人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●神社の造形―縣神社の神木
の木が神木ということで、目立ったものはそれくらいしかない縣神社に何となく拍子抜けした。20年は経っていないと思うが、宇治に久しぶりに出かけた。



●神社の造形―縣神社の神木_d0053294_117347.jpg

時間があれば修復が終わった平等院もと思ったが、それが無理なことは京阪の宇治駅に着いた時にわかった。宇治橋の欄干が木製に変わっていることを知った。橋をわたりながら、これも時間があれば行こうと思った宇治神社や宇治上神社の方向を見つめたが、欲張りは駄目だ。それで妹宅に行く前に、縣神社を先に見ようと考えた。宇治橋をわたってすぐ左手にあるのが今日の最初の写真の大鳥居だ。鳥居の奥や周辺がごちゃごちゃとしていて、景観が悪い。もう少しどうにかならないものかと思いながらシャッターを切ったが、この写真が現在の平等院周辺の様子をよく表わしていると言える。あまりに久しぶりなので、平等院や縣神社がどこにあるのかすぐに思い出せず、京阪宇治駅の構内で地図を確認した。それですぐに妹の家がある場所もわかったが、まずは縣神社だ。この神社に行ったのは四半世紀前で、6月の縣祭りの夜であった。この祭りは真っ暗な中で行なわれると聞いたが、宇治橋から神社まで続く商店街は夜店が出て人通りも多かった。神社の境内前まで行くと、灯りが皆無かと思うと、そうでもなかったように記憶する。真っ暗の中での祭りと言えば、誰しも想像するのは男女の交わりだ。縣祭りだけに限らず、祭りは昔から男女の出会いの場だ。だが、高度成長期以降は毎日が祭り同然の日本となって、今やネットで男女はお互い相手を探して交際、結婚することが不思議でなくなった。そうなると、縣祭りで見知らぬ男女が出会って一夜限りの性行為をするということも昔ほどにはないだろう。ともかく、縣祭りの夜の商店街を歩いたことで、宇治には宇治神社や宇治上神社以外に縣神社があることを知った。妹は宇治上神社で結婚式を挙げたので、宇治の神社と言えば宇治神社か宇治上神社を思い出すが、縣祭りという奇祭を知ってからは、そっちの方の印象が大きくなっている。それで一昨日は妹に会いに行くことと縣神社を訪れることを目的にして出かけた。最初の写真の大鳥居の奥を、左側の歩道を7,8分歩くと、その突き当りの左角が縣神社だ。平等院の南西に位置している。この道は縣神社の参道であるから、「あがた通り」と呼ばれるが、10トン・トラックがひっきりなしに走り、風情がない。どこへ走って行くのか知らないが、開発が盛んであるからだろう。ということは昔ながらの風情が減少して行く。大鳥居から縣神社までの数百メートルの道は、簡単に言えば昭和レトロの雰囲気で、茶を売る店がいくつかあり、また左に折れると平等院であるとの標識が交差する道の角ごとにある。この道から平等院まではすぐで、接していると言ってもよいほどだが、平等院は宇治川に面していて、大きな川から少し入った道路と言う雰囲気は独特で筆者は好きだが、岐阜城に向かう道でも感じた。それはわが家も桂川から近いからかもしれない。上の妹は賀茂川沿いから少し入ったところに住んでいるが、兄姉妹が3人とも京都を代表するそれぞれ大きな川のすぐ近くに住んでいる。話を戻して、昼間に初めて見る縣神社は、まず境内がさほど大きくないことが意外であった。また、造形的に特に面白いものもない。はるかに神社らしいのは宇治川右岸にある宇治神社と宇治上神社で、自然も豊かだ。縣神社は境内の真横をダンプ・カーがひっきりなしに走る。とはいえ、境内に入ると、そこは神社であるから、静けさは保たれているし、それが大昔からほとんど変わっていないことも想像出来る。先ほどネットで調べると、縣神社は対岸の宇治神社や宇治上神社とはあまり仲がよくないようだ。1960年代からそういうことになったそうで、その一因は経済的な問題とある。どちらの神社が古くて格が上かと言えば、自然に囲まれている宇治神社、宇治上神社だと誰しも思うだろう。祀っている神様もそうであるというので、格下に見られる縣神社が不満を囲ったのかもしれないが、経済的な問題と言われと、縣神社の多少殺伐とした感じが理解出来る。経営が大変なのだろう。
