた。それで映画関係者はかわいそうだというので、元にあったふたつの祠を丁重に扱って現在の社にしたというのが、藪の中の話ではなしに、本当の話なのだろう。美談のようだが、先に書いたことと同じで、狐の祟りがあっては困るから祀ったということだ。本当に狐や狸のことを思うのであれば、藪のままにしておけばよい。だが、牧野省三の立派な石碑がこの社と同じ場所に建てられるのは、牧野が神格化したと同時に、それは狐と同じく、ある意味ではもう絶滅危惧種的であるからと言える。つまり太秦の土地を映画産業の名目で開発した人たちも葬られたということだ。
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by uuuzen | 2015-08-26 23:59 | ●神社の造形
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