●神社の造形―縣神社の神木_d0053294_1174789.jpg 縣神社の境内で数枚の写真を撮ったが、その中でこの神社の個性とでも言うべきものは、「むくのき」の神木であった。それが今日の2枚目の写真だが、上下2枚に分けても全部収まらない。「むくのき」は「椋の木」と書くようだが、「椋」で思い出すのは宇治と隣接していた巨椋池だ。この名前がどのようにしてついたのか知らないが、巨大な椋が池の畔に立っていたのだろうか。かつてのこの巨大な池に沿って近鉄の「小倉」駅があるが、「小倉」が転じて「巨椋」になったとしても、それはやはりむくのきの巨木があったからかと思いたくなる。ネットで調べると、むくのきは成長が早く、巨木になるという。それで神木にもなりやすいが、縣神社のむくのきの幹の太さを見れば、100年も経っていないように思える。そうだとすれば、神木というほどのものでもない。成長が早くて巨木になるのでは、ありがたみが薄いではないか。また、縣神社がその木を植えて早く大木になってほしかったとすれば、そこに宇治神社との競争意識が働いていたのかと勘繰りたくなる。3枚目の写真は本殿の正面で、右下に「百度石」があり、その右手に神木より太そうな木が見える。それは神木とされていないだろう。2枚目の写真は3枚目の撮影位置から90度左つまり西、平等院とは反対を向いて撮った。本殿の背後はちょっとした森のように見えるが、宇治はまだ高層ビルがなく、神社の境内から雰囲気をぶち壊すものはあまり見えない。2枚目の写真は右端があまり写らないように撮影角度を選んだが、それは背後にビルがあるためで、そこが宇治神社とは全然違う。町中の神社はその点、景観のよさを求めることは難しい。自然さを保つには植物に頼らざるを得ず、それで背が高く伸びる木を植える。そしてそのためには成長の早い木がいいだろう。縣神社は境内周囲の垣根は2枚目の写真から少し見えるように、朱塗りにしているが、本殿その他の建物は3枚目の写真が代表する色合いだ。また願い事を書く絵馬を販売するでもなく、かなり素っ気ない。それが神社の本来の姿と言えなくもないが、縣祭りでの宇治神社との諍いを思うと、素っ気なさは経済的貧しさが大きな理由かとも思え、もう少し訪れて楽しい雰囲気を作ってもいいのではないか。商売上手になれと言うのではない。平等院はTVで頻繁に紹介されるのに、それに隣接するこの神社を訪れる観光客は10人にひとりもいないはずで、それは努力の足りなさが原因ではないかと思ってしまう。とはいえ、妹の家で2時間ほど話をした後、駅まで車で送ってもらう時、あがた通りと平行してはいないが、最初の写真の参道とは45度の角度で大鳥居の数メートル左から分かれて行く繁華な商店街を走り、窓の外の眺めを見ながら思ったことは、あがた通りほど昭和レトロではないが、それでも洒落た建物は茶を売るだけで、それ以外は生きて行くのが精一杯という状態に思えた。観光客は多くはなっているそうだが、宇治はまだまだ田舎で、平等院のみで商店街全体が潤うことは無理なのだろう。茶の産地であるから、茶を売る店が立派になるのはわかるが、それ以外の建物の老朽化がひどいとなれば、やがて東京の資本が入り、日本全国どこにでもあるような洒落た商店街になるように思うが、それはそれでまた面白くない。京阪の宇治駅は大きな円をモチーフにした鉄筋コンクリートの要塞のように変貌していたが、それとあがた通りやその北端で40度の角度で接する商店街のやや狭い道との景観とがそぐわない。せめて小京都と呼ばれるような町並みであればと思うが、もうそれは絶対に無理で、宇治の見所は平等院と洒落た建物に変わった茶を売るいくつかの店のみと言ってよい。だが、それは昔からそうであったはずで、久しぶりに訪れた宇治は疲弊はしてないまでも、今後の発展がさほど期待出来ないように思えた。そうそう、筆者が昔設計会社に勤めていた時、何度か宇治市役所を訪れた。とても小さな役所であったのが、80年代であったか、建て変わった。その様子をTVで見て、宇治も発展していると思ったが、その後ユニチカが衰退に向かい、大きな税収が見込めない。宇治茶を売るだけではどうにもならず、もっと観光客が訪れてくれればよいが、中国人観光客が爆買いするものもない。
●神社の造形―縣神社の神木_d0053294_118812.jpg

by uuuzen | 2015-08-21 23:59 | ●神社の造形
●神社の造形―野々宮神社の黒木鳥居 >> << ●神社の造形―海運毘沙門天の吉...

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